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不思議な夢

――――貴方は誰なの?


 遠くからアイシャへと手を差し伸べる白い影。追いかけても、追いかけても届かない。


 あと少し。必死に手を伸ばし、掴もうとした瞬間、視界が暗転し、見慣れた寝室の天井が目に入る。


(また、あの夢だわ)


 白い影の手を掴もうとして、目が覚めるのだ。一年前から度々見る夢が、アイシャを悩ませていた。


 あの女性はいったい誰なのか?


 シルエットから女性だとはわかる。しかし、それ以外は何も分からない。それなのに、何故か懐かしい気持ちになる。前世の記憶なのか、それとも違う何かなのか。


(今の世界に夢占いでもあれば、あの夢が何を意味しているかわかるのかしらねぇ。考えても仕方ないし寝直そうっと!)


 考えることを早々に放棄し、寝直そうとしたアイシャの頭上から容赦のない怒声が降ってくる。


「アイシャ様! いつまで寝ているのですか!! 昨日あれほど言いましたのに! 今日は王城で開かれる夜会の日ですよ。お嬢さまがデビューする日だと言うのに。やる事がいっぱいあるのです。さっさと起きる!!」


 社交界デビューをするにあたり、母につけられたアイシャの監視役、もとい専属侍女アマンダ。怒り心頭の彼女に布団を引きはがされ叩き起こされる。


(あぁぁぁ、忘れていたぁ。今日は社交界デビューの日じゃないの)


 数ヶ月前から始まった恐怖のダンスレッスンを思い出し、アイシャの顔がひきつる。


 何故か嬉々としてダンスパートナーとなった兄と鬼教官と化した母との地獄の特訓。その甲斐もあり、人前で踊るのに耐えうる腕前とはなっている。始めは引けていた腰も、兄のセクハラ紛いのホールドと、母からの容赦のない叱責を経て、初心者にしてはサマになっていると思う。


(元々、運動神経だけはよかったのよね)


 幼い頃から続けた剣の鍛錬が、思いがけない方向へと花開いた瞬間だった。


(まぁ夜会で私にダンスを申し込むような、奇特な奴もいないし、大丈夫よ)


 それに、一年間で母と参加しまくったお茶会で、多くの令嬢とも知り合いになり、友達と呼べるほど親しくなった令嬢達もいる。そのお友達令嬢から社交界デビューの心構えを教えてもらったアイシャは、怖いものなしだ。


『デビュタントは壁の花となれ!!』


 目立たず、淑やかに。

 紳士から話しかけられてもホイホイついていかない。微笑を浮かべ相槌を打っていればそのうちいなくなる。


(なんて簡単な心構え! とにかく目立たず、人目が多い所では壁の花になっていれば良いだなんて、平々凡々な私にはピッタリ!)


 それに、大人の世界のキャッキャウフフな男同士の恋愛模様も見れるかもしれない。きっと王城には美味しい食べ物もあるはず。美食を堪能しつつ、大人の男の恋愛模様を観察出来るなんて……


 壁の花、最高!!


 アイシャは夜会で振る舞われる豪華な料理と濃密な男同士の触れ合いに思いを馳せ、締まりのない顔をアマンダに叱られながら準備に取り掛かった。


 アイシャの友人達は気づいていたのだ。いかにアイシャが魅力的で無防備な令嬢であるかと言うことに。


 蜂蜜色に輝くサラサラの髪に、コバルトブルーの瞳と淡いピンク色のふっくらとした唇を持つアイシャは、まだ少女の面影を残しながらも、どこか危うい色香を放っていた。そのくせ、性にはとことん疎く、その手の誘いを見事にスルーする姿は、フラれた相手に同情を抱くほどだった。


 アイシャに粉をかけようとして振られた貴族子息の多いこと。


 アイシャは何もしなくても目立つのだ。そんな彼女が百戦錬磨集う社交界に放たれてしまう。そんな無防備なアイシャを放置していたら、猛獣の檻の中に放り込まれた羊よろしくあっと言う間に、悪い男に喰われてしまう。


