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第2章 その4 女王杯、出走

 皆がトキの馬房に集まるころには日もすっかり落ちていた。手に持つランプは、馬を刺激しないよう弱めにしてある。


「薬はさっき飲ませたので。明日になってボロをしっかり出せば、ピンピンになりますよ」

「本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか」


「おおきいおねえちゃん、ありがとう!」


「ところで医者に診てもらったって言ってたけど、すぐ匙を投げちゃうなんて根性のないやつですねー。こんなの難しいもんじゃあるまいに」


「あの人はここの専属医師です。男爵様のお墨付きで、腕前のほうは確かなはずなんですが……たしかに今回は雑だったというか。しかし……いえ、なんでもありません」

「へぇー、ふぅーん……」


 ルネの反応には意味がある。その理由に心当たりがないわけではなかった。確かめる必要がある。


「つかぬことを伺いますが、明日のレースに出走する競走馬はお持ちですか?」

「え? ええ、反対側の馬房にいる『ソラ』という子が出ますが……どうして?」

「明日も観戦する予定なので、ふと気になって。おほほほ」


「ソラはね、わたしとおなじひにうまれたんだよ!」

「ほお、誕生日が一緒か。そりゃ思い入れもひとしおやろなあ」

「とっても素敵ですね……」


「出走するのは、最終レースの『アンナ女王杯』です」

「えーっ!?!?」


 すっとんきょうな声をあげたのはヒノカだ。


「そんなレースあるん!?」

「あっ。そういえばヒノカは知らなかったような……」

「知らん知らん! この年じゃ知らんやろ、普通は!」


 女王が明日のことを気にかけていたのは、何を隠そう自身の名を冠するレースがあるからだった。そういえばレースの名前について話していなかった気がする。


「実は、アニーの名前は女王様の名前からつけたんです。少しでもあやかれればと思いましてね」

「えーっ!?!?」


 二度目。今度は同じように驚きの声を出しそうになったが、ヒノカの方が早かったおかげで押し殺せた。


「女王杯でソラが走る……自分で言うのもなんですけど、運命的な巡りあわせのように思えてならないんです」

「えへへ」


「いずれこの子が大きくなったら、誕生日式典を見に行きたいものですね。そのとき、うちで生まれ育った馬たちが行進の中にいたら……なんて高望みしすぎでしょうか。ハハハ」


「へ、へー……女王様って慕われてるんやねぇ……」


 アンナ・ルル・ド・エルミタージュ。その名にあやかって子供の名前を決める親をよく見ると聞いている。とはいえ目の間に実例がいると、嬉しいような恥ずかしいような気持ちでムズムズする。


 羽毛のように心地よい感覚にひたりたいのはやまやまだが、今はやるべきことがある。ルネに視線で合図を送った。


「……じゃ、ここらでお開きにしませんか。トキをゆっくり休ませてあげないと」

「ええ、私たちも宿に戻りましょう。おほほほ」


「ありがとう、ありがとうー!」


 馬房の前で一家を見送る。アニーは見えなくなるまでずっと手を振り、両親はなんども振り返っては頭を下げた。




「……ん? 結局ウチらの寝泊まりはどうなるんや? 結局わらの中か?」

「ええ。このままソラの馬房で夜を明かしましょう」

「お嬢のことや、何か考えがあってのことか」

「わたしもお供しますよー」




 ソラの馬房に向かう。のぞいてみるとのんびりしている様子だったが、こちらに気づくとトコトコと近寄ってきた。


「ソラ、こんばんは。お邪魔させてください」


 中に入るとソラが鼻先をピタッとくっつけてきた。大きな口をもごもごさせながら、女王の肩から首にかけてさすってくる。とてもあたたかい。


「歓迎してくれるのですか? ありがとう」


 お返しに首をなで、束の間の交流を楽しんだ。


「では、わらの中で『待ち』ましょう。私がしっかり見ているので、眠っても大丈夫ですよ」

「踏まれたりしませんかね? 怖いんですけど」

「驚かせなければ大丈夫や。ほら入るで」


 三人でわらの中に入る。なかなか暖かく、夜風がふいても問題はなさそうだ。


「なあなあ、ソラもええ体つきしてる気がせえへん?」

「ヒノカもだいぶわかってきましたね」

「ちゃうわい。なんとなくや、なんとなく」

「そのなんとなくを風格っていうんですよ、『ヒ・ノ・さ・ん』」

「ヒノさん……自分よりでかいやつにそんな呼ばれかたすると変な感じや」




 女王たちがわらに潜ってどのくらい経っただろう……夜の闇の中、馬たちが奏でる乾いた草の音をずっと聞き続けていた。

 そこに雑音が混ざる。土を踏む軽い音。来なければそれでよしと思ったが、やはりそうはいかないようだ。


 足音が馬房の前でとまる。わらを抜け出し、月明りがうつす影に忍びよる……気づいたときにはもう遅い。

 手首をつかんでひねりあげ、その体を地面にたたきつけて屈服させる。苦痛の声をあげる暇もなかったろう。


「か、く……っ!」

「このような時間に何のご用でしょうか、『先生』? ぜひお聞かせください」




 翌日。

『証人』を確保した女王は、遠巻きにソラの入場を見とどけてから客席へ行くつもりだったのだが、どうも様子がおかしい。


 駆けつけてみると、アニーの父親と係員が口論をくりひろげていた。


「騎手がいないってどういうことですか!?」

「彼はアデュウ男爵の命令によって謹慎処分を受けたのだ。この馬を出走させたいなら、別の者を探してくれ」


「そんな急に処分が下るなんて聞いたことがありません、騎手が何をしたっていうんですか!」

「なんだっていいだろう。とにかく、今おこなわれているレースが終わるまでに代わりを連れてきなさい」

「ひどい、時間がなさすぎる!」

「私に言われたって困るんだよ!」




 他に道はない。


「あの! 私にやらせてください!」




 まさか騎手としてレースに臨むことになるなんて……しかも自身の名を冠する『アンナ女王杯』に。

 乗馬の経験はある……どころではない、大好きな趣味の一つ。ただ、城の外を走ったことはなかった。まだ早い、とジョゼフに何度も言い聞かされたものだ。この姿を見たらひっくり返ってしまうかもしれない。想像すると少し笑ってしまう。

 


 ファンファーレ。競馬場が期待に波打ち、人々の願いを天に放つ魔法の時間。


 人前に出るといえば式典のパレードだったが、まったく違う。

 式典は女王が中心になって祝福と喜びを分かち合う、渦のようなものだ。レースでは競い合う騎手、そして競走馬たちと肩を並べる。みんな対等の立場だ。


 観客がそれぞれの想いを送り、ひとりひとりが湧き水のごとく、競馬場の中で混ざりあい激流となって打ち寄せている。


 この勝負、力の限りを尽くそう。


 横たわる静寂……そしてスタートの号砲が鳴った!

つづく

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