その92
「終戦後、日本の責任を問うための極東軍事裁判が開かれたんですが、その場に出席していたインド代表判事のパールという人物が、“イギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪である”という日本無罪論を展開したのは有名な話です。」
春田部長は、まるで我が事のように嬉しそうに言う。
「えっ! 日本は無罪?」
私は驚いた。
事実、その国際裁判では、日本の軍事犯罪が認定される結果となったからである。
「おまけに、インドは1951年のサンフランシスコ講和条約には参加をしなかった。
これについて、インド初代首相のネールは、“日本は謝罪が必要なことなど我々には何ひとつしていない。従って、インドは講和会議をボイコットするし、その条約に調印もしない”と言ったそうです。」
「そ、そこまで・・・。」
「当時の世界情勢の中では、日本を擁護する国など他にはいなかったんですよ。
アメリカを始めとした資本主義国もソビエトを中心とした社会主義国でもね・・・。
世界中が日本を叩いた。」
「・・・・・・。」
「日本には、“勝てば官軍、負ければ賊軍”という言い方がありますが、まさにあれでしたね。
戦争に負ければ、そのすべての責任を負わされる。
そうした状況でしたからね。
それなのに、この国インドだけは、そうした日本を擁護した。
賠償金も求めなかった。
まだ、独立したての新興国なのに・・・ですよ。
自ら、世界で孤立するのを覚悟の上で、そこまで踏み込んだんです。」
「・・・・・・。」
「こうした事実から見ても、この国インドが、日本をより身近な国として敬愛してくれているかが分かるでしょう?
だから、日本もすぐさまこれに応えた。
講和条約の翌年にはインドと国交を樹立し、同じ年に平和条約も締結してるんです。」
「そ、そうだったんですか・・・。」
「だからこそ、私は、この国に何かを返したいと思っているんです。
大層な事は出来ないのは分かってはいるんです。
それでもね、私が出来る範囲で、この国の人々の役に立ちたい・・・。
それが、日本人としての私の責任じゃないか・・・。
そんな気がしてるんです。」
春田部長は、展示されている耕耘機などに群がる人々に視線を向けて言う。
「だ、だから、自ら志願して?」
私は、おっかなびっくりで問う。
「ええ・・・、それが、私のこの国に対する原点なんですから・・・。」
春田部長は、ポツリと小さな声で答えてくる。
(つづく)