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うさぎ(いつか)人間を食べる  作者: 春日野霞
23/25

いつか

グロ注意です。苦手な方は、「…………」以降をお読みください。

 コンコンコン。

 控えめに、ドアが叩かれる。

 ぼおっと天井を眺めていた私は、ハッと跳び起きる。

 ドアを開けると、最愛の人がそこにいた。

「アイン……どうして会いにきてくれないのよ」

 長い睫毛が濡れている。

 温かい鼓動が広がる。

 会いたくて、たまらなかったのは私も同じだ。



 だけど……。

 華奢な肩を抱こうとして、私は手をおろす。

 もう、彼女とは、会わない方がいい。

「……今日は忙しいんだ。せっかく来てもらったところ悪いが」

「嘘ばっかり!ベッドで寝てただけじゃない。私、窓から見てたのよ」

 切りそろえた前髪の下で、大きな瞳がうとましげに私を見る。私を部屋へ強引に押し込み、後ろ手に扉を閉めた。



「なんで、嘘ついたの」

 暖炉の光が、彼女の横顔に影を刻む。シルクのスカートが泥で汚れていた。

「だって、お前、決まったんだろ婚約が……。隣の領主と」

「お父様が勝手に決めたことよ!私には、心から愛する、あなたがいるのに」

 彼女は細い腕を、私の腰に回す。



「それに、嫁ぐ日はまだ先だわ。それまではいくら会おうと、構わないでしょ」

 彼女は、知らないのだ。

「毎日、召使いが私の様子を見に来ているんだ。私を消したいのだろう。私がいることで、お前と領主の関係が悪化しないため」

「でもだって、そんなのあっちが悪いじゃない。私は悪くないわ。だってあなたといたいってずっと言ってるのに。勝手に結婚なんて決めるんだもの」

 彼女は、私の胸に頬を寄せ、しくしくと泣き始めた。

 言い分は間違っていない。でも、決まってしまったことなのだ。険悪な雰囲気の結婚生活なんて、嫌だろう。



「お前には、幸せでいてほしいんだ。あちらに行って、他に男がいると噂になったら……決して良い思いはしないだろう」

「何よ!あなたもそんなつまんないこと言うの?」

 下から私を睨む。

「ねえ、アイン。どこかへ行ってしまいましょうよ。こんな所抜け出して。2人で、暮らしましょう」

 私は首を横に振った。

 同じことを、昔は考えた。しかし彼女は箱入り娘。生まれてこのかた、身の回りのあらゆることを他人に任せていたのだ。苦しい生活に、きっと彼女の気持ちは破綻するだろう。

 愛さえあれば、何でも叶うとは思えなかった。



「私をここから出してよ!この意気地なし!」

 か弱い力で、私の胸を叩く。

 私は彼女の、甘く香る髪をなでた。

「分かってくれ。お互いの……お前の、幸せのためだ」

「私の幸せは、アインと一緒にいることよ!」



 その時。

 トントン。ドアが軽く叩かれる。

「お嬢様」

 老人の声。

 私と彼女は後ずさった。

「ここにいるのは分かっています。出てきてください」

 私の手が、じっとりと汗ばむ。

 彼は、彼女の召使いだ。一見ただの使用人だが、暗殺術に長けていた。

 つまり、そういうことなのだ。



「逃げましょう」

「いや……」

 窓から出た所で、バレるだろう。屋根裏にのぼる?いや、あんな木製のドア、もたもたしている間に壊されるだろう。



「それなら、爺やを殺してよ」

 私は耳を疑った。

「開けますよ」

 彼女の言葉を聞き返す前に、扉の外から声がした。



 私は生唾を飲み込む。彼女の肩に手を添えて引き離し、ドアへ向かった。

 殺されるかもしれない。邪魔な存在として。

 しかし、それを予期できているのは、不幸中の幸いだ。私は近くにあった塩を一掴みして、ノブに手をかけた。



 ドアを開けた瞬間、彼の鋭い突きがとんでくる。腹に一発食らうが、想定の上だった。彼の膝に倒れ込み、バランスを崩させる。私は、手の中に仕込んでいた塩を、彼の両目に突っ込んだ。

