可憐な花は優しく囲われる。
子爵令嬢であるネモフィラ・テイラーは大変困っていた。
「ネモフィラちゃんはどれは好み〜?オレはねぇ、レモンパイかなぁ。この酸味と爽やかさが良いよねぇ、そう思わない?」
「はぁ……」
ネモフィラに赤毛を揺らしながら賛同を求めるのは伯爵家のレイモンドだ。彼は学園の生徒会会計であり、多数の令嬢と浮名を馳せている。彼の女性への言葉がけは挨拶みたいなものだ。しかし、困ったことに爵位の低い私に執拗に絡んでくるものだから、他の令嬢からの視線が痛い。どうにか抜け出せないかと思案していたところ、落ち着いた低い声が上から降ってきた。
「レイモンド、それくらいにしておけ。テイラー嬢が困っているだろう。」
「えぇー。だって、ネモフィラちゃんの好み知りたいじゃん?」
「お前、今日は婚約者殿とランチじゃなかったのか。そんなことばかりしてると誤解されるぞ。」
「あっそうだった!教えてくれてありがとう、ジュード!じゃあ、ネモフィラちゃんまたね!」
ウインクを華麗に決めて、手をひらひらさせながら彼は去っていく。そこで、ほっと息をつく。
「ごめんな、テイラー嬢。彼も悪気はないんだ。許してやってくれ。」
「エバンス様、お気遣いありがとうございます。」
「テイラー嬢には申し訳なく思ってるよ。こうも生徒会と関わっては少し目立ってしまうだろう。」
メガネを上げつつ彼は眉尻を下げた。アメジストの瞳も心なしか申し訳なさそうに揺れている。レイモンドと同じ伯爵家のジュード・エバンスは次期宰相と噂される秀才である。生徒会副会長として、会長の王太子を補佐しているところから、今後もこの国は安泰だと貴族たちからの期待も高い。
「そうですね……。しかし、生徒会のお手伝いが嫌という訳ではないんです。うちの特産品を使っていただけるのもありがたいことですし、私がお手伝い出来ることがあるのも嬉しいです。」
「そう言ってもらえると助かるよ。テイラー家の生花は特級品だからね。今度のパーティーには必須だ。何か困ったことがあったら、なんでも言ってくれ。」
「ありがとうございます。心強いです。」
「今後も長い付き合いになるだろう。レイモンドが名前で呼んでいたが……失礼でなければ、俺もネモフィラと呼んでも?」
「もちろん問題ありません。」
「ありがとう、ネモフィラ嬢。ぜひ私のこともジュードと。」
「わかりました。お世話になります、ジュード様。」
「ふっ、お世話になりますじゃあ、まるで嫁に来たようだ。」
ごめんごめん、からかう気はないんだと笑うジュードに、ネモフィラは少し顔を赤らめた。
思い起こせば、ネモフィラが生徒会を手伝うことになったのは大抜擢と言えるものだった。急に教室まで来て「テイラー家のご令嬢でしょうか?」とジュードに声をかけられたのが始まりだった。テイラー家の領地は王都に近く、温暖な気候から生花や野菜などを生業としている。その特産品を生かし、生徒会で主催する舞踏会で、花の飾りつけをお願いしたいという依頼だった。初めは自分には力不足だとお断りする予定だったものの、王太子の婚約者が花が好きで王太子が婚約者のために花をメインに据えたいという要望を聞き、素敵なロマンスを感じてつい承諾してしまったのだ。そして、普通なら関わることのない生徒会の高位な方々と机を並べることになった。
「メインは聖女である彼女を表すユリにしようと思うだが、どうだろう?」
金髪碧眼、まさに王子という容姿のアーサーは生徒会室でネモフィラ、ジュード、レイモンドと舞踏会の計画を進めていた。
「よろしいかと思います。ユリは大きくて、目立ちますし、メインにはぴったりです。ユリの大きさと白さを際立たせるためにかすみ草と、殿下の瞳の色に合わせブルースターなんかを添えてもよさそうですね。」
「おっ、ネモフィラちゃんセンスある〜!今淑女の中では意中の人の瞳の色を差し色に入れるのが流行ってるんだってー!」
「さすが、流行に詳しいな。まぁ、青なら王国の色だし、聖女とアーサーの親愛の様子も伝わるんじょないか?」
