その96
「ですから、そうした難しい、非常に難しい課題を乗り越えたとき、この国インドは我々日本人を超えていく可能性すら感じるんです。
そうした民族の胎動って言うんでしょうか・・・。
終戦時のあの敗北感、挫折感から立ち直った日本人と同じ力強さをね・・・。」
春田部長は、また旨そうに紫煙を吐きながら言ってくる。
「な、なるほど・・・。」
私は、そう言うしかなかった。
これが、私と春田部長との出会いである。
いや、大松工業という日本企業との出会いだった。
もちろん、この時点で私がその会社に就職をするなどということは考えていなかった。
それでも、こうした出会いが、その後大学を卒業しようとする私に強いインパクトを与えていたのは間違いがなかった。
平成の今になって言えることだが、当時、そのインドの大地で聞かされたこうした話は、まさに今日のインドと日本を示唆していた。
日本は、戦後の高度成長期を終えてしまい、言わば「低成長期」に嵌まってしまった。
その一方で、インドは、まだカースト制度を維持しつつも、それまでにはなかったIT産業に活路を見出し、今や中国に次ぐ発展途上国にまでなっている。
そうした時代の息吹を、既に戦後10年ちょっとの時代に感じていた日本人がいたのである。
私は、こうした出会いをきっかけに大松工業に入社をし、そしてその会社を定年まで勤めた。
そして、今は、実質的には初恋だったと言える家内とふたり、年金生活を暮らしている。
子供、そして、孫・・・。
決して、昔のように3世代が同居するような生活ではないものの、互いに1時間程度で行ける距離で、それぞれの生活を営んでいる。
もう「いつ、お迎えが来ても良い年齢」になってはいるが、さりとて「座してそれを待つ」つもりもない。
今は、大松工業のOB会の会長をさせてもらっており、後輩達の相談にも沢山乗っている。
そして、これからの日本の向かう方向性を私なりに考えたりもしている。
今、大松工業の社史を編纂している後輩が訪ねて来ている。
昔の話を聞かせて欲しいと言う。
その傍らで、にこにこ笑っている家内の笑顔が私の幸せである。
(つづく)