「ぐ、ぐわあああ」

 召使いは苦し気な声を上げる。私は素早く距離をとった。歴戦の暗殺者だ、どんな武器をしこんでいるか分からない。

「彼女は、結婚を嫌がっている。少しは娘の言い分も、聞いたらどうだ」

「……一介の使用人に、主人に背くことが許されるとでも……」

 言い終える前に跳び起き、突進してくる。私はとっさに、拳を振るった。

 ぎゅっと目を瞑る。確かな手ごたえに、骨がビリビリと鳴る。



 恐る恐る目を開けてみると、老人が仰向けに倒れていた。

「え……?」

 そっと近寄り、顔を覗き込む。

 白目をむいていた。

 心臓に、耳を当ててみる。

 完全に止まっていた。



「私のために、殺してくれたのね」

 何が起こったのか覚ったのだろう。彼女が近づいてくる。

「ち、ちがう」

 たった拳ひとつで、人が死ぬだろうか?私はどこを殴ったんだろう。顎だろうか?自分のやったこととは思えず、頭が混乱する。

「そうでしょう?だって、あんなに強い爺やを。怖かったのね」

 ぶるぶると震える手を、彼女が包み込む。

 その神経を、疑った。

 あの召使いは、いつも彼女のそばにいた。献身的に仕え、どんなわがままも叶えていた。

 目の前の人間は、たった今、その人の命を奪ったんだぞ。

 


「食べるぞ」

「え?」

「あの召使いを、食べるぞ」

 理解不能で思考を止めた頭が、思いがけない言葉を吐く。

「ふふ、無理よ」

 彼女は、場違いに微笑んだ。



「私を連れだせないくらい、意気地なしだもの」

 カッと頭に血がのぼる。

 私は大鍋に湯を沸かす。召使いの骨ばった腕や足をぶった切り、鍋に投げ入れる。

 彼女は、微動だにせず、その様子を眺めていた。



 ここまでやっても、まだ信じないのか。

 私は、ぐつぐつと煮立った鍋に塩を入れる。手当たり次第に香辛料を入れ、鍋をかき回す。白くぶよぶよになった手足を取り出して、皿の上にのせた。



「食べるぞ」

「で、できるなら、やってみなさいよ」

「本当に食べるからな!」

 私は叫んで、肉を食らった。彼女が悲鳴を上げ、扉を蹴破るように出て行く。



 私は自分の人生が崩壊していくのを感じながら、肉を頬張った。もう彼女は見ていないのだから、食べる必要はないのに。

 私の頭はどこか異様に冴えていた。

 失うものは何もない。それならいっそ地獄の果てまで。

 興奮が冷めていき、人間の味が分かっていく。



 その肉には、得も言われぬ甘美さがあった。





……………………………………………………………………………………………





 私は、ゆっくりと目を覚ました。

 この夢は、きっと、前世の記憶。

 元ご主人様にそっくりな彼女。

 食人の罪をを犯したのは、彼女と離れるためだったんだ。

 前の夢と繋げて考えると、それ以来、人を食べるのが癖になってしまったということになるんだろう。



 なんて突飛なことをしたんだろう。衝動的にもほどがある。

 前世の自分に、教えてやりたい。お前、人間に生まれ変わるんだぞ。笑っちゃうだろ。



 元ご主人様が逆に、私を捨てたのは、この報いなのか。



 しとしとと、雨が降り始める。夜闇の落ちた公園は、誰もいない。

 だからだろうか。

 1つだけ響く足音が、私をめがけているのだと、はっきり分かる。



 雨に濡れるのもいとわず、私は足音を待った。

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