その95
「国を発展させるには、やはり国民ひとりひとりの力を充実させていく必要があります。
そして、そのエネルギーの向かう方向性をコントロールしていく必要もあります。」
春田部長は、また煙草を取り出してくる。
「そ、そうなのでしょうね・・・。」
私は、そういう以外の術を知らなかった。
「この国の背景を語る場合、ヒンドゥー教を抜いては語れません。
それは、宗教という側面ではなく、社会習慣や文化や価値観と言ったものすべてにヒンドゥー教が関わっているからなんです。
政治や経済もその例外では無いんです。
もちろん、世界中から非難を浴びているカースト制度もです。」
「・・・・・・。」
「日本では考えられないでしょうけれど、それだけ、ヒンドゥー教とこの国は表裏一体の関係にあるんです。
良いも悪いも含めてね。」
「な、なるほど・・・。」
「日本は戦争に負けました。
その責任は天皇にあるし、天皇制は廃止すべきだと諸外国は考えた。
それでも、日本は、いや日本国民は天皇制を残させた。
それが戦争に負けた日本人としての唯一の誇りだったんでしょうね。」
「・・・・・・。」
「確かに、国内でも天皇制に批判的な考え方はありますが、それでも大多数の日本人は天皇制が残った事で、またひとつになれたと考えている。
だからこそ、こんな短期間での復興を成し遂げた。
この国インドは、それと同じことを国民に求めたいと考えている。」
「えっ!? そ、そうなんです?」
「これは、あくまでも私の個人的な見方ですが、どうにも、そう思えて仕方ないんです。
天皇制に対する日本人の感覚は、その制度の是非や善悪論を超越しています。
それは、インドにおけるヒンドゥー教の存在に近い感覚なんだろうと思うんです。」
「・・・・・・。」
「他国が何と言おうとも、その制度はよろしく無いと言われても、営々と民族として長く親しんできたものは、どうにも捨てられない。
日本が天皇制を少しだけ修正することで世界に認めさせたのと同じように、現在のカースト制度を少しだけ修正することで世界に認めさせたい。
そんな難しいことを、この国は考えているんじゃないか。
そんな気がしてならないんです。」
「・・・・・・。」
「こう言う私もインド人ではありませんから、その奥底にある本当の感覚というものが理解できていない可能性はあります。
それでも、彼らと話していると、明らかに欧米人とは違った対応を見せてくれるんです。
そうですね、同じ痛みが分かる民族同士って感じなんですかね。」
春田部長が3本目の煙草に火をつけた。
(つづく)