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うさぎ(いつか)人間を食べる  作者: 春日野霞
18/25

実る恋たち

冒頭、グロ注意です。苦手な方は、「★」以降からお読みください。

 悲鳴が耳に突き刺さる。

 太った男が、目の前で金切り声を上げる。

 血しぶきが舞うと、高揚感が胸を占める。

 人の肉の味は、格別だ。私は今まで数々の肉を食らってきた。が、これほどまで甘美な肉を他にはしらない。

 上質な脂。ほんのりとした甘み。そして何より、高い身分にふんぞり返っている奴を蹂躙するのがたまらない。

 私は強者。

 口元がニタリとつり上がっていくのを、止めることができない。もう間もなく、人間を食べることが叶う。興奮でダバダバと汗が流れる。

 それでも、作業の手元を狂わせることはできない。内臓を切ったら全てがパアになるからだ。

 濃厚な血の匂い。酒を飲んだように、脳の血管が太くなり、心臓が胸を叩く。



 いや、酒よりもっと、上質なものだ。

 肉が焼ける匂いをかぐと、体の奥底から興奮が駆けあがってくる。私はよだれのしたたる口を開け、肉にかぶりつく。



 冷たい月の光。私は土を掘る。枯れた木の上で、カラスが目を光らせている。

 食べた後になると、体にしみついた悪臭が鼻をつく。ミントをかみながら、私は穴に内臓や骨を放り込む。土をかぶせて、深い溜息をつく。

 全身に疲労感が満ちて、私は座り込んだ。あの高揚の代償なのだろうか。ミントでも、においはごまかせない。私は食べたばかりのものを、内臓から吐き出した。


 いつものことだった。


 人を初めて食べたあの日。過ちのはじまり。自分を忘れて人を殺し、貪り食うようになってしまった。

 地面に拳を打ちつける。

 胃液で焼けた喉が強烈に痛む。渦を巻く後悔の中心には、いつも同じ思い。

 だって、食人ほどの大罪を犯さなければ、あの人は諦めてくれなかったから。

 私との間にある、燃えるような恋を…………。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



 ――はっ!!!!!!!

