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貴族としての責任

 剣の稽古をつけて欲しいと、師匠に直談判してから十年。アイシャは、もうすぐ十七歳になろうとしていた。


 師匠から受ける一週間に一度の特訓とは別に、リアムからは短剣の扱いを習う。そんな生活を数年も続けていれば、騎士団の練習生くらいとは互角にやり合えるまでには成長した。しかし、それが限界だった。


 いまだに、キースに剣を当てることすら出来ない。


 連敗記録を更新中のアイシャだったが、騎士団に所属はしていないながらも、騎士団本丸で噂になっていたらしい。


 そんな中、知り合えた第三の師匠。騎士団所属の女騎士であるお姉様方に、キースにコテンパンに叩きのめされたアイシャは、今日も宿舎にある通称『女の花園』、談話室にて彼女達になぐさめられていた。


「今日のアイシャは惜しかったと思うわぁ。身体を反転させてキースの懐に入った時は、もしかしたらって思ったもの」


「そうねぇ、持っていた剣が長剣ではなくて短剣だったら一撃入れられていたかもね」


「あのキースの驚いた顔見た? アイシャに懐に入られて目を丸くしてたわよ!」


 頭上で交わされる三人の騎士服を着た麗しきお姉様方の会話に癒される。


 ひとりのお姉様の膝の上でエグエグ泣いていたアイシャは、ここぞとばかりに目の前の豊満なお胸に顔を突っ込み堪能する。


(柔らかい……、あぁぁぁ、男装の麗人。新たな趣味が花開きそうだわぁぁぁ)



「それにしても不思議よね。人当たりの良いキースが女子相手に本気で剣を振るうなんて。周りから見ても、明らかにキースはアイシャを目の敵にしているわよね。貴方、キースに何かしたの?」


「………ひっく…ひっく………、な、なにも…じで…まぜん………」


 泣きながら、豊満なお胸を堪能していたアイシャに、お姉様方が不思議そうに問いかける。


(なぜ、あんなに目の敵にされるのか、私が知りたいくらいよ)


「そうなの? もしかしたら、思春期特有の好きな女の子を虐めたい、男の子心理ってやつかしらぁ~?」


(イヤイヤイヤイヤ、絶対それはないだろう!!)


 キースの殺気のこもった目は、好きな相手に向けられるものではない。まぁ、殺したいほど好きな相手には向けられることもありそうだが、そんなヤンデレこっちから願い下げだ。


 考えることを早々に放棄したアイシャは、全力で目の前のお胸を堪能する。そして、頭を撫でるお姉様の優しい手に癒されたアイシャは、女子会を満足するまで堪能し、やっと帰路についた。





「アイシャ様、ルイーザ様がお待ちでございます」


 リンベル伯爵邸のエントランスでアイシャを出迎えた執事の言葉に、心臓が嫌な音を立てる。


(イヤな予感がする……)


 過去を振り返ってみても、お小言を言われる時は決まって、笑顔を貼り付けた母が私室で待っていた。それは、絶対に逃がさないという無言の圧力でもある。


(行きたくない。出来れば、今すぐ逃げ出したい)


 そう考えていたアイシャに、執事の容赦ない言葉が突き刺さる。


「アイシャ様、逃げても無駄でございますよ。ルイーザ様は、すべてお見通しでございます」


 つまりは、母はアイシャが逃げ出すことまで考えて、執事にエントランスで出迎えさせたのだろう。母の本気を感じ、コソっとため息を吐く。


「わかりました。では、参りましょうか」


 アイシャの言葉に背をむけ歩き出した執事の後に続き、母の私室へと向かったアイシャだったが、部屋へと入り目に飛び込んできた母の様子に、すでに逃げ出したくなっていた。


 目の前で優雅に紅茶を飲みながら笑みを浮かべる母の唯ならぬ迫力に、アイシャの背を冷や汗が流れる。


「お母さま、ただ今戻りました」


「アイシャも、もうすぐ十七歳になるのね。最近、時の流れを早く感じるのは気のせいかしら? やっぱり年かしらねぇ」


「はぁ……」


 一見、どうでもいい話から会話がスタートする時は、アイシャにとって良くない兆候でもある。大抵、この後に爆弾が落とされるのだ。


「あなたは、貴族令嬢が十八歳で社交界デビューを迎えることは知っていますね?」


「はい」


「年の始めに開かれる王城での舞踏会が十八歳を迎える令嬢のデビュー戦となります。貴方は、この舞踏会に嫌でも参加せねばなりません。アイシャは、社交界デビューについて、どう考えているのかしら? 今の貴方でも通用すると思いますか?」


「えっと……」


 言葉が出なかった。


 社交界デビューの年齢に近づくにつれ、貴族令嬢であれば当たり前のマナーやダンスのレッスンが増えて行った。しかし、自立して生きて行くつもりだったアイシャは、なんの役にも立たないとレッスンの時間を無駄と切り捨て逃げ回っていた。そんなアイシャの行動は、母に筒抜けだった。


