過去と内面
「ばしょーくん、イセバン受かったんだって!?」
マネージャーからキャラが決まったという理由で事務所に呼び出され、報告を受けたあとの事だった。
それ以上事務所に用も愛も無いので、芭蕉はそそくさと帰ろうとしていたところ、芭蕉と同期である山里隆一が事務所内で帰ろうとしていた芭蕉に声を掛けてきた。
「イセバン?…ああ異世界バーンアウトのことか。まだしっくり来てないけど」
「しかも主役!すごいよ!」
隆一は芭蕉と同い年の19歳だったことで、初めて会ったその日から、かなり人見知りをするタイプである芭蕉も比較的打ち解けられた人物だった。
「まあ運がよかったんだな」
「そんな事ないって!100%君自身の実力だから」
もっと自信持てよ!と、隆一は芭蕉の肩を殴る。
「痛いよ山里くん。でもありがとう。お世辞でもそう言ってもらえるだけで嬉しいよ」
「お世辞じゃないよ。まあでも確かにおめでたい気持ちだけじゃねーな」
そう言うと隆一は寂しそうな、悔しそうな、とにかく曇った表情になった。
「なんてったって俺もイセバンのキャラは女キャラ以外全部受けてたからね。もちろん今回お前が受かったタクトも受けた」
「ああ…」
芭蕉はどんな反応をすればいいか分からなかった。実は隆一は芭蕉より先輩で、何年も前からオーディションを受けていた。が、何度受けても落ちており、モブさえも受からないという始末だった。現在まで声優としては、一銭も稼げていない状況だ。
頻繁にパートの清掃員が掃除しているためピカピカになっている事務所の床をキョロキョロ見回していた。
「結果、箸にも棒にもかからなかったわーーー残念」
隆一は今回も全敗だったようだ。
小綺麗なタイル製の床には芭蕉の挙動不審になっている姿が反射して映っていた。
「ああそうかごめん。なんか外雨降りそうだから帰るね」
芭蕉は適当に帰る口実を考え、早口でとっさに思いついた内容を言いながら隆一に背を向ける。
「飯食いに行かないか?」
隆一はまるで芭蕉の口実を見抜いているかのように、変わらない口調で芭蕉の背中に向かってそう言う。
競歩選手のような勢いで歩いていた芭蕉だったが、隆一のひと言でピタッと歩みを止める。
「飯?」
「そう、飯。もう夜だし、芭蕉も晩ご飯まだ食べてないだろ?」
「……分かった」
芭蕉は少し考えてから了承した。渋った理由は、芭蕉が主演に選ばれたことで、散々嫌味を吐かれるのではないかと思っているからだ。現に先ほどは芭蕉にとってどう言葉をかけていいか分からない気まずい雰囲気になっていたからだ。
自分だけがいい思いをしているということに気づき始めた芭蕉は罪悪感を覚え始めていた。
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「ばしょーくんってさぁ…菅田将暉に似てるって言われない?」
ファミレスでナポリタンを小学生のように口へかきこみながら隆一は聞いてくる。
「初めて言われたけどそんなこと。まあ言われてみれば確かに、可もなく不可もなくみたいな顔なのかなあ」
芭蕉はハーフラーメンのチャーシューを噛みちぎる。
「それ菅田将暉に失礼」
「だって俺、菅田将暉すきじゃないし」
そんな他愛もない会話をしながら、お互いの皿は空になっていく。
「こうやってしっかり話す機会ってなかったよね。未成年だから酒も飲めないしさ」
「そうだね」
常に2人の会話において先行を取り、か発言している文字数の多さで隆一の割合がほとんどを占めていた。芭蕉はYESかNOで答えられない質問をされない限り相槌しかうっていない。
「趣味とかあんの?やっぱ漫画アニメ系?」
