その86
「ど、どうしてです? こうして、日本製の製品を輸出できれば・・・。」
私は、その点については春田部長の意見に異議を唱えた。
戦後、日本は「工業立国」を目指して努力を重ねてきた。
その背景には、やはり敗戦による教訓が強く影響をしていた。
アメリカの圧倒的な工業力、つまりは、軍艦や戦闘機の生産能力、そして通信技術の高度化に屈服したという思いが強かったからだ。
これからは、そうした工業力を技術力を高めなければ、日本は復活できない。
そうした意識が戦後の爆発的なエネルギーを生み出したと言っても過言では無い。
「これまた、大学に行っている君には釈迦に説法なんだが、日本にはかつて“士農工商”という身分制度があった。」
春田部長は、突然のように話題を切り替えてくる。
「それを打ち破ったのが、あの“明治維新”だ。
この国、インドは、今、その時代に当たる。」
「ん?」
私は、その話題を持ち出されたことが理解できない。
「インドには、昔からカースト制度と呼ばれる身分制度ある。
大英帝国からの独立後に制定された憲法には、そうした身分制度を禁止すると謳ってはあるが、現実的には、まだまだその制度から脱却できてはいない。
日本の士農工商の歴史はどう言っても浅い。
この国のカースト制度は紀元前13世紀が始まりとされているから、もう民族の遺伝子に完全に刷り込まれているんでしょうね。
おまけに、ヒンドゥー教がその背景にあるものだから、そうした社会通念から抜けられない。」
「・・・・・・。」
「つまりは、日本は、明治維新をキッカケに、それまでの鎖国政策を廃止し、諸外国からの文化や技術を吸収することで急速な近代化を果たした。
その一方で、この国インドは、いまだに“夜明け前”の状態なんですよ。
カースト制度がそれを邪魔している。」
「な、なるほど・・・。」
私は、自分の勉強不足を思い知る。
そりゃあ、インドにはカースト制度と言う階級制度があるぐらいの知識は持っていた。
学校の試験にも出たからだ。
それでも、このインドの旅行を思いついたとき、そうしたことは殆ど頭の中には残っていなかった。
ただ、インド仏教の古い遺跡などの情報を集めたのが関の山だった。
「この国インドが、名実共に“独立による維新”をやり遂げたとき、もう日本の比ではないだろう。
その怖さが私にはあるんです。」
春田部長は、耕運機に群がる現地の人々を眺めながらそう言った。
(つづく)