11 お母様
「お嬢様、よろしいのですか?ラファエル様は絶対にお嬢様のことをお好きですよ!?」
「冗談言わないで。彼に私は合わないわ。今日も色んなところでジロジロ見られて不愉快だったの」
部屋で豪華なドレスを脱ぎながら、ジャンヌとそんな話をした。
「……お嬢様は普段から目立つのが苦手ですものね。私はまたお嬢様が大勢の前で歌われるのを心待ちにしていますけれど」
私はそれに返事ができなかった。実は私のお母様は貴族令嬢でありながら、天使の声を持った歌姫と言われる程有名な歌手だった。それを聴いて育った私も、自然に歌を好きになった。
『歌はね……心を込めて歌えば人の心を癒せるの。きっとあなたにもそれができるわ』
お母様は亡くなる直前に、私にそう言ってくれた。大好きなお母様と同じように歌手になりたかった。歌えば……お母様が隣にいてくださるような気がしたから。
当時の私は歌が上手いともてはやされ、色々なところで歌って欲しいと依頼を受けていた。でもあるパーティで歌を披露した後に、周囲から陰口を叩かれているのを知った。幼い私はそれがショックだった。
『あれが天使の歌姫アリエルの娘!?地味よね』
『歌にも華がないわ。下手くそだし』
『アリエル様も可哀想ね、あれが娘じゃ。天国できっと嘆いていらっしゃるわよ』
聞こえるようにあははと笑いながらこちらをチラチラと見ていた。私は涙を堪えて、お父様に抱きついて『もうお外で歌いたくない』と言ったのだ。大好きなお母様の名を自分が汚すのは嫌だった。
お父様は『私はロザリーの歌大好きだよ。でも嫌なら歌う必要はない。依頼があっても私がすべて断るから心配するな』と優しく頭を撫でてくれた。きっとお父様は私への陰口を知っていたのだと思う。
わりと活発だったのに、その事件以降目立たないように生きるようになった。歌は好きだけど、家の中や誰も聴いていない一人きりの場所でしか歌わない。
家で歌うと使用人や弟のシルヴァンは『上手』とか『素敵』とか『外で披露しないなんて勿体無い』と言って賞賛してくれるが、恥ずかしいからと断っている。
我が国では歌の上手い女性は価値があるとされており、社会的地位も高い。舞踏会やパーティでは必ず歌が披露されるし、王宮の式典や神へ祈るお祭りなどでも『歌』は必須だからだ。だから本当は私が歌手として活躍した方がジェラール家の名が上がる。
だけどお父様は『ロザリーの歌を家で独り占めして聴けるなんて贅沢じゃないか』と……外に出ろとは言わない。そんな優しい人なのだ。
三年に一度歌姫を決めるコンテストがある。お母様はそれに二回連続選ばれたのだ。きっと病気にならなければもっともっとお母様の歌姫記録が続いていたはずだ。それくらい桁違いにすごい歌手だった。
そして見た目も良かったお母様は本物の天使だと言われ、若い頃はそれはそれはモテたそうだ。王族関係者からも求婚されたとか、されてないとか。
『お母様はどうしてお父様と結婚したの?』
幼かった私はベッドで寝たきりになっていたお母様に質問したことがある。
『彼を愛しているからよ?どうして?』
『私もお父様優しいし頼もしいし大好きよ。でもね、この絵本のようにキラキラした王子様じゃないわ。お母様はお姫様みたいに綺麗なのに』
そんなことを言った私に、お母様はくすくすと面白そうに笑った。
『ロザリーにはわからないかしら?私にはエドモン以上にキラキラした王子様はいないわ』
『えーっ……?』
失礼な話だが、私は不満だった。だってその時の私は絵本の中の王子様に夢中だったから。
『エドモンに聞いたことがあるの。急に私の声が潰れて、歌えなくなったらどうするって?じゃあなんて言ったと思う?』
私はわからなくて首を傾げた。すると、お母様は嬉しそうに微笑んだ。
