その75
「そうした販売ノルマってのがあるんですか?」
私は気になった。
そうであれば、邪魔をしてはいけない。そう思った。
「今の若い人は、何かそうした指標と言うのか、目標と言うのか、そうしたものを与えないと、動けないんですよ。
まあ、同じ年代の君に言う事ではないんだが・・・。」
島本は少し考えるように言う。
「俺なんかは、今日、明日の命を繋ぐことで必死だった。
その連続でやって来た。
だが、戦後の教育、戦後の大学で育った人は、そうした切迫感が無い。
ああ・・・、平和になった・・・。そうした安堵感に支配されている。
そんな気がするんだ。」
「・・・・・・。」
私は、何ひとつ反論できなかった。
私だって、子供心に戦争の思い出は色濃く影を落としている。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
それでも、確かに「命の危機」を感じたことは無い。
空腹は覚えても、餓死を意識する事はなかった。
決して旨いものではなかったが、何とか食べることだけは出来ていた。
で、疎開地から実家のあった京都に戻ってからは、学校に復帰した。
京都は殆ど空爆を受けなかった。
もちろん、それがアメリカ軍の意思だったとは知らなかったが・・・。
したがって、実家も何の被害を受けることもなく、昔のまま残っていた。
幸運だと言えば、そうだったのだろう。
学校の校舎も無傷だった。
それからは、私も常に上の学校を目指す事だけを目標に勉強をしてきた。
そして、自分の目指していた大学に合格をした。
その間、挫折というものは殆ど感じなかった。
それも、幸運だったと言うべきなのだろう。
そうした中でのインド旅行だった。
大学を卒業したらどうする?
それが見えていなかったからかもしれない。
自分をある意味で追い込んでみたかったのかもしれない。
新たな目標を見つけるために・・・。
「春田部長と相談の上、彼らにはノルマを科した。
しかし、それは何も彼らの尻を叩くためのものじゃあない。
それでも、そうしたものを与えないと、彼らは楽な道を選択する。
後一押しが出来ないんだ。
頭は良いのだろう。
だが、その良い頭の使い方を知らない。
頭は、帽子を載せる台じゃないんだし・・・。」
島本は、そう言って私の額を指差した。
(つづく)