その67
「そ、そうですよねぇ・・・。」
ですから、昨日でも、大人よりも子供の方が耕運機に興味を持っていましたしねぇ・・・。」
運転席の前田が同調する。
「そう、だからこそ、その子供たちが大人になる時代には、きっとこの国はアジアで相当な力を持つだろうと思うんだ。
その力になりたい。
それが、我が社が考えているアジア戦略なんだ。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
島本の言葉に、若い二人の社員は大きく頷くようにし、私はそうした会社がインドに社員を送り出していることに感動すら覚えた。
「確かに、戦後の反日感情はアジア諸国にある。
それは、同じ日本人として背負わなきゃいけないことだってのは分かっている、
いや、だからこそ、これからはそうしたアジアの国々の役に立つ日本で無ければいけないんだと・・・。」
「・・・・・・。」
「君達、知っているか? 我が社も、もともとは戦車の足を作ってたんだ。」
島本が後輩達に問う。
「せ、戦車って、あの戦車です?」
佐々岡が驚いたように言う。
「あはは・・・、もちろん戦争に使ってた戦車だ。
その足にはキャタピラーが付いているだろ?」
「え、ええ・・・。」
「それを作ってたんだ。もちろん、お国の命令でなんだが・・・。
だから、その当時は、経営陣にも陸軍関係者が派遣されていたぐらいだ。
軍事機密を守るって名目でな。」
「・・・・・・。」
「で、戦争に負けた。
駐留軍がやってきて、そうした設備はすべて解体をされた。
当時、その製造に関わっていた春田部長は、泣いたそうだ。
それでも、あのキャタピラーの技術は、何も戦車のためだけじゃあない。
そう考えた会社は、あくまでも民生機械に限定するからと、アメリカに何度も交渉したそうだ。
作ることを認めとくれと。」
「・・・・・・。」
「それでもなぁ・・・。当時の駐留軍は、日本の再軍備が脅威だったんだ。
だから、徹底して軍備に関係する製造や開発を認めなかった。
その顕著な例が、航空機、つまりは飛行機だ。
何しろ、あの高名なゼロ戦を作った技術があったからなぁ・・・。
いまだに、日本には飛行機を作らせていない。」
島本は淡々と話してくる。
(つづく)