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ピュアホワイト  作者: 仁科 すばる
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二章 ピュアホワイト(4)

 結局、セリナは西国へと逃げ切った。僅かな生存者として、石化現象の悲劇を語り継いで与えられた天寿を全うして見せた。

 エンドロールが流れるなか、生まれ変わったのであろうセリナとユースケが再開する姿が映し出された。

 あぁ、なんてご都合主義のハッピーエンドなんだろう。

 こんな風に「今世で報われなかったとしても、来世では幸せになれるよね」とでも言いたげな物語が死ぬほど嫌いだ。今世で幸せになれないのならば、わたしたちが現世に生を受けた理由はいったいどこにあるのかを教えて欲しい。決して、来世の自分を幸せにするために生まれてきたわけではないだろう。来世の自分のために生きている人間がいるのなら、ぜひとも会ってみたいものだ。

 それでも、最後まで黙って見届けることができたのは、隣に座る律が「星五つ」と言った映画だからだ。好きな人と、同じ好きを共有したいと思う気持ちは、わたしだけの感情ではないはずで、納得いかないこの映画の評価を「星五つ」に押し上げるのに、申し分ない加点要素だった。

 監督名が流れきり、テレビ画面が暗闇へと戻る。

 隣に座る律は息を吐ききってから、目の端に光る涙を拭った。

「いい話だったね。感動しちゃった」

 律の反応に合わせた当たり障りのない感想を告げると、ほんの少しの罪悪感が生まれた。嘘が良心を蝕んでいく。

「何回見てもいい作品だなぁ。話題性のあるキャストで固めてるわけじゃないけど、演技派揃いだし。なにより、この監督さんの作品が好きなんだよね。真白はさ、来世ってあると思う?」

 律の問いに対する正しい返答は、わかりきっていた。「来世はある。わたしも信じている」が、ここでの完全正当だ。でも、ついさきほど蝕まれた良心が、これ以上の嘘を重ねることを拒んでいた。

「律は、どう思うの?」

 疑問に疑問で返すという浅はかな技を繰り出し、窮地をやり抜かんとする。わたし自身がそれをされると良い気はしないが、今回ばかりは許して欲しい。嘘も真実も、胸に引っかかって出てきそうになかった。

「オレは、あればいいなと思ってるよ。いま、たくさんいいことを積み重ねたら、次の世界でもまた真白といられるってことだから。それって、滅多とないボーナスチャンスじゃない?」

 屈託なく笑い、頬を数回掻いた。

「律らしくて、いい考え方だね」

 真っすぐ素直で誠実な、実に彼らしい思考だ。でも、来世があるとして、律は大切なことを見落としている。律がいくら徳を積んで生きてくれたとしても、肝心のわたしが徳を積めていなければ再開は叶わない。

「真白は、来世なんてないと思ってるんじゃない?」

「どうして?」

 浅はかな返答は、すでに見透かされていた。慌てて口の中にキャラメル味のポップコーンを詰め込み、ごまかしを図る。欲張りにかけられたキャラメルが、喉に張り付いてせき込んだ。これでは「図星です」と、言いまわっているようなものだ。

「真白は、変なところで現実的に考えがちだから。『来世になんて期待しない』って言うんじゃないかなって……、どう?」

 律はなぜか嬉しそうだ。わたしが嘘を付いて誤魔化そうとしたことについて、不快や嫌悪を抱いた様子は見られない。

 それを察して安心したわたしは、炭酸が抜け始めたコーラに口をつけた。落ち着きはじめたしゅわしゅわが心地よく、さっきまでの不快感や焦りまでをも流し込んでくれる。

「まぁ、おおよそはそんな感じかな。わたしは来世になんて期待したくないの。来世があったとしても、なかったとしても、そこで再会が叶うなんておとぎ話の世界だけだよ。そんな微々たる可能性になんて賭けたくないもん。それに、二人に前世の記憶がある可能性まで付け加えちゃったら、それこそ天文学的確率だよ。それに、前世の約束を来世で持ち出すなんて、来世のわたしに失礼だと思う。そりゃ、覚えてたらいいんだろうけどさ。一方的なのは、やっぱり嫌でしょ。いま、そんな人が現れたら、絶対に不審者として訴えると思う」

