その53
「そっかぁ~・・・、だったら、今は幸せってことだな?」
私は、正直、兵頭のことを羨ましく思った。
何しろ、大人の男としての余裕が感じられる。
とても、同じ大学で共に学び共に遊んだ親友とは思えなくなっている。
大学の同期なのに、私はまだ平社員だ。
おまけに、結婚すらも出来てはいない。
別に焦ってはいなかったが、さりとて充実した20代を過ごしてきたとも思えない。
確かに、仕事についてはそれなりにいろいろと勉強も積み重ねてきた。
大学で学んだ基礎工学的な知識だけでは、現実の経済を動かしている多種多様な工作機械や建設機械の開発は出来ないことが痛いほどに分かった時期でもあった。
その点、この兵頭は、大学時代から「家業を継いで漬物屋になる」と宣言をしていた。
そして、その宣言どおりに、家業に専念した。
「漬物屋になるのに、どうして工学部なんだ?」と冷かしたものだったが、当の兵頭はただにやにやして私の言葉を聞き流していた。
そして、本人が言うように名ばかりかもしれないが、紛れもなく「専務さん」なのだ。
つまりは、父親が彼をして「後継者」と認めた故のことだろう。
何より、この兵頭には家族がいる。
彼の言葉を借りるならば「守るべきもの」がいる。
しかも、間もなく3人目の子供が生まれると言うのだ。
男としての充実感が全身から溢れてきて当然なのかもしれない。
「う~ん、幸せかどうかって、そうしたことを考えたことはない。
ただ、自宅に帰って、子供の寝顔を見たとき、“ああ生きているんだ!”って感じる。
この安らかな寝顔をずっと守りたいとは思うんだが・・・。」
兵頭は、私の問いにそう答えてくる。
「・・・・・・。」
私は、その言葉に返せるだけのものは持ち合わせていなかった。
「人間、“幸せだ”って感じられる瞬間ってのは、一生のうちにそう何度もあることじゃない。
少なくとも、俺はそう思ってるんだ。
ただな、妻や子供が、俺の妻であって良かった、俺の子供に生まれて良かった、そう何度感じてくれるかだろうって思う。
それが男としての生きた価値じゃないのかな?
自分がどう思えるかではなく、家族がどう感じるかだ。
男って、そういう生き物だと・・・。」
兵頭は、コーヒーを飲みながら、ゆっくりと話してくる。
「だからって言う訳じゃないんだが、山沖も早く結婚しろよ。
自分が守ろうとするものが大きければ大きいだけ、男は頑張れるものなんだから。」
兵頭は、まるで私に止めを刺すように最後にそう言った。
(つづく)