「それはいい。テイラー嬢の意見を取り入れよう。」
「ありがとうございます。もう一つご提案があるのですが、アイビーという植物を下地にしたいのです。」
「アイビー?それはどんな花なんだい?」
「花ではなく、葉っぱなのです。緑があることで白がより引き立つと思うのです。」
「ネモフィラ嬢、それだけじゃないだろう?」
「どういうことだい?」
「植物には花言葉っていうのがあるんだ。花に意味を込めて贈るのさ。秘密の文通みたいなもんだ。ネモフィラ嬢はそれを狙ったんじゃないか?」
ジュードはネモフィラを見つめている。一部の貴族たちが密かに楽しんでいる遊びをジュードが知っているとは驚きだ。
「おっしゃる通りです……。」
「で、アイビーの花言葉は?」
「 『永遠の愛』だ。」
ジュードの言葉にネモフィラは顔を赤くする。そこまで知っていたとは思わなかった。
「わぁー!ネモフィラちゃんたらロマンティック!お花が好きな聖女様ならきっと意味知ってるよー。」
「……考えておこう。」
頬を赤らめたアーサーにネモフィラも小さくありがとうございます、と答えた。ジュードには良かったな、と小さく声をかけられる。
「それにしても、いつの間にテイラー嬢なを名前で呼ぶようになったのだ。テイラー嬢は大変な奴に目をつけられたものだ。」
アーサーは呆れたように言い放った。
舞踏会は生徒会主催の学園行事ということで当然ネモフィラも参加する。学園内のことなので、エスコートなしでも問題ない。しかし、生徒たちは誰と参加するかで話が持ちきりだった。
今回、パーティーの装飾を担当するネモフィラは最終確認も兼ねて会場を生徒会たちと見て回っていた。その場に最近召喚されたと噂の聖女様もいらっしゃっていた。
「花が好きと聞いていたから、花を中心に装飾してみたんだ。どうだろうか?」
「素敵です!私はパーティーといえば結婚式くらいしか行ったことないですけど、それ以上に豪勢ですね。」
アーサーの表情と聖女様の目を輝かせている様子を見て、ネモフィラは自分の仕事がうまくいったことを感じて、安堵した。
「実は、私は花についてそんなに詳しくない。今回はテイラー子爵令嬢に助言してもらったんだ。」
「あぁ、貴女が噂の子爵令嬢ね。私は、ユリって言います。リリィの方がこの国には馴染みがあるのかな?」
「お初にお目にかかります。ネモフィラ・テイラーと申します。聖女様が喜んでくだされば、嬉しいかぎりです。」
「聖女様なんて大袈裟な!同世代なんだから、仲良くしてください。こちらには知り合いもいなくて…….お友達になってくれたら嬉しいな。」
「ありがとうございます。では、リリィ様とお呼びさせていただきます。うちは生花を生業としておりますので、お花好きのリリィ様とお話できたら、私も嬉しいです。」
「うわぁ、嬉しい。よろしくね、ネモフィラちゃん。」
「水を差して悪いが、リリィはまだ準備があるんだ。また、話す機会を設けよう。」
絶対よ!と言いながら準備に向かう聖女様に向けてネモフィラは優しく手を振った。
「聖女様も気に入ってくれて、大成功だな。ネモフィラ嬢。」
「ジュード様!」
そばで見守っていたジュードが声をかける。
「みなさまのお役に立てて光栄です。」
「そうだ、協力してもらったお礼をしたいんだ。何か欲しいものとかあるか?」
ネモフィラの立場から言えば、身に余ることだった。生徒会の方々と肩を並べることができるだけで素晴らしいこと。議論するなど普通ならありえない。聖女様にも気に入っていただいたようで、ネモフィラはこれでお役御免である。隣に並ぶジュードとも、そう簡単に話をできる身分でもない。何かもらってしまえば、そこで関係は途切れる。そう思うと、少し胸が痛んだ。
「いや、充分です。みなさまとこうして過ごさせていただいたこと、そして、テイラー家の花を使っていただいただけで、私にはありがたすぎて。」
「そういうと思ったよ。ネモフィラ嬢はどうも欲がなさすぎる。そして、自己評価も低い。そんな卑下する必要ないさ。」
「そんなことないです。私なんか平凡な人間ですから……」
