4 怪我
仕方がないので、そのまま二人で川遊びをして魚を見たり小さなカニを見つけたりした。子ども時代に戻ったようでなかなか楽しい。彼もキラキラした笑顔でハハハ……と笑っている。
――いやいや!普通に楽しんでどうするんだ。
心の中で自分にツッコミを入れる。そんな時に、何故か川からぬいぐるみが流れてきた。
なにこれ?そう思っていると、男の子が遠くから必死にこちらに走ってくるのが見えた。
「そ、それ!ぼ、僕のなんだ……捕まえて!」
はぁはぁと息を切らしているが、これが彼の物だとわかった。私は急いで手を伸ばすが、届かず慌てているとグラリと体勢を崩した。
「危ないっ!」
私はラファエル様に片手で抱きとめられ、こける寸前で助けてもらった。彼の逞しい腕の中に包まれてドキドキと胸の鼓動が早くなる。ふわっと爽やかな良い香りもして……男性でこんないい匂いがする人いるのかと驚いた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
至近距離で見る彼の顔は整いすぎていて、耐えられそうにない。うゔっ、目が潰れそう。一刻も早く彼から離れたかった。なのに何故か彼はなかなか腕を解いてくれない。
「あの……そろそろ離してくださいませんか?」
そう言った途端に、彼はハッと気が付きそっと私から腕を離してくれた。
「すみません。助けるためとはいえ、触れてしまって」
「いえ、ありがとうございました」
私が頭を下げると、男の子が近くに来た。
「助けてくれてありがとう!遊んでて落としたんだ」
男の子の嬉しそうな顔を見て、彼が犬のぬいぐるみを持っているのに気が付いた。私を助けながら、このぬいぐるみも拾ったんだ。さすがラファエル様!
「よかったな。このお姉さんがこの子を助けてくれたんだ」
そう言って微笑み、彼は男の子にぬいぐるみを渡した。彼は私を見て「ありがとう!」と手を振って走り去って行った。
「な、なぜあんなことを?私は何もしてません。拾ってあげたのはあなたではありませんか」
「ロザリー嬢がいなければ川にも入っていないし、君が手を伸ばさなければ私がぬいぐるみを拾うこともなかった。だから君が助けたようなものだよ」
そんな風に上手く言いくるめられてしまい、私は黙ってしまった。絶対に彼のおかげなのに……良い人過ぎるわ。
私達は流石にもう川から上がろうという話になった。元々嫌われるために入ったのになんだか……よくわからない感じになってしまったわ。
足を上げた時にズキっと痛みが走った。どうやら、ぬいぐるみを取ろうとした時に足を擦ってしまったみたいで血が出ていた。
あーあ、やってしまった。傷が残ったりなんかしたら、お父様がショックで倒れそうだわ。家に帰った時に、怪我がバレないようにしないとだめだわ。
ラファエル様は先に川から上がり、私に手を差し出してくれた。気付かれないように気をつけたつもりだが……私がわずかに顔を顰めたのに彼は気がついた。
「どうしたんですか?まさか怪我を?」
「大したことはありませんわ」
私は笑顔を作って、何でもないような顔をしたが彼はすぐに私の足の傷に気がついた。
「失礼」
その瞬間に彼は私を横抱きにした。
「きゃあ!」
「我慢してください。危ないからじっとしててくれ!」
ラファエル様は怖い顔で私を睨んだ。いつもより少し乱暴な言葉遣いに怯んで、大人しく彼の首に手を回した。恥ずかしいけれど……仕方がない。
彼は近くにあると言っていた小屋にそのまま連れて行ってくれ、椅子に座らせてくれた。
彼は自分の執事にテキパキと指示をして、救急箱を用意させた。彼は床に片膝を突き「少し染みますよ」と私の足を綺麗な水で濡らしたタオルで丁寧に拭いていく。
私は身体中真っ赤になった。素足を近くで見られているだけでも恥ずかしいのに、触られるなんて。
「ラ、ラファエル様!やめてくださいませ。あなたにこのようなことしていただくわけには」
「気になさらないでください。怪我の手当ての方が大事です」
「き、汚いですからやめてください!」
私は彼の肩を押して、必死に拒否をした。あのラファエル様に床に跪かせて怪我の手当てをしてもらうなんて、あり得なさすぎる。こんなことが誰かにバレたらと考えただけで、ゾッとするわ。