 誰に対しても気さくで裏表のないアイシャの存在は、友人令嬢達にとって魑魅魍魎ひしめき合い、一瞬でも気を抜けば蹴落とされる貴族社会において、安心して気を抜くことが出来る唯一の存在でもあった。そんな彼女が傷つくところなど見たくない。


 アイシャをこよなく愛する友人令嬢達はある策をこうじる事にした。


『デビュタントは壁の花となれ!』


 本来のデビュタントの心構えとは逆の事を教えたのだ。


 十八歳で社交界デビューをする令嬢達は、婚約者がいる者を除き、夜会で結婚相手を見つけねばならない。そのため、壁の花に甘んじるなど論外だ。特にデビュタントは、皆、同じ白のドレスを身につけるため、目立たねば他のデビュタントに埋もれ、声すらかけてもらえない。


 高位貴族も集まる王城の夜会は、下位貴族にとっては結婚相手を見つける最大のチャンスだ。だからこそ壁の花になるなど論外なのだが、アイシャを猛獣どもから守るには仕方ない。あとは、すでにデビューを果たした令嬢が側にいれば問題ない。


 友人令嬢達がそんな策を練っているとはつゆ知らず、素直なアイシャはデビュタントの心構えを胸に王城へ向け出立した。





 デビュタントを示す真っ白なドレスに身を包み、兄ダニエルにエスコートされたアイシャは、王城のエントランスで例の侍従と一年ぶりの再会を果たした。猛烈な勢いでアイシャへと駆け寄った侍従に、涙目で手を握られる。


「よ、よくご無事で……」


 エグエグと泣き出した彼に若干ひいてしまったアイシャは、後ずさろうとして失敗した。がっちり握られた手が抜けない。


(離せぇぇぇ……)


 思いが通じたのか、即座に状況を理解したダニエルの手刀がきまり、我に返った侍従がアイシャの困り顔にやっと気づいた。


「失礼致しました。夜会会場は階段を登った先にございます。楽しい夜をお過ごしくださいませ。デビュタントのお嬢さま」


 アイシャは侍従に軽く会釈をすると、ダニエルに手をひかれ歩き出す。


「王城の使用人までたらし込むとは、困った妹だ」


 兄ダニエルが意味不明な事を言っているが無視だ。


(侍従のあの態度、わたくし死んだと思われていたのかしらねぇ〜)


 頻繁に王城を訪れていた令嬢が、突然いなくなれば心配もするだろうと、トンチンカンなことを考えていたアイシャは知らなかった。一年経った今でも侍従、侍女の間で、アイシャフィーバーは健在であることを。


 見当違いなことを考えながらアイシャは、絢爛豪華な夜会会場へと続く階段を登る。すでに夜会会場では、大勢の紳士淑女が談笑しながら王族の登場を待っていた。


 アイシャはダニエルと別れ、侍女に連れられデビュタントが集まる控えの間へと通された。


(皆さま、どこにいるのかしら?)


 辺りを見回すと、すでに集まっていた数十名のデビュタントの中に友人を見つけた。


「イザベラ様、もう皆さまお集まりなのですね」


「アイシャ様、遅いですわ!! いつまで経ってもいらっしゃらないからハラハラしたわ」


「ははは、ちょっとトラブルがありまして……」


 出発直前にダニエルがアイシャを見るなり鼻血を噴くという大惨事を起こしたのだ。多少距離があったお陰で白のドレスは無事だったが、兄の衣装替えと回復を待っていたら遅くなってしまった。


「どうせアイシャ様が寝坊でもしたのでしょう」


「違うわよ! お兄さまが……」


「えっ、ダニエルさま!?」


 耳ざとくアイシャの言葉を聞き取った令嬢方に取り囲まれる。


(そうだった……、お兄さまって人気があったのよね。確か、社交界の寵児と言われているとかなんとか)


