その1
私は今年70歳になった。
昭和14年生まれだから、いわゆる戦中派である。
もちろん戦争も微かにだが覚えている。
田舎に疎開をしていたから、直接爆撃を受けることはなかったが、それでも空を米軍の爆撃機が高く飛んでくのを何度も見た。
それを鉄砲で打ち落とすことを夢見ていた。
兎に角、食べるものがなかった。
いつも空腹を抱えていた。
国民学校(今の小学校)に入学する前に終戦を迎えた。
幼いとき、若いときには、自分がこの年齢を迎えるであろうという具体的なイメージはまったく持たなかった。
かと言って、それまでには死んでしまうだろうとも思っていなかった。
ただ、日々、その目の前のことに必死で立ち向かってきた。
その積み重ねで、今日があるような気もする。
戦後、アメリカ主導で導入された「民主主義教育」の成熟とともに大きくなってきた。
大学を卒業し、一応は世の中から「一流」と呼ばれる会社に就職をして、10年前に定年退職を迎えた。
それからは、退職金と年金で暮らしている。
細かいことを言えば、そりゃあいろいろとあった。
小学校のとき、鉄棒から落ちて骨折をした。
中学の時には、自転車で車とぶつかった事もある。
高校時代には初恋をして、それ以来、恋愛と失恋を繰り返した。
大学時代には無謀にも、インドに一人旅をした。
言葉も話せず、金も無いのにだ。
それで度胸が付いた。
何でもやれそうな気がした。
学生時代は、そうそう勉強をしたという記憶も無いが、さりとてサボっていたとも思っていない。
それなりに受験勉強は必死の思いでやったし、暗記も山ほどした。
その殆どを今は忘れてしまったが・・・。
やはり、「負けてなるものか!」という意識は常にあったような気がする。
目の前の目標をはっきりと意識することで、自分にハッパを掛けることが上手かったのかもしれない。
大学在学中から、「将来はこの会社に・・・」という希望を持つようになっていた。
それは、インドを旅したときに、私が日本人だと分かると、「日本の××という会社は知っている」と言われたからだった。
それだけ、ネームバリューのある会社だった。
世界に通用する仕事だと思った。
当然にその会社の採用試験を受けに行った。
面接で、「どうしてうちの会社を?」と訊かれたから、在りのままを言った。
そうしたら、数週間後に採用通知が送られてきた。
(つづく)