 一息に言葉を並べ立てたわたしを、律はまるでクラッシックを聴くかのように穏やかに見つめていた。

 もし、前世があったとしたら、律は仏か聖母だったに違いない。

「じゃあ、俺は真白の分まで、天文学的確率を追い越すくらい徳を積んでおくよ。オレと真白が覚えてて、同じ気持ちがあったらいいってことだよね?」

「期待せずに待ってるよ」

 最後まで悲観的なわたしの頬に手を添えて、律はそっと顔を寄せた。

 柔らかな唇を重ねる。それを何度が繰り返し、ゆっくりと視線を交えた。律がわたしの肩に頭を押し付けて、わたしはその頭を撫でる。まるでよく懐いた大型犬だ。

 しばらくすると、律が体勢をもとに戻して、安心したようにわたしを見つめる――これ以上は先に進まないと確定している口づけは心地よく、セックスを伴わないわたしたちにとって最上級の愛情確認だった。

 それでも、一連の愛情確認を終えると、どうしたらいいのかわからない気まずい沈黙が流れる。映画を見ているときに、クライマックスの直前になってから、接続不良が起きたような気持の悪さだ。予定されているはずの行為を、無理やりに打ち切っているせいなのかもしれない――と頭の端のほうでぼんやりと考える。

「今日はどうする? 泊まってく?」

「ううん。明日は仕事だし、帰るよ」

 こういうとき、律は絶対にわたしの家に泊まらない。わたしも返答はわかりきっていて、返事を確認するために形式的に聞いているだけだ。

「そっか、そうだね。明日から月曜日だからね。嫌だな」

「オレも嫌だよ。また、来週のクジを楽しみに頑張るよ。来週はなにがでるかな」

「来週こそ、わたしのアップルパイが出てくれるんじゃないかな」

「いいや、真白のアップルパイはきっともう少し先だよ」

 軽く不満を口にすると、律はなだめるように軽いキスをして、わたしの頭を撫でた。

「じゃあ、そろそろ帰るね。オレが出たら、すぐに戸締りするんだよ。最近はなにかと物騒だから」

「うん、わかってる」

 ドアロックを外して扉を開くと、生暖かい風が押し寄せてきた。昼間の熱くて乾いた風とは異なり、夜の風はまとわりつくような肌触りだ。いまは晴れているが、雨が降るのかもしれない。遠くのほうから、雨の匂いがする。

「ちょっと待って。念のために、折り畳み傘持って帰ったほうがいいかもしれない。雨の匂いがする」

 引き留めると、律は扉を一度締め直した。

「雨の匂い?」

「うん、雨の匂い。雨が降る前って、雨が降る匂いがしない? 湿っぽくて、少し土みたいな独特な匂いがするよ」

 折り畳み傘を靴箱から取り出すと、律は「ありがとう」とトートバックにしまった。さっきまで見ていた映画のパッケージが見え隠れする。律は外の匂いを何度か大きく吸い込んだが、「わからない」と言って、口をすぼめた。

「ダメ、オレには全然わかんないや。真白は鼻がいいのかもね。それとも、やっぱり自然に近いところで暮らしてたのが影響してるのかな。実家は愛媛だっけ?」

「うん、愛媛。たぶん、律が想像してるよりも田舎だよ。ここらへんもだいぶ郊外だけど、実家はほんとになにもないもん。向こうはね、雨が降る前には虫も飛ぶんだよ。雨が降る虫。名前も理屈もわからないけど、あの虫が飛ぶと雨が降るの」

