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ピュアホワイト  作者: 仁科 すばる
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二章 ピュアホワイト(2)

 毎週日曜日をデートに日にしよう。

 そう定めたあの日から、すでに一年以上の日々が経過した。二人でしたいことをしらみつぶしに書き出して、一つの箱に閉じ込めたのは、いまでは懐かしい思い出になりつつある。

 現在、わたしは予定通り商社の事務職に、律は公務員として現在は窓口対応にあたっている。

 社会人になると、はじめてのことばかりで戸惑うことも多かった。しかし、学友たちの話を聞いている限り、わたしたちは二人ともホワイトな職場選びに成功したようだ。

 いまのところ、わたしの両親が訪問したときと、律がインフルエンザに感染したときを除けば、日曜日を共有することに成功していた。



 窓の外で蝉が鳴いている。じりじりと身を焦がすような日差しをカーテンで遮り、地球温暖化を無視して冷房を稼働させた。

室温は二十四度、部屋の中は乾燥している。

「今日はどっちが引く?」

 律はボックスをガサガサと振った。特に話し合いが設けられることもなく、ボックスはわたしの家に置かれている。少々邪魔に思うこともあるが、開き直って一種のインテリアだと思うようにしている。

「律が引いたら? 先週はわたしが引いたから」

 わたしは先週、『喫茶店で甘いもの』というクジを引いた。記された文字は確かにわたしのものだったが、そのクジをいつ入れたのかは覚えていなかった。おおかた、テレビで喫茶店の特集を見て、思いついたままに入れたのだろう。このボックスには、そんなくだらないクジがいくつも眠っている。割合で言えば、商店街のクジ引きでティッシュペーパーが出される確率くらいだ。

「真白はなんの気分? 引いて欲しいクジのリクエストないの?」

 ガサガサと、律は再び箱を左右に大きく振った。そんなことをしても、中身はランダムで、どれが出てくるかなんて操作できないはずだ。

「グーテのアップルパイ食べたい。ずっと前に入れたやつ。あれ、そろそろ出てきてくれてもいいんじゃない?」

「あぁ、残念。それはまだ出てこない」

 律は「他には?」と、首を傾げる。人感センサーが付いた冷房が、律に向かって稼働した。

「ちょっとくらい頑張る素振りを見せてよ。入ってるんだから、出てくるかもしれないじゃん」

「いいや。オレにわかるね。あれが出るにはまだ早い」 

 確かにクジは入っているのだから、出てくる可能性は必ずあるはずだ。したいことが見つかるたびに、クジの数は増加し続けているので、確率的に低くなっているのは間違いないが、分子がある限りゼロにはならない。

「わかんないじゃん。ほら、気合入れて引いてよ」

 律はクイズ番組のような効果音を口ずさみながら、ボックスに深く手を入れた。アタリクジなんてものは存在しないが、アタリクジを探し当てようとしているようだった。

 ボックスの中から、勢いよく今週の一枚が選び出される。中身はすべて同じ百円ショップのブロック型メモなので、見た目では内容の判別はできない。

「なにが出たの?」

 律は二つ折りにされたメモを開く。そして、嬉しそうにガッツポーズを決めた。

「ほら、やっぱり。今日は映画祭りだ」

 こちらに向けられた一枚は、『レンタルビデオショップで映画を借りる』という、わたしの筆跡とは異なったもう一つの下手くそな文字だった。

「そんなクジもあったね。懐かしい。それ入れたのずっと前だよ。どうする、本当にレンタルにする? 律、どっかのサブスク入ってなかった? 期限切れてたら、わたしが入ってもいいよ」

 そのクジを作ったときからサブスクリプションは存在していたが、一年以上が経過したことで、以前よりもかなり浸透した。むしろ、利用したことがない人のほうが少数派になっているかもしれない。アプリの種類や選べるプランは増加したし、価格だってさらに手ごろになった。レンタルビデオショップの店舗数は明らかに減少したし、価格だって高額に感じてしまうようになった。

 しかし、律は唇を突き出して難色を表した。

「確かにサブスクは便利だし、入ってるけどさ。レンタルビデオショップにしかない良さもあると思うんだよね。あの独特の空気感を味わいたいというか」

「一期一会の作品を、棚の中から選び出す喜び的な感じ?」

「それもあるけど。ま、ひとつ夢だったんだよね。恋人とレンタルビデオショップに行くのが」

 その気持ちは理解できるような気がする。義務教育時代に見た恋愛映画ではよくある定番のシーンのひとつだし、昔に描いた理想を再現したいという期待も、いつまでも消えない。

