その77
「せ、責任ですか・・・。」
私は、自分の気持にある小さなしこりのようなものを掴まれた気がした。
正直、痛かった。
「そうだ。今の若いものは、何かあるとすぐに“僕の自由です”と口にするが、その自由と言う権利の裏返しには、“僕の責任です”という義務があることを見落としている。」
「ぎ、義務・・・。」
「そうだろ? 民主主義ってのは、国民に主権が在ると言う考え方だな。
大学に行っている君には“釈迦に説法”なんだろうが・・・。」
「・・・・・・。」
「それは画期的な考え方だし、これからの日本、いや世界をリードする考え方なのだろうとは思う。
国民自身が自分の意思で国の方針を決めることが出来るんだからな。
一昔前の日本では考えられなかったことだ。
でもな、長い間“上意下達”に染まってきた日本人は、“自由”という明るい表の面だけを受け入れて、その裏にある“責任”とか“義務”とかいう重たい面から目をそらせている傾向があるんじゃないかって思うんだ。」
「・・・・・・。」
「君も、そうして大学まで行って必死に勉強している。
でも、それは、誰のためだ?」
「だ、誰のため?」
「ああ・・・、誰のために、そこまで勉強するんだ?」
「や、やっぱり・・・、僕自身のためですかね。」
私は、そうは答えたものの、それを口にするのを憚る気持がどこかにあった。
「大学を出れば、就職をしても高い給料がもらえるから?」
「・・・・・・。」
私は、さすがにその答えは口に出来なかった。
高校から大学へ行くとき、就職をする選択肢もなかったわけではない。
ただ、両親とそうした話になったとき、「これからは大学だ、学歴が物言う」と言われてそれに従った。
いや、本音は、最初から「そうしたい」と思っていた。
かと言って、その当時に、今口にした「自分のために」という改まった自覚があったものではない。
クラスの半分が大学進学を目指していたからだ。
その結果は別として、やはり大学受験に挑戦したいという意識があったのかもしれない。
「終戦前は、大学に行く目的ははっきりとしていた。
さっきも言ったが、徴兵制があったからな。
大学に行っておれば、26歳までは徴兵が猶予された。
しかも、その後、徴兵されたとしても上級士官としての扱いが約束されていた。
つまりは、命を長らえるための選択肢だったんだからな。」
島本は、答えない私に諭すように言ってくる。
(つづく)