表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/98

その59

こと、家内のことになると、「僕と付き合ってください」というたった一言が言えない。

毎回、今日こそは・・・、との覚悟で行くのだが、八坂神社で家内の顔を見ると、もう何も言えなかった。

せいぜい、「これください」とお守りなどを指差すのが関の山だった。


初めて家内を見たのが元旦である。

そう1月1日である。

そして、今日は既に1月の14日になっている。

つまりは、2週間もの間、毎日家内の顔を見に行ったのに、とうとう昨日まで何も言えなかったのだ。


これが仕事であれば、こんなに手間取る事はない。

戦略を考えたとしても、数日だけだ。

私の仕事の仕方から考えれば、少なくとも5日には答えが出ていた筈なのだ。

例え、その結果がどう出ようがだ・・・。


もちろん、仕事の上で、最初から失敗をしようと考える馬鹿はいない。

当然に成功することだけを考えて戦略を練るものだが、それを考えること自体が楽しくもあった。

先輩からも、「成功した自分をイメージして・・・」と教えられていたから、常にプラス思考でやってきていた。

そして、そのイメージどおりに成功すると、その悦びは数倍に膨らむものだった。



こうして、もう何年もの間来ていなかった「清水の舞台」に立ってみて、私は自分の中に「失敗を恐れている私」がいることに改めて気が付く。


就職をしてからというもの、ここまで「最初の一歩」が踏み出せないことはなかった。

もちろん、小さな失敗は何度も繰り返している。

それでも、それは「次回こそ」という思いで乗り越えてきた。

そういう意味においては、結構楽天的な性格だったのかもしれない。


大きな仕事をある程度任されるようになっても、私の中にはその楽天的な思考われるようなことはなかった。

たまたまかもしれないが、周囲の上司や先輩、後輩に支えられて、その大半を成功裏に終えていた。

それが次へのエネルギーにもなった。


それなのに、こと家内のことになると、「断られたらどうしよう」という思いがまず最初に来てしまうのだ。



「確かに・・・、ここから飛び降りるのには勇気が要るだろうな。」

私は、舞台の最前列に立って、その下を覗き込む。


ただ、どこかで誰かから聞いた話だと、ここから飛び降りてもその死亡率は15%程度らしい。

逆に言えば、85%の人間は死ななかったらしい。


そう考えて下を覗くと、とても自分の意思で飛び降りる気にはなれないが、それに類した感情というか、物事に対する覚悟は何となくだが判るように気がしてくるから不思議だ。



(つづく)




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