「大丈夫っすか?先輩。うなされていましたよ」

「嫌な夢を、見てな……」

 私の呼吸は、めちゃくちゃに速くなっていた。心臓が破裂してしまいそうだ。

 ちなみにうさぎは汗をかかない。人間だったら、汗びっちょりな場面だろうが。

「もしかして、人間を食べる夢ですか?」

 勘の良いヤツめ。小さく頷く。

「そりゃサイナンでしたね。お口直しに、クローバーでも食べましょう」

 日の落ちかけた広場へ、ジョンソンは駆け出した。



 私はうさぎであることに安堵していた。シャキシャキクローバーの甘酸っぱさよ。肉を食べる生き物だったら、思い出してしまっていたことだろう。

 あの後味は最悪だ。色んな意味で。

 こんなんで、私はいつか人間を食べられるんだろうか……。

 元気に口を動かしていたはずのジョンソンが、舟をこいでいた。地面に鼻をぶつけ、ハッと顔を上げる。

「起こして悪かったな」

「いえ!たまには早起きもいいですよ。暗くなってきましたし」

 ジョンソンは垂れ耳をピクピク動かした。



「この辺りだったよなあ、うさぎがいたの」

「そうですね!」

 自転車を引く音と共に、楽し気な会話が近づいてくる。

「この声は、登校できない女の子と野球部?」

「そうですね!」

 似たような会話を交わして、私たちは2人を待つ。



「練習長引いてごめん。暗くなってきちゃったね」

「いいんですよ!私が好きで待ってるだけですから」

「好きって、俺のことが?」

「あ、え、えっと……」

「おやおやおやあ」

 ジョンソンが鼻をひくひくさせる。

「いい感じじゃないっすか」

「ずるいよ……」

 女の子は、小さすぎる声で言う。うさぎにはばっちり聞こえているぞ。

「甘酸っぱいっすねえ」

 にんじんの前菜にはもってこいだな。



「あ!いた!」

 女の子が駆け寄ってくる。

「わーい。久し振りっす!」

「最近来れなくてごめんね。にんじんどうぞ!」

 おお、にんじんよ。忌まわしい人間の味を上書きしてくれる、根菜の甘味。

「食いつきいいなー」

 さわやか野球部は、目尻を細める。

「お腹空いてたのかもしれません。最近来てなかったから」

「学校、行くようになったんだっけ?」

「はい……。保健室登校、ですけど。行きたい高校があるんで」

「偉いじゃん!俺応援してるよ」

「あ、ありがとうございます。……わ、私も、先輩の応援、行きますからね!」

「まじか!嬉しいな」

「ひひっ。お幸せに!」

 ジョンソンが、ひそかにウィンクした。



 久々のにんじんを堪能した私たちは、人気のない広場で追いかけっこをしていた。

「だから……ジョンソン、手加減してくれよ……」

 私は半分くらい小さいので、ちっとも追いつかない。

「いい運動!まだまだ行きますよ!」

 無茶言うな。こっちはもうヘトヘトなんだぞ。

 ジョンソンは走り出したが、足音を聞いて一瞬止まる。私たちは、逃げるように茂みへ駆けこんだ。



 近づいてくるのは、男女の楽し気な話し声。

「またっすかあ」

 今度は、もっと親密そうな感じだ。年齢も上っぽいし。

 わざわざ人の少ない道にやって来るとは……なかなか通だな。



 街灯の下で明らかになった顔を見て、私は思わず飛び跳ねた。

「知り合いっすか?」

「ジョンソンが来る前に、公園に来てな……。残業終わりで疲れ果てて、私のことを昔飼っていたうさぎと勘違いしたサラリーマンだ」

「面白いヤツですねえ」

 なかなか気持ち悪かったけどな。

 あの後、介抱してくれた女性といいカンジになっていたが……。隣にいるのは、まさにその女性だろう。サラリーマンは、前よりも顔色が良くなっていた。スーツも髪型もピシッとして、風体のあがらないサラリーマンだったとは思えない。

 今なら食べ応えがありそうだな、なんて考えてしまって、私は頭をブンブン振った。



「ここだったよね、君と初めて出会ったのは」

 街灯の下で、サラリーマンが立ち止まる。

「ふふふ。そうね。びっくりしたわよ。朝からぶっ倒れてる人がいるんだもの」

 2人は顔を見合わせて笑う。

「俺、前の会社は本当にブラックで、死ぬことばっかり考えてたけど、君のおかげで、思い切って転職することができた」

「何よ、あらたまって」

 女性が、キラキラした瞳でサラリーマンを見上げる。

「今の会社はホワイトで、仕事もやりがいがあって……。家に帰ったら君もいるし。信じられないくらい、毎日が楽しいんだ。ほんと、夢見てるみたいで。君には、感謝してもしきれないよ」

 サラリーマンが、ポケットから箱を取り出す。

「返事、今じゃなくていいから。俺の気持ちを、受け取ってください」

 パカッと開けたら、指輪が現れる。街灯の細い灯の下でさえ、スポットライトを浴びたみたいに輝いていた。

「おおおー!!!」

 ジョンソンが身を乗り出す。

「え、ちょっと……。ほんと?」

 女性が、何度も瞬きをする。声が震えていた。

「本当です。結婚を前提としたお付き合いをさせてくだい!」

 サラリーマンが頭を下げる。

 女性が、そっと指輪を手に取る。右手の薬指にはめ、その手を差し出した。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「わ、わああ……。よかった!」

 サラリーマンが泣き出す。

「もう、ここは私が泣くところでしょ」

 と細めた目に、涙が光っている。

「まだ付き合って2ヶ月くらいだからさ……早すぎるって言われるかもってさ……」

「私も、全く同じこと考えてた」

「そうなの?」

「うん」

 サラリーマンが、女性の手を握る。2人は、ゆっくりと歩き出した。

「今日のごはん、ちょっと豪華にしようか」

「ぐす。高いお肉買おうか」

「この時間なら、割引されてるかもしれないしね」

「ちゃっかりだなあ」

「当たり前でしょ。オトクにおいしいものを買って、その分ケーキを食べましょうよ」

「いいね!明日行こうか」

「おやつにね」

 2人は、ピッタリと身を寄せて笑った。



 おそらく、現在世界で最も幸せな2人が去った後、どちらからともなく溜息をついた。

「やっぱ、先輩、ホンモノじゃないっすか?」

「何が?」

「とぼけないでくださいよ!本当に、恋愛成就の神様でしょ」

「そんなわけないだろ。神様が捨てられてたまるか」

「分かりませんよ?動物愛護の神様だって、だいぶいい加減だし」

「まあ……」

「今度は、僕たちにも、なんかいいことあるかもですね」

 いいこと、って、なんだろう。

 やっぱり、安心できる家の中で、暮らすことだろうか。安心できるパートナーと。

 サラリーマンたちに影響されているのか、私は元ご主人様の顔を思い浮かべていた。

 今も楽しいが、やっぱり、家にいた頃が良かった。

「先輩?」

「はっ」

「考えごとっすか?」

「いや、なんでもない」

「今度は、どんなカップルに会えるっすかねえ!楽しみっす」

 ニコニコするジョンソンが、元ご主人様の笑顔に重なった。

サラリーマンたちの出会いは、第3話「終電逃しのサラリーマン」参照です!あわせてぜひ。

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