『アリエルの歌が大好きだから聴けなくなるのは残念だ。でも、歌えなくなったら……君が忙しくなくなる分私と一緒に過ごせるから嬉しい。歌えても歌えなくても私には関係ないよ。君自身を愛しているから』
そう言ったらしい。歌姫として男性から好かれたり望まれることが多かったお母様は、どんな彼女でも好きだとハッキリ言ったお父様に惚れたらしい。
『歌姫になったら一つ王家からお願い事を聞いてもらえるの。そこでね……エドモンと結婚したいってみんなの前で宣言したのよ』
まさかのお母様からの求婚だったらしい。まあもちろんお父様が先に告白していて、返事をするだけの状態だったらしいけれど。
歌姫を射止めたのが普通の伯爵家の男で、当時はかなり騒がれたらしい。でも……お父様の格好良さがわかった。
『ロザリーも歌姫になるかもしれないわね。そうなっても……私みたいに心から愛してくれる人を見つけて欲しいわ』
そう言ってお母様は照れ臭そうに笑った。お母様が今の私を見たらなんて言うだろうか。地味で歌も歌わず……恋もしたことがない。しかもマッチングで相手を見つけようとしているのだ。
――お母様、今の私を見たらがっかりするよね。
お母様の望んだ娘に全くなれていない。そのことがとても苦しかった。
「お母様の名を汚したくないの。外では絶対に歌わないわ」
「奥様は奥様、お嬢様はお嬢様です。それにお嬢様の歌声は素晴らしいですわ。きっと奥様は天国で喜んでいらっしゃいます」
「ううん、下手よ。お母様の方がよっぽど上手だったもの」
私は目を伏せて、左右に首を振った。私が歌うことを知っている人はもうほとんどいない。だから、もうこのまま目立たぬように生きていく。その方が幸せだと自分に言い聞かせた。
♢♢♢
次の日ラファエル様から手紙が届いていた。どうしても伝えたいことがあるので逢いたい、あれで終わりにしたくないと書かれていた。
私はもう話すことはないと書いた手紙を届けてもらうことにした。これでいい。
そしてその翌日決意の鈍らぬうちに王宮へ彼とのマッチングをお断りするため、シートにその旨を書き持って行くことにした。ラファエル様に会わないように気をつけて……提出を終えた。
「あっけないものね」
紙切れ一つで縁が終わるのだ。なんだか事務的過ぎて呆気ないが……きっとマッチングなんてそんなものだ。また良い縁があればご連絡しますね、と言われた。
どうかラファエル様にもよいご縁がありますように、とそう願ってその場を去った。
「ロザリー嬢、少しいいかな?」
後ろから声をかけられ、振り向くとそこにはまさかの人が立っていた。
「パーシヴァル殿下、ごきげんよう」
私はすぐに廊下の端に寄り、挨拶をした。なぜ殿下に声をかけられるのか。
「楽にしてくれ。少し話がしたい。いいかい?」
「……はい。もちろんでございます」
伯爵令嬢に殿下の命を断ることなんてできるはずがない。殿下の自室に案内されて、私は戸惑いを隠せない。
「私は愛する婚約者がいるから、そんなに緊張せずとも良いよ。君に悪さはしないから。さあ、座って」
ハッハッハと豪快に笑う殿下は漆黒の黒髪を一つに束ね、凛々しい眉と美しい碧眼を持ったワイルドな男性だ。文武両道で、おおらかな性格から多くの臣下に慕われており次期国王は間違いなく彼だと言われている。
ちなみに学校の二つ上の先輩で、ラファエル様とはクラスメイトだったはずだ。
「わかっております。そんなことは全く心配しておりませんわ。殿下のような素敵な方が私など相手にされるはずございませんから」
私はニコリと微笑み、失礼しますと椅子に腰掛けた。
「うーん……謙遜は美徳だ。でも自分を卑下するのは良くない。君は素敵な女性だ」
殿下にそんな風に言われて、私は戸惑ってしまう。私と殿下はほとんど話したこともないからだ。きっと知らないに等しい。
「素敵だと……よく聞かされているよ。ラファエルにね」
殿下は私の顔を窺いながら、ニヤリと面白そうに微笑んだ。