「きつい事を言いますが、今の貴方では舞踏会へ参加したところで社交界を渡り歩くことは出来ないでしょう。社交の場は貴族の戦場です。上っ面な笑顔の下にドス黒い感情や企みを隠した輩がウヨウヨいる汚い世界なのです」


 魑魅魍魎闊歩する社交界。


 自身の欲を満たすため、他人を平気で蹴落とすような世界だ。社交界で渡りあう術を知らなければ、あっという間に、汚され堕とされてしまう。ましてや、貴族令嬢としての振る舞いもおぼつかないような者など、恰好の標的になるだろう。


「アイシャ、貴方はあと一年で自身を守る武器と鎧を手に入れなければならない。言っている意味はわかりますね? 貴方が今必要なのは実戦で使う剣や盾ではない。社交界を渡り歩くための知識と完璧な淑女と言う鎧です」


 確かに、今のアイシャでは社交界デビューしたところで、いい笑いモノだろう。しかし、本当に社交界デビューなどする必要があるのか?


「でも! お母様。私は、貴族令嬢だからって社交界デビューしなければならないなんて思えません。だって、女性騎士だっているじゃありませんか。彼女達は、貴族令嬢でも社交界へは参加していないはずです」


「アイシャ、貴方は本気でそう思っていますの? 女性騎士の皆様は、全員社交界デビューを果たしておられますし、今でも社交界でお見かけする事もあります」


「うそ……、そんな、はずない。だって、女騎士に社交界なんて必要ないじゃない!」


 アイシャの反論に、母ルイーザの目がつりあがる。


「アイシャ、本気で言っていますの? 貴族の中には、女性騎士に侮蔑の目を向ける貴族もいます。しかし、そんな輩を抑え込むだけの所作や知識を彼女達は持っています。並大抵の努力ではないでしょう。だからこそ、彼女達の存在は社交界でも認められ、崇拝の対象ですらあります。そんな彼女達の努力を貴方は汚したのですよ」


 怒りをはらんだ瞳を向けられ、静かに紡がれる母の言葉に息をのむ。


「女騎士だから社交界へは行かない? それは暗に、剣を握る彼女達は野蛮だと言っているのと同じです。女の癖に剣を握るなんておぞましいと、ささやくバカ共と一緒です。貴方が今まで心血を注いでやって来たことを自分自身で汚してどうするの!? 今まで逃げて来た事の言い訳はよしなさい!」


 自身の今までの行動を正当化する為についた言葉が、いかに愚かなモノだったかを思い知らされる。


 母の言葉は正しい。


 アイシャの言い分は、剣を教えてくれたお姉様方を貶めただけではなく、目標に向かい努力し続けた自分自身の十年間をも穢してしまった。


(剣を握っている女性は、社交界デビューしないなんて……、自分で自分の可能性を潰してどうするのよ!)


 どんな事でも挑戦する心構えがなければ、一人で生きて行くなんて出来ない。


「申し訳ありません。愚かな事を言いました。お母さまのおっしゃる通りです。私は自身の努力まで貶す発言をしていました」


「そうですね。貴方がずっと心血を注いで来たモノは将来きっと役に立つ時が来るでしょう。しかし、それは今ではありません。貴族として生を受けたからには果たさねばならない責任と言うモノがあります。今までは、貴方の好きなように生きる事を許して来ましたが、そろそろ貴族としての義務と責任とは何かを考え、行動しなければなりません」


(貴族として生を受けた者の責任……)


「貴方の行動ひとつでリンベル伯爵家が傾き、その下で仕える者達の平和な生活を奪い兼ねない事を知りなさい。十八歳の誕生日までに貴族として生きる覚悟を決めなさい。それが貴族として生を受けた者の責任です」


 母はそれだけ言うとアイシャを残し部屋を出ていく。


(お母さまは、私が剣を習っていた事を知っていたのね。知っていながら何も言わず見守ってくれていた)


 思いのまま生きることを、そろそろ封印しなければならない。


 十七歳のアイシャでは一人で生きて行くことは出来ない。親の保護下で生きる以上、貴族としての責任は果たさねばならない。


 アイシャの評判が地に落ちれば、リンベル伯爵家の評判も地に落ちる。そうなればリンベル伯爵家に関わる全ての人達の生活にも影響を及ぼす。


 十八歳で社交界デビューが決まっているのであれば、リンベル伯爵家を守るための武器と鎧を身につけるのは必須だ。自分の力で生きることが出来るようになるまで、リンベル伯爵家の利となる完璧な令嬢になるための努力をしよう。騎士団のお姉様方のように、社交界でも通用する一流の女性になる為の努力を。

 

(それが未来の自分への投資にもなるはずよ)


 剣を習い始めて十年。長かったような、短かったような。剣を教えてくれた師匠達に心からの感謝を伝えよう。


(そして……、最後にキースに一矢報いたい!)


 キースとの戦いで肉体的にも限界だったアイシャは、自室へと戻り、最後の戦いを胸に眠りに落ちた。

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