その29
これは、後になって聞いた話だが、家内は単純に「営業部長さんより支店長さんの方が上なんでしょう? だから・・・、それはそれで良かったんじゃないか」。
そう思っただけだったと言う。
サラリーマンという一種の階級社会では、やはりひとつでも上の人とお近づきになるのは出世をする上で有利だとの認識だったらしい。
だが、それを言われた私にとっては、「?」が幾つも頭の上についたままだった。
私はその電話を終えてからワープロに向かった。
今時、ワープロ(ワードプロセッサー)と言えば古臭い機械だと思われるだろうが、私が結婚をした昭和40年代後半では、これが主力のOA機器だった。
今のように、何でも出来るパソコン(パーソナルコンピューター)はまだそれほどには普及してはいなかった。
で、あらかじめ営業部長のために準備していた結婚式の日時や場所などを取りまとめた資料を5枚打ち出した。
もちろん、明日、支店長に手渡すつもりでだ。
まるで初めて支店長にプレゼンテーションをするような気持になる。
で、その翌朝。
早速、営業部長から呼ばれた。9時前である。
「支店長に手渡す資料はちゃんとあるんだろうな?」
田村部長は、顔を見るなりそう言った。
「あ、はい。一応は。」
「な、何だ。その一応ってのは・・・。ちゃんとございますと言え。」
「は、はい・・・、ご準備させていただきました。」
「じゃあ、見せろ。」
「はい。」
幸いにも、私はその資料を手にしていた。
部長から呼ばれた時点で、この件以外は考えられなかったからだ。
「う~ん・・・。さすがだな。」
「・・・・・・。」
「コンパクトに纏めてある。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言ったかと思うと、田村部長は電話を手にした。
そして、ひとつだけボタンを押す。
どうやら、内線でどこかへ掛けたらしい。
「ああ、田村だ。今年の10月11日の支店長の予定を押さえたいんだが・・・。」
「・・・・・・。」
「ああ、そうか。その1日、営業部の名前で予約を入れてくれ。
そうだ。丸1日だ。頼む。」
部長はそれだけを言って電話を切った。
どうやら、相手は支店長付きの秘書だったようだ。
(つづく)