 鼻血を噴いたりと情けない姿の兄しか見たことがないアイシャは、社交界の寵児と呼ばれている兄は嘘っぱちだと思っている。


「違うの、違うから。お兄さまの気分が悪くなって、遅れてしまったのよ」


「まぁ、それは心配ですわね」


「ありがとうございます。でも、ご心配には及びませんわ。今は、ピンピンしてますから」


「そう、それはよかったわ。ダニエルさまが参加されませんと、多くの令嬢が泣きますわ。愛好会が出来るほどですもの」


「愛好会?」


「えぇ、ノア王太子殿下を筆頭に、側近のリアムさま、キースさま、そしてダニエルさまは、社交界の寵児と呼ばれ、貴族令嬢の憧れの的ですもの。それぞれに愛好会ができているのよ」


 突然話題にのぼった懐かしい名前に、トクンっと胸が高鳴る。


(リアム……)


 脳裏によぎったリアムとのキスに、胸がズキッと痛む。ただ、その理由がわからない。


 あの日から一年。毎日のように会っていたのが嘘だったかのように、リアムとの接触はなくなった。


(きっと、覚えていないわね)


 子供の頃の付き合いは、大人になるにつれ変わっていく。侯爵家と伯爵家では家格の違いもある。幼なじみだからといって、大人になっても同じ付き合いができるわけではない。


 そんなことは、アイシャだってわかっている。ただ、寂しいものは、寂しいのだ。


(この寂しさが、胸を痛ませるのね)


「ねぇ、アイシャ。今年のノア王太子殿下のファーストダンス、誰が選ばれると思う?」


「ファーストダンス?」


「えっ? 知らないの? ノア王太子殿下と、デビュタントの一人がファーストダンスを踊るところから夜会が始まるのよ。ノアさま、まだ婚約者を決めていないでしょ。だから、そのファーストダンスで見初められた令嬢は、婚約者候補になるって言われているわ」


「はぁ……」


「はぁ、じゃないわよ! 婚約者のいない令嬢にとっては勝負の時なのよ。でも、今まで選ばれてきた令嬢は、みんな婚約者のいる令嬢ばかり。だから、今年はって、盛り上がっているの」


 ノア王太子の名前に、昔の記憶が脳裏を掠め、嫌な気分になる。からかい混じりに、迫られたことは数知れず、逃げ回ることに必死になっていた過去を思い出し、顔をしかめる。


(子供のお遊びね。ノア王太子も私のことなんて覚えてないでしょ)


「そうなのぉ。まぁ、私には関係ないか、な」


「もう、アイシャは欲がないっていうか、なんというか」


 そんな掛け合いを友達令嬢としていたアイシャ他、デビュタントに声がかかる。侍女に促され、一列に並び会場入りしたデビュタントは、陛下の前へと並び一斉にカーテシーをとり、順に名乗っていく。


 夜会の始めに陛下の御前でデビュタントの紹介と有難いお言葉を賜るのだ。一連の儀礼が終わり、王族が会場入りしてくる。その中に、懐かしい顔を見つけ、アイシャの心が温かくなった。


(クレアさま……、お話し出来る機会はあるかしら?)


 王城へ行かなくなった一年間、アイシャはクレア王女と文通を通して交流を続けていた。先日届いた手紙にも夜会で会えるのを楽しみにしていると書かれていた。


 積もる話もある。きっと、クレア王女も、時間を取ってくれるだろう。


 クレア王女との楽しい女子トークに想いを馳せていたアイシャは、目の前に立った人物の存在に気づいていなかった。


「アイシャ、久しぶりだね。ファーストダンス、私と踊って頂けますか?」


「――――えっ!? ノア王太子、殿下……」


 呆然と立ち尽くすアイシャの手をとったノア王太子に引き寄せられ、ホールの真ん中へと連れ出されていた。


(王太子がデビュタントの一人とファーストダンスを踊ると、さっき知った。知ったけど……、なんで私を選んだのよぉぉぉぉ!!!!)


 アイシャの心の叫びは、ゆっくりと流れ出したワルツにかき消された。


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