その70
「ああ、学徒動員、正式には学徒出陣と呼ばれた制度は昭和18年に始まったんだ。」
島本は、まるで大学教授がゼミで話すような言い方をする。
「当時、大学、高等学校、専門学校の生徒は26歳までは徴兵を猶予されていた。
つまり、高等教育を受けている期間は兵隊に取らないってやっていたんだ。
だが、戦局の悪化で、つまりは多くの兵隊を死なせたために、とうとう兵隊の絶対数が足らなくなった。
で、当時の東条内閣が在学徴集延期臨時特例というのを発令した。」
「・・・・・・。」
「これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するというものだった。
つまりは、徴兵を猶予するという特例を撤廃したんだな。
これが学徒動員、あるいは学徒出陣と言われるものだ。
背に腹は替えられないってことだったんだろうな。」
「・・・・・・。」
「それでも、理工系と教員養成系の生徒は残した。
当時の内閣は殆ど良い判断をしてこなかったが、これだけは唯一将来の日本を考えた良い判断だった・・・。
少なくとも、俺はそう思う。」
「・・・・・・。」
私は何とも答えようがなかった。
「その大松工業の工場跡地にも、そうして生き残った若者がいたんだ。
彼らは必死に作業をしていた。
俺が通い始めて3日目ぐらいには、それこそ掘建小屋程度だったが、屋根も壁もある工場らしき建物が出来上がっていた。
そして、どこからどうして持って来たのかは分からなかったが、車のエンジンのようなものを幾つも分解したり、組み立てたりするようになっていった。」
「・・・・・・。」
「それを見たとき、いや、そうして作業をしている彼らの顔を見て、何と明るい顔をしてるんだろうって・・・。
もう何年も、そうした明るい元気そうな顔を見たことが無かったしなぁ・・・。」
「・・・・・・。」
「それが、キッカケだ。
食べ物を運んだ後、じっと彼らの作業を見ていたんだ。
もともと、俺もそうしたことが好きだったしなぁ・・・。
と、ある時、臨時作業員募集って張り紙が工場の表に張り出されたんだ。」
「えっ! じゃ、じゃあ・・・。」
「ああ・・・、もちろん、すぐに応募したさ。
現金収入も欲しかったしな。」
「・・・・・・。」
私は、ひとつのドラマを見せられたような気がした。
(つづく)