その5
家内とは3年付き合って結婚をした。
ひとつには、付き合い始めたとき、家内がまだ大学の2回生だったことがある。
そうなのだ、私とは10歳の年の差があったのだ。
現代であれば、それこそ「年の差カップル」と言われただろう。
だが、その当時は、5歳差なんてのはザラだったから、10歳の年の差もそんなには感じなかったし、騒がれもしなかった。
もうひとつには、相変わらず、私の職場が京都から遠く離れた場所だったこともある。
そう、今で言う「遠距離恋愛」であった。
だから、3年付き合ったと大見得を切ってはいるが、実際のところ、その間に毎日のように顔を合わせられていたのは、通算しても僅か数ヶ月程度だ。
半年に1度、盆休みと正月休みにしか京都に戻れなかったからだ。
現代の若者であれば、きっと破局を迎えていただろう。
それでも、ふたりの間は、決して冷めていくようなことはなかった。
それどころか、離れているがゆえに、必死に相手のことを思い続けていたようにも思う。
もちろん、毎日のラブレターは欠かさなかったし、家内も週1回の返事は書いてくれていた。
やがて、家内が大学を卒業する時期が近づいて来た。
その時、初めて、家内が私に相談事を書いてきた。
卒業したら、中学校の先生になるつもりだったが、どう思うかと。
そして、世話になった大学の教授が、研究室の助手として残っても良いからと言ってくれていると。
どっちが良いか、教えて欲しいと。
私は、これは家内が選択を迫っているんだと受け取った。
つまり、「いつ、私と結婚をしてくれますか?」と問うて来たのだと思ったのだ。
で、私は、上司に「転勤願い」を提出した。
もちろん、その理由欄には「結婚するため」と書いた。
受け取った上司は、「難しいかもしれないよ」と言っていたが、どこでどう間違ったのか、次回の人事異動時期には考慮するとの回答が会社からあった。
私は、そこで「結婚」を完全に意識した。
そして、その冬、京都に帰省したとき、家内に「結婚して欲しい」と申し入れたのだった。
家内は「はい」とだけ答えた。
ただ、「正式には、然るべき人を立てて、両親に申し込んで欲しい」と言われた。
恋愛結婚ではあるのだが、やはり家同士の繋がりを重視する風潮がまだまだ強い時代だったこともある。
ましてや、互いの実家は、京都に根を張った旧家同士だったからだ。
やはり、両家からの祝福を受けたいと思うのが花嫁となる家内の気持だったようだ。
(つづく)