「汚くなんてありませんよ。綺麗です」
あるわよ!綺麗だなんて……そんな紳士発言は今はいらないですから。とりあえず足から手を離して欲しい。
「は、離してくださいませ。手当ては我が家の侍女にしてもらいますから」
「いえ、私に任せてください。騎士をしていると、怪我の手当ては得意になるんです」
彼は傷口に薬を塗り、ガーゼを貼って綺麗に包帯を巻いた。かすり傷なのに、明らかに大袈裟ではあるが完璧な手当てだ。
「はい、終わりました」
「あり……がとう……ございます」
私は俯きながら、小声でボソボソとお礼を言った。
「あなたに怪我をさせてしまった。傷が残らなければいいのですが」
「何をおっしゃるのですか?私が悪いのです。それにラファエル様に助けていただいてなければ、今頃こんな怪我では済んでいません。それにもし傷が残っても平気ですわ。ドレスで隠れますし気にしないでくださいませ」
私をじっくり見る人なんていないしね。ケラケラと笑うと、彼は眉を下げた。
「……あなたは言わないのですね」
「え?」
「前に私のせいで怪我をしたから、責任を取って結婚してくれと言われたことがあったので。しかもそれは、わざとこけただけだったんですけれど」
はあ?何それ……そんな嘘をついてまで彼と結婚したいのか。女って怖い。
「それは酷いですね」
「そんなことも一度や二度じゃありません。周囲の者が私は関係なかったと証言してくれたおかげで大丈夫でしたが」
うわー……女性不信になりそう。モテる彼は人生イージーモードで羨ましい、なんて思っていたがとんでもない。モテ過ぎるというのは大変なことだわ。
「そんな御令嬢ばかりではありませんわ。きっとこれから、ラファエル様にぴったりの素敵な出逢いがあるはずです。だから気を落とさないでくださいませ」
「そうだね。君のような素敵な女性に逢えて、私は幸せだよ」
嬉しそうに笑う彼が綺麗でつい見惚れてしまった。そしてすぐにハッと正気に戻る。
「私なんかより、もっともっと素晴らしい方がいらっしゃいます!!」
「私は女性と出かけてこんなに楽しかったのは、生まれて初めてだ」
楽しかったですって?大嫌いな甘いマフィンを食べさせられて、川に入って……怪我の手当てをさせられたことが?私は首を傾げた。
「またデートして欲しい」
「……っ!」
嫌われ計画はどうやら失敗したようだ。どこがダメだったのかと私は頭を抱えた。もう私は勇気を出して自分の意見を言ってみることにした。
「実は……私には年の離れた弟がいるからか、甘えてくれる男性が好きみたいなんです。だからやっぱり私達は合いません。ラファエル様はとてもしっかりしていらっしゃるし、ご自身が引っ張っていきたいタイプですよね?」
「甘えてくれる……男性?ロザリー嬢は……その……そういう男と今までお付き合いを?」
彼は急に不機嫌そうな顔でそんな質問をしてきた。私は哀しいことに今まで誰とも付き合ったことがない。だからマッチングを利用したのだ。
「……お恥ずかしいですけど、私はまだ誰ともお付き合いしたことがありません」
すると彼はバッと顔を上げて驚いた顔をした。誰とも付き合ったことがないなんてモテるあなたには、信じられないでしょうけど。
この国の十七歳なら大抵一人二人はお付き合いしたことがある人の方が多い。どうせ私はモテないわよと唇を尖らせて拗ねた。
男性の中にはそれなりに経験のある御令嬢の方が良いという人も多いことを知っている。学生時代に密かに憧れていた先輩が『付き合った経験ない御令嬢は面倒だ』と友達に話しているのをたまたま聞いて傷ついたことがあるからだ。
誰にも選ばれたことのない私は、ダメなんだと思ったことを思い出した。選ばれる努力をして来なかった自分が悪いのだけれど。
「恥ずかしくなんてない!」
「え?」
「私なら……もし私が君の恋人ならとても嬉しい。好きな女性が自分が全部初めてなんて幸せだよ。だってこれから思い出や経験が沢山できる。大切に守ってきたことを誇るべきだよ」
私は別に大切に守ってきたわけではない。ただモテなかっただけ。でも恋愛をしたことない私を馬鹿にしないどころかフォローしてくれるなんて、やはり彼は紳士だなと好感がもてた。