その76
「帽子を載せる台・・・ですか・・・。」
私は、ふと自分の頭に手をやった。
「戦争時、国民は考えることを抑圧されたし、将来を考えないようにしてきた。
国あっての国民だと言う思想が徹底されていたからな。
でも、戦後、民主主義というアメリカの考え方が導入された。
教育方針も書き換えられ、国よりも国民主体の価値観が教え込まれた。
いわゆる個人主義だ。」
「こ、個人主義?」
私には、些かの抵抗感があった。
「だからと言って、俺は、戦後教育が間違っていると言ってるわけじゃない。
戦時の帝国絶対主義が正しいとも言わない。
それでもな、これからの日本、これからの日本人の生き方を考えたとき、何か物足らなさを感じるんだ。
いや、もっと過激に言えば、危うさのようなものまで感じるんだ。」
「危うさ?」
「ああ・・・、戦後、生き残った我々は、国をそして自らの生活を再建する、つまりは復興に力を注いできた。
何も無いところから、知恵と経験とそして自らの身体を使ってひとつひとつその階段を登ってきた。」
「そ、そうですねぇ・・・。」
「その階段も、ある一定のところまで来たような気がする。
この十年とちょっとで、日本は戦前の水準、いや、それ以上のレベルまでに国力を回復させた。
政治家の中には、既に戦後ではないと豪語する奴等も出てくるまでになった。」
「た、確かに・・・。」
「そこで、新たな目標が必要となる。」
「ん? 新たな目標って?」
「これから、我々はどこに向かうべきなのかってことだ・・・。」
「どこに・・・。」
私は、まるで自分に問われたように思った。
「それは、日本と言う国にも問われているんだろうが、それを構成する我々ひとりひとりにも問われているんじゃないだろうか。」
「・・・・・・。」
「帝国と言われたときには、良いも悪いも、国家の指導者の指示通りに動けばよかった。
その結果、あの屈辱的な敗戦に繋がったんだが、今は、国の指導者にそれだけの力は無い。
つまり、我々は、誰かの指示を待つのではなく、自らの頭と身体でこれからの道を決めなければならない。
自由なのだが、それだけその道を選んだ責任は自分に戻ってくる。
そうは、思わないか?」
島本は、部下達の作業を見つめながらゆっくりと言ってくる。
(つづく)