「そうか?こうして会場を飾るセンスと花の知識量は誰にも引けを取らないと思うぞ。」
「もったいないお言葉です。」
「本当にネモフィラ嬢には助けられた。断られるとは思ったんだが実はちょっとしたものを用意したんだ。俺には女性の趣味とか分からないから、喜んでもらえるかわからないんだが、良かったらもらってくれないかな?」
ジュードから手渡されたのはアメジストがあしらわれたブローチだった。
「こんな高価なもの!頂けません!」
「やっぱり気に入らない?」
「そういうことではありません。私には身に余るもので……」
「ほら、また自分を卑下して。俺はコレがネモフィラ嬢には似合うと思ったんだ。俺には見る目がないってことかな?」
「違います!あまりにも素敵なもので、私にはもったいないのではないかと思っただけで!」
「じゃあ、もらってくれ。宝飾店に男が行くのは結構恥ずかしいものなんだ。」
そう言われたら、ネモフィラも貰わないわけにはいかない。ジュードに失礼にあたってしまう。ジュードは流れるような所作でネモフィラにブローチをつけてくれた。ネモフィラはこれからブローチを見るたびに今回のことを思い出すだろう。きっとネモフィラの人生の中でも輝かしいものとなり、忘れることなどできなくなってしまう。
「ほら、思った通りだ。良く似合う。」
「……ありがとうございます。大切にさせていただきます。」
「ちなみに聞くが、パーティーにエスコートはいるのか?」
「いえ、今回は学生だけでエスコートがなくても良いとのことだったので、1人で来ようと思ってます。」
「それなら、俺にエスコートさせてくれないか?今回は装飾に参加してくれたネモフィラ嬢も主催者側だろ?生徒会の俺と一緒の方がいいと思うんだが。」
「確かにそうですね。ジュード様がよろしければ、お願いしたいです。」
ジュードは笑顔でネモフィラを見つめる。ネモフィラはこれを最後の思い出にしようと、気づき始めた気持ちに蓋をした。
パーティーはつつがなく、進行した。ジュードのエスコートは洗練されていて、隣にいるだけで心強かった。アーサーと聖女に挨拶をし、ホールにいると、婚約者と一緒にいるレイモンドが話しかけてきた。
「ジュードにネモフィラちゃん!お疲れ様!パーティーは大成功ってかんじだね!」
「はい!聖女様にも気に入っていただいて一安心です!」
レイモンドはネモフィラのつけてるブローチを見るとニヤニヤしだす。
「あれあれー?ネモフィラちゃん、ジュードといつの間にそういう関係になったの?」
「え?そういう関係とは?」
「またまたー!会場装飾する時に話してたじゃん!そのアメジストはジュードの瞳の色でしょ?」
「いやいや、ジュード様は私に今回のお礼としていただいただけで……」
「へぇー、ジュードがねぇ。随分、嫉妬深いんだぁ。」
そういうことでは……とあたふたするネモフィラを見かねてジュードが声をかける。
「レイモンド、それくらいにしてくれ。ネモフィラ嬢が困っているだろ?」
「わー、男の嫉妬ってみにくーい!」
軽口をたたくレイモンドをジュードは睨む。
「ちょっと、冗談じゃん!本気にしないでよ!邪魔者は退散するね!またね、ネモフィラちゃん!」
レイモンドが去った後、ネモフィラは居心地が悪い。
「申し訳ありません、ジュード様。」
「ん?何が申し訳ないんだ?」
「エスコートもしていただき、たくさんの令嬢の方々がレイモンド様のように勘違いされているかもしれません。」
「気にしないでくれ。そもそもそのブローチを贈ったのは俺だ。むしろ、勘違いしてらいたい。」
訳がわからず、ネモフィラがジュードを見ると、楽しそうな顔がこちらを見ている。
「ネモフィラ嬢もブローチの色とエスコートする意味が全くわからないわけではないだろう?」
「それってつまり……?」
「下心がないって誰が言ったんだ?」
「え?」
口角は上がっているのに、メガネの奥の目が全く笑っていない次期宰相の前でネモフィラはもう手遅れなのを感じていた。
(眼鏡男子がもっと広がればいいのに……)