その36
「そ、そうか・・・、聞いてなかったか・・・。
いや、如何にも房ちゃんらしいなぁ・・・。」
支店長は少し遠い目をしてそう言った。
「実は、もう随分と昔の事なんだが・・・。
私も、軍隊経験があってね。
下手にシナ語が話せたものだから、大陸の補給部隊へ行かされてたんだ。
ところが、敵の奇襲を受けて負傷してしまってね。」
「・・・・・・。」
部長も私もただ黙って聞くしかない。
「その時、従軍看護婦としてきてた房ちゃんに世話になったんだ。
まだ17~8歳じゃなかったのかなぁ・・・。幼い顔をしてたよ。
私が破傷風に罹ってしまってね・・・。
あの時、彼女がいなかったら、私は日本に生きて戻れちゃあいない。」
「・・・・・・。」
「で、帰還してから、彼女の行方もまったく知らなかったんだが、10年前に京都支店長になったときに下宿を探してもらったんだ。
その時、既に家内は亡くなっていたしね。
そうしたら、何と、その下宿先の大家さんが房ちゃんだったんだ・・・。」
その再会の場面を思い出すのだろう。
支店長はゆっくりと眼を閉じた。
「・・・・・・。」
相変わらず、部長も私も一言も口を挟めない。
「その命の恩人である房ちゃんから、半月ほど前だったかに久しぶりに電話があってね。
うちの会社、いやこの大阪支店にこれこれこういう人物がいる筈だ。
その人物と、房ちゃんの可愛いお弟子さんが結婚をするんだと言うんだ。
それが山沖君、君だったってことだ。」
「・・・・・・。」
「そ、それで、支店長がお仲人を?」
痺れを切らせたのか、田村部長が訊く。
「いやいや、私は仲人には相応しくない。既に家内もいないしなぁ・・・。
そうだろ?」
「で、でしたら・・・。」
部長は、訳が分からないと言う顔をする。
私も同じだった。
だが、支店長は煙草を灰皿に放り込んでから、にっこりと意味ありげに笑う。
「“奥さんの代わりを私がしますから・・・”。
房ちゃんがそう言ってきたんだ。」
支店長は、また新たな煙草を取り出した。
(つづく)