声優志望の人間はほとんどが漫画やアニメのファン、いわゆるオタクという類の人間であるが、芭蕉に関しては特にアニメも漫画も人並みに知識がある程度で、別に単行本を買い漁ったり、ノイタミナアニメをわざわざ外付けHDDで予約録画した経験は無い。どちらかというとゲームの方が好きだった。
「まあアニメも人並みに好きだけど、風景画の方が好きかな」
「は?なに?」
隆一はよく聞き取れなかったようで、フォークを持つ手が止まる。
「風景描くのが好き。スケッチだよ」
適当に話している訳ではない。
芭蕉は本当に風景を描くのが好きなのだ。名前のインパクトも相まってしまい、ふざけているのかと周囲からよく言われるのだが本当に学生時代など授業が退屈な時は、ノートの端に教室の窓から遠くに見える山をスケッチしていたほど。
「おま…バカに…しすぎだってぇ」
隆一は肩を揺らして笑っている。
食事どころではないくらいツボにはいってしまったようだ。
「ホントだよ。別に自分の名前に感化された訳じゃないし。感化されてたら服装から感化されて、和服にしてるよ」
急に饒舌になる芭蕉。趣味の話になると、変わり者というレッテルを貼られたくないため、毎回誤解を解くためにこうなる。
「あと松尾芭蕉も別に好きじゃないし。どんな絵を描いたかも知らない」
隆一はやっと笑いがおさまったようで、水を飲む。が、思い出したのか飲みながら笑い、水が気管に入りむせる。
「で、山里くんの趣味はなんなのさ」
笑いながら咳き込んでいる隆一に対して再度無口モードになった芭蕉は趣味を聞き返す。
『どうか変な趣味でありますように』
芭蕉は自分の趣味を笑ってきた相手の趣味をツッコまないと気が済まない仕返し精神を持っているタチであるため、全力でツッコむ準備をしていた。
「ふうふう…ら…落語ゲホゲホオ゛エ゛エ゛エ゛」
よほど変な場所に入ったんだろう。涙目になりながら隆一は答えた。
「落語!?人のこと言えないじゃん。君も十分変わった趣味してるよ」
「ゼェゼェ…割とメジャーな趣味だと思うけどな…あぁゔゔゔん。特に芸能界を目指す人に落語好きは多いと思うよ」
やっと気管の調子が良くなったようだ。
「へえ…落語ねえ。俺らふたりで【足りないふたり】っていってコンビ組もうか?」
「山里亮太じゃねーよ。しかも落語好きなのは若林の方じゃねーか」
「あはは分かってるさすが。でも相性いいと思うけどな俺ら」
口ではそう肯定的なことを言っても、芭蕉は隆一と相性が良いなど微塵も思っていない。隆一を苗字で呼んでいる時点で心を開いてはいないのだから。
────どうせまた嫌われるしな
芭蕉は人と接する際、常に臆病かつ疑心暗鬼になっている。
それは過去の経験が原因だった。
勉学、部活、仕事…それらに取り組む際、関わる人間全てと言っても過言ではないほど、大勢の人間に敵意を向けられてきた記憶は、頭のなかにこびりつき、消え去ることは無い。
最初はみな優しく接してくれているのだが、芭蕉の能力が低いということが分かると途端に手のひらを返し
、みな攻撃的になった。
芭蕉本人に悪気がある訳では全く無い。むしろ期待に応えよう必死に努めた。
だがこなせない。勉強は学校だけでは不十分だと親が判断し、芭蕉を学習塾に通わせた。そこで真面目に取り組んでいても、あまり結果には反映されなかった。
芭蕉は塾講師が呟いた言葉が今も忘れられない。
「理解力ねーな芭蕉」
講師は何気なく言ったのかもしれない。深い意味は無かったのかもしれない。だが芭蕉は今でも失敗する度にその言葉が脳裏をよぎるのだ。
最初は熱心に教えてくれていた塾講師も匙を投げる。そして学校の成績表を見て親もため息をつく。
勉学だけならいい。他の分野で輝けばいいんだ、そう思い、体を動かすのが好きだった芭蕉は運動系の部活である野球にに打ち込む。部活で成果を出し、推薦で良い学校に入学しようという目標もできた。
