その80
「さて、そろそろ始めるか・・・。」
島本は、腕時計に視線を走らせてから言う。
そして、私に向けて言葉を繋いでくる。
「ここからは大松工業の仕事だ。君は、適当に見学していてくれれば良いから。」
「あ、はい・・・。」
私はそう答えるほかなかった。
そして、部下達の所へと歩いていく島本の後姿を目で追うだけになる。
正直、ふと淋しさを覚えた。
昨日から今日に掛けて、彼らは非常に親しげに私に接してくれていた。
それは、互いにインドという異国の地で出会った日本人という感情があったからだろうとは思う。
私も日本語が通じる嬉しさを実感したものだった。
だが、ここに来て、「ここからは大松工業の仕事だ」と言われると、やはり私だけが彼らとは別なのだ。
彼らからすると、私はあくまでも“お客さん扱い”なのだと思い知らされる。
と、後方から車の音が聞こえた。
そう、今、私達が走ってきた同じ道からだ。
振り返ると、黒の乗用車がトロトロと走ってきていた。
な、何と、その車は日本車だった。
その乗用車は、私の横をすり抜けるようにして、人が集まっている建物の方へと向かう。
そして、そこで、ようやく停車する。
乗り付けたという感じだ。
中からふたりの男が降りてきた。
どちらも中年の男性のようだったが、ひとりは明らかに日本人と分かる顔で、もうひとりはこれまた典型的なインド人の顔をしていた。
「部長、ご苦労様です。」
そう言って駆け寄ったのは島本だった。
どうやら、乗用車から降りてきた日本人は春田部長と呼ばれる人物だったようだ。
その春田部長が、同行してきたインド人を部下達に紹介したようだったが、少し距離がある場所だったから、その詳細は私には分からなかった。
そのインド人と春田部長が並ぶようにして、準備されていた椅子に腰を下ろす。
モルタル造りの建物の前である。
どうやら、これから展示会開始のセレモニーが始まるらしかった。
島本と何やら話していたチャイ君が集まっていた人々に声を掛ける。
もちろんヒンディー語なのだろう。
何を言っているのかは、私にはさっぱり分からない。
恐らく、日本語で言えば、「ただいまから耕運機の展示会を始めさせていただきます」とでも言ったのだろうと推測するだけだ。
それでも、人々からは拍手が沸いた。
(つづく)