「じゃあさ。もうこんな時間だし、先にひるごはん済ませてから行こうか」

 時計の針は正午を少し過ぎたところを指しており、店舗数の激減したレンタルビデオショップへ向かうにはエネルギーの補充が必要だった。腹が減っては戦もできぬ。

「よし! オレもひるごはんの準備手伝うよ。なに作る?」

 張り切る律に缶詰めのコーンスープの用意だけを任せ、オムライスの調理に取り掛かる。わたしたちは二人して料理を好きでも得意でもないので、いつも簡単な丼ものやパスタ料理がメインになる。オムライスやハムエッグ丼、それから明太子パスタは定番中の定番だった。

 結局、オムライスの卵を上手く完成させることができず、チキンライスのスクランブルエッグ乗せになってしまったが、律は嬉しそうに頬張った。律に任せたコーンスープも牛乳の分量が足りず、かなり濃かったが、それはそれで美味しいと感じた。

 

 片付けもほどほどに、わたしたちは午後二時の炎天下に繰り出す。アスファルトだらけの都会の七月は、鉄板の上に生きたまま乗せられた魚介類の気持ちを体感させた。アスファルトから照り返す熱は、空から降り注ぐそれよりも、わたしたちをじわじわと蝕むように苦しめる。

 やっとの思いでたどり着いた店内は、冷房が可哀想になるほど力強く稼働していて、むしろ寒すぎるくらいだった。

カビとタバコの匂いが鼻につき、どこか薄暗い店内はいい気分にはならないが、不思議と懐かしさを感じさせる。思い出のたったひとつでさえ存在しない店であるはずなのに、何度も足を運んだ古巣のような心地にさせるのは、レンタルビデオショップの持つ魔力なのかもしれない。

 律は新作と準新作が並ぶ棚をじっくりと眺めて、準新作を一つ手に取った。タイトルを見ても、聞き覚えのないマイナーな作品だった。

「真白はなにか見たいのある?」

「律のおすすめにしようよ。わたしはあんまり詳しくないから」

 わたしは映画にそれほどの興味がない。全く見ないこともないが、誰かに誘われなければ、行こうと思うことがない。金曜日の夜に放送される映画たちを別の作業をしながら見ることはあるけど、そのあらすじを正確に語ることはできないだろう。

 律は店内をぐるりと一周見回した。規則正しく整列する作品たちは、あいうえお順で並んでいることはもちろん、洋画に邦画、韓国ドラマやアニメーション作品――といったように、コーナー分けがしっかりとされている。子どもの来店が少ないのか、アニメーション作品の棚には埃が降り積もっていた。

「えーっと。どこにあるかな……」

 律は邦画コーナーに移動して、「か行」が並ぶ棚の前に屈んだ。わたしもその隣に、同じようにして屈む。名前を知っている作品と、知らない作品とが半分ずつ並んでいた。実際に視聴したことがある作品は、たったのひとつもない。

 律はその中から一作を抜き出した。知らないタイトルだったので、マイナーな作品だと考えたのだが、パッケージに写る俳優は見知った人気者だ。

「その俳優さん知ってるよ。いまやってる刑事ドラマに出てるよね。この間までやってた、弁護士ドラマにも出てた。なんかの映画の番宣でも見かけた気がするなぁ」

「そうそう。名バイプレーヤー。テレビで人気者になってからも、昔に所属してた小さい劇団の舞台作品にも顔出したりしててさ、オレは結構好き。悪役も多いんだけどね。番宣は昨日上映し始めたコメディだと思うよ」

 パッケージで勇ましく武器を構える彼は、テレビで見かけるよりも荒々しさを残していた。コメディからリーガル、サスペンスまでやってのけるとは、ずいぶんと演技派なのだろう。

「ちなみに、これは星五つの作品」

 律は高揚して、鼻息荒く熱弁を始めた。ここまで熱くなるのは珍しく、映画好きの一面が垣間見られる。

「ちなみに満点はいくつなの?」

「星五つ」

 律は指を五本立てて、わたしのほうに突き出した。わたしの手よりもずっと大きくて、つい胸が高鳴る。恋人になってからも、好きになってからも、ずいぶんと時間は経過しているはずなのに、未だに好きは深まっていく。大人になってもパフェやケーキの類にわくわくする気持ちと、律に対する感情は異なるものだが、よく似ている。

「じゃあ、それにしよっか。帰りにコンビニでポップコーンかポテチでも買おうよ」

 立ち上がり、スカートの裾を整える。律はその棚からもう一作抜き取って、脇に抱えた。

「じゃあ、コーラも買わないと」

「いいけど、なんでコーラ?」

「映画の醍醐味と言えば、ポップコーンとコーラじゃん?」

 わたしがそういうものなのかと首を傾げると、律は「定番には乗っておくべきだよ」と笑った。たしかに、ポップコーンと炭酸飲料の組み合わせは映画館の定番メニューで、醍醐味のひとつなのかもしれないと頷いた。


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