熱心に取り組む姿を見て、部活内のメンバーや顧問も芭蕉には一目置いていた。
しかし芭蕉には運動のセンスさえもなかったようで、何度取り組んでも
、どれだけ練習に時間をかけても上達はしなかった。それどころか怪我が増えたことにより医療費がかさみ
練習することさえできなくなった。
努力する方向が間違っていると言われればそれまでだが、そもそもどんな努力をすればいいか芭蕉本人はおろか周囲のメンバーも分からないほど救いようのない状態だった。
だが具体的にどういった点が悪いかは明確で、芭蕉はどうしても上半身と下半身が連動して動かないのだ。
結局そのタチの悪い癖は中学校卒業まで治らなかった。
言わずもがな大した結果なども残さなかった。残ったのは膝靭帯やアキレス腱の脆弱性だけ。
結局名前を書けば入学できるような低偏差値のFランク高校に入学し、今度は社会にいち早く順応したいという承認欲求と、自分の力でお金を稼ぎたいという自立志向からアルバイトをするようになった。
今度こそ組織に貢献してやる、そんな思いは1週間経たずして絶望に変わる。
そのアルバイトは高校のクラスメイトに誘われて始めたコンビニ店員だった。最初はみな初めて触るレジに戸惑い、手こずっていたが、3日もすると何処にでもいるコンビニ店員に変貌し、社会に順応していった。しかし芭蕉は何日経っても全く仕事が出来るようにならなかったのだ。
結果2週間経たずしてアルバイトを解雇されてしまったのだ。
「なんでできないの?」
「真面目にやってよ」
「ほんと使えないね君」
その時に味わった経験や周囲から言われた言葉は芭蕉を人間嫌いに変えた。特に最後の出勤で店長から言われた、もう君来なくていいよ、という言葉は何年経っても毎日思い出すくらい、現在も悪い意味で芭蕉の心に残っている。
「ーーー!!ーーー!」
大きな声が音が聞こえる。
人の声だ。
「ばーーう!!きいーーか?!!」
何を話しているのだろう。
誰に向かって話しているのだろう。
「芭蕉!!おい!!どうしたんだよ!!」
「はっ」
芭蕉は催眠術にかかったようにレストラン店内のいちばん奥にある壁を見つめたまま瞬きもせずに硬直していたのだった。
隆一が大声をあげたため、周りの客達も、なんの騒ぎかと芭蕉と隆一をチラチラ見ていた
「ははーん分かった!主役に受かったから嬉しすぎてそれしか考えられなくなってるんだろう!?」
隆一は都合よく解釈してくれたようだ。
「そ、そうそう!今夜は眠れそうにないよ!」
『また嫌な記憶、思い出しちゃったな』
隆一はナポリタンを食べきっていたが、芭蕉が食べかけだったラーメンの中途半端に残った麺は伸びきってしまっている。
「今日はもうそろそろ帰ろうか!」
いい感じの区切りポイントを見つけた芭蕉はそこでお開きを提案する。
すると隆一はニヤリと何やら企んでいるような薄気味悪い笑みをうかべる。
「代金なんだけどさあ…オーディション受かったんだったら奢ってよ!」
お願い!と、両手を顔の前で合わせて目を瞑る隆一。
『…あぁ…なるほど。そういう魂胆で飯に誘ったのねコイツは』
卑しいヤツだと思ったが、芭蕉は隆一がバイトをしながらのひもじい生活を送っていることを思い出す。そして目的が分かって安心したという事もあり、すぐ怒りはおさまった。ハイハイと了承し、伝票を持ってレジへ向かう。
レジに到着した際、会計待ちの客がそこそこ並んでいた。一番後ろに並んでいる客はイライラしているのか貧乏ゆすりをしている。
芭蕉は他人の癖が気になるタイプであったため、あまりいい気分にはならなかったが、なるべくその男性客を視界に入れないことを意識して後ろに並んだ。
ふと芭蕉はその男性客に見覚えがあるような気がした。
最近どこかであったような。