「真白が育った町はいいところだね。天気予報いらずだ」

「さすがに天気予報は欲しいかな」

 律は頬を目尻に寄せて、柔らかな笑みを浮かべる。幼子を見守るような優しさだった。

もうしばらく帰っていない故郷の様子を思い出してしまう。

「次に真白が帰省するとき、休みが合えばオレもついて行こうかな。真白も、もうずっと帰ってないんじゃない?」

「確かに、もう何年も帰ってないなぁ。こっちのほうに、お父さんたちが観光を兼ねて遊びにきてくれるから、帰省した気分になっちゃうんだよね。もしかしたら、このまま一生帰らないのかも」

「もったいない。帰る予定も立てたらいいのに」

 愛媛に、故郷に、「愛着がない」と言えば嘘になる。「帰りたくない」と言えば、嘘になる。しかし、「帰りたい」とは決して思えない。あの町は、密接なコミュニティの重なりで成り立っている。踏み込まれたくない領域が明確すぎるわたしには、不向きな町だ。たとえ結婚ができたとしても、子どもは産めない。たとえ子どもが産めたとしても、それは恐らく一般的に思い浮かべられる方法ではない。だから、いまのわたしには帰ることができない。

 そして、歳を重ねていくたびに、帰るためのハードルは徐々に高くなり、選択肢からも消えて無くなるのだろう。

「またいつか。来世にでも帰るよ」

「信じてないくせに」

 律は残念そうに言う。その声が寂しそうに聞こえたのは、きっとわたしに後ろめたい気持ちがあったから、そう錯覚しただけだ。

 再び、生暖かく不快な風を迎え入れる。律は「すぐに閉めてね」と外へ出た。言われた通りにすぐにカギは締めたけれど、のぞき穴から後ろ姿を見守る。それが伝わったのか、律は右手を上げて、それをゆっくりと左右に振った。


 ひとり取り残された自分の部屋は、狭いはずなのに無駄に広く感じる。照明に照らされたテーブルはどこか物足りなくて、時間の流れも緩やかになった。そういう点において、律と過ごす時間は明るくて、まるで時間泥棒に遭ったみたいに過ぎ去っていく。

 ぽつんと佇むテーブルの前に腰を掛けると、待ち構えていたかのように、スマートフォンが軽快なメロディーで着信を知らせた。タイミング的に律の忘れ物かもしれないと、慌てて確認する。予想と異なり、液晶画面に表示された名前は『宇佐美梓』だった。

「もしもし、どうしたの?」

「あ、もしもしぃ。聞こえてる? アズだけどぉ」

 陽気な梓の声が電話越しに響く。もしかすると、アルコールが入っているのかもしれない。素面でも酔っているようなやつだし、そもそもアルコールにはめっぽう強いのだが、いつもよりかなり高揚していた。電話越しの声が大きすぎて、思わず音量を落とすほどだ。

「あのね、もうちょっと先のことになるんだけどさぁ。次の、次の金曜日の夜空けておいてぇ」

 気軽に言ってくれるが、こちとら社会人である。いくら華の金曜日と言っても、平日は仕事がある。

「えー、もしもしぃ。聞こえてる? もしかして、無理だったりする……?」

 陽気な声が落胆した。落差が激しい分、かなり落ち込んでしまったように聞こえる。

 壁に掛けられたカレンダーで大丈夫なことを確認する。ちょうど、わたしの職場は繁忙期を終えたところで、よほどのトラブルに見舞われさえしなければ、定時であがることは難しくないだろう。

「何時?」

「えぇっと……。真白の会社の定時って、十八時だったよね? 余裕を見積もって、十九時でどうかな?」

 電話の向こうで、梓の声が分かりやすく弾んだ。

「わかった、大丈夫だと思う。だけど、遅れても怒らないでね」

「おっけい、おっけい。実はね、真白も喜ぶゲストをご招待してます!」

「だれを呼んでるの?」

 梓は自ら効果音を発しながら、「ジャン!」と言った。通話越しに、駅のホームのアナウンスが響いている。駅構内で効果音を口ずさんでいるとしたら、かなり重症だ。

「まつり先輩をご招待してます!」

「え、ほんとうに? まつり先輩って、あのまつりさん?」

「そうそう。ロープラのまつり先輩。この前さ、ロープラに顔出してくれて、そのときに思い切って声掛けたんだぁ。よくやったでしょ」

 まつりさんは、わたしと梓にとって二学年年上の先輩だ。ロープラで勤務し始めたばかりのとき、指導係を務めてくれたのがまつりさんだった。テスト期間のあとはお洒落なカフェに誘ってくれたり、大学の楽な講義をレクチャーしてくれたり、恋愛の相談だってした。本当にいろいろな面でお世話になった。学部が違う梓にもよくしてくれて、梓のほうもよく懐いた。

