エピローグ
孫にせがまれて買ってやった『人生ゲーム』。
孫は、家に帰るとすぐさまそれを開けて出してくる。
そして言う。
「爺、このゲームやろうよ。」
疲れていた私は何とか逃れようとする。
「一人で遊びなさい。」
「嫌だ! ひとりじゃあつまんない。」
そんなこんなで、とうとう孫に付き合わされることに・・・。
やってみて初めて気が付いたのだが・・・。
『人生ゲーム』には“あがり”というゴールがある。
参加者の誰が一番最初にここに辿り着くかを競うもののようだ。
で、皆さんに質問である。
例えば、後2つで“あがり”というところまで来たとしよう。
で、次の目で3が出たとしよう。
私は、これで“あがれる”のだろうか?
それとも、行き過ぎて、またひとつ戻ることになるのだろうか?
私は、別に、このゲームのルールを知りたいわけではない。
ただ、この年齢になると、「人生に“あがり”なんてない」と思うようになる。
そこを目指して生きてきたのではないと感じるようになる。
事業の成功や、大金持ちになることが“あがり”のようにゲームは作られているが、現実の人生では、それはどこまで行っても“まだ人生の途中”なのだ。
そう、先ほどの例で言えば、ゴールを行き過ぎて戻ることにこそ価値がある。
それでも、ゲームのように、簡単に振り出しに戻れることはない。
やり直しも利かない。
決して、目指している訳ではないが、人生のエンドは「天に上がること」、つまりは死ぬことなのだ。
そこまでをしっかりと描けてこそ、本当の意味での「人生のあがり」だろうと思う。
(完)