梓の無駄な高揚はアルコールではなく、まつりさんによるものなのだろう。

「だからさぁ、楽しみにしててね」

「よくやった、褒めてつかわす」

 梓は自分一人のときよりも乗り気になったわたしの解答を聞いて、不平等だと文句を漏らした。そのときに口に出した「ブーブー」という効果音も、ひとりきりでやっていると考えると、こちらのほうが恥ずかしくなる。

 梓はひとしきり文句を言い終えると、「それだけだからぁ」と言って、通話を切ろうとした。

「待って、梓。全然関係ないことなんだけど、ひとつ聞いてもいい?」 

 電話の向こうから答えが返ってくるより早く、わたしは言葉を重ねる。

「梓は、来世ってあると思う?」

 電車がホームを通過する音がして、それに梓の声も追随した。ノイズが会話の邪魔をするが、聞き取れないほどではなかった。

「えぇ、来世? また急だねぇ。まぁ、アズはあったらいいなと思ってるよ。でも、ないんじゃないかとも思う。まぁさ、そんなことはどっちでもいいんじゃない? どれだけ考えても、死ぬまでわかんないことなんだし、いまが楽しければ、アズはそれだけで大満足だもん。でも、こんなこと聞いてくるってことは、真白はないと思いたいんでしょ?」

「よくわかったね」

「真白の考えは、だいたいアズとは真逆なんだよ」

 再び電車がホームに入る。今度のノイズは通話を阻害した。

「あ! アズが乗る電車来たからぁ、じゃあねぇ」

 ぷつんと通話が切断されて、部屋の静寂と共にひとり取り残された。

 孤独な空間は、必然的に思考を複雑に発展させていく。普段はなるべく考えないようにしていることが、渦となって襲い掛かってくるのは決まってこういうときだ。

 律が残して帰ったレンタルビデオショップのレシートには『化石の国』と、ついさっき視聴した映画のタイトルが印字されている。 

 良い映画だった、面白かった。

 理解できなかった、苦しかった。

 わたしは、いつだって矛盾している。

 来世はあると思いつつ、来世なんてなければいいと願っている。

 別に、輪廻転生を否定しようだとか、強い信念がそこにあるということはない。ただ、自分が生きていくためには来世の存在があってはならなかった。

 来世があったとして、そこでわたしが普通に生きることができる可能性があるなら、今世なんて捨て去って、早く死んでしまいたい。一刻も早く輪廻の輪に乗ってしまいたいと、強く思ってしまう。

 たかが、セックスごときで死を選ぶなんて。

 わたしが死んだとき、その理由を知った多くの人々は、そう馬鹿にするのだろう。でも、考えてみて欲しい。その「たかがセックスごとき」で、たくさんの愛を失ってきたとしたら。たくさんの愛は、セックスに至るためだけのニセモノだったと気が付いてしまったら。小さな絶望の積み重ねは、じゅうぶん決断の理由になりうるはずだ。

 だからわたしは、来世なんてない――そう言い聞かせ、願い続けることで現世を生き抜こうと努めている。きわめて消極的で、ひどく悲観的な願いだ。

窓の外から聞こえてくる誰かの幸せな会話から逃れるように、わたしは繰り返し言い聞かせる。何度も強く、それがわたしの思想になるように刷り込む。

 死んでも、来世なんてものは存在しない。

 死の先に待ち受けるのは、真っ白な無の境地――そう、ピュアホワイト。


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