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第1章 その3 「エルミーナと申します」

 城下町の郊外にぽつんと二階建ての家があった。夜も遅い時間だが明かりがついている。ヒノカは扉をノックしてから開けた。


「おばちゃん、帰ったで!」

「ヒノカちゃん! なかなか帰ってこないから心配してたんだよ」


 中年の婦人が駆け寄ってくる。大家とはこの婦人のことだろう。


「へへへ、今日が一番の稼ぎ時やったし、ちょっと張り切ってもうたわ」

「この子ったら。たくさん人がいればそのぶん変なのも出てくるし……本当に気を付けてね」


 ヒノカのことをよほど気にかけていたようだ。かける言葉の中に優しさを感じられた。


「うん、ありがとうなおばちゃん。で、一つ相談なんやけど……今夜はコイツも泊めてもええかな?」

「そりゃかまわないよ。あなた、お名前は?」

「はじめまして、ええと……」


 アンナ・ルル・ド・エルミタージュ。などと名乗るわけにはいかない。


「エルミーナと申します。よろしくお願いします。おほほほ」

「エルミーナちゃんね。今はヒノカちゃんしか泊まってないし気楽にしていいからね」

「よっしゃ決まりやな! おばちゃん、ありがとう!」

「おばさま、お世話になります」


 深々と頭を下げた。


「いいよいいよ。さあ、スープがあるからおあがりなさいな」


 初めて手に取る木製の食器。ふだん使っているものより軽くて分厚い。スープの味は……素材を生かしていると表現すべきだろうか。少々の野菜の苦み、それと薄いが塩の味がする。今まで口にした食事とはまるで違うせいか、美味かどうかを判断するのは難しかった。


「あー、夜風に当たった体が温まるで……」


 ヒノカはホッと息をつきながらスープを飲んでいる。それを見ていると……


「私もぽかぽかしてきました」

「アンタもわかるか、この良さっちゅうもんが」

「二人ともおおげさだねえ」


 このスープは忘れられない味になりそうだった。




 もう夜は遅い。スープを飲んだ後はすぐ寝室に向かった。ヒノカと同室だ。誰かと同じ部屋で就寝するのも物心がついてから初めての体験だ。


「ヒノカさん、いろいろとありがとうございました」

「『ヒノカ』でええよ、『お嬢』」

「では……ヒノカ。私のこともエルミーナでいいですよ」


「うーん……アンタはなんか『お嬢』って感じがするわ。他人行儀で言ってるんやないで。そう呼んだほうが親近感っちゅうか自然に思えるんや。アンタええとこのお嬢様やろ?」

「そう見えますか?」

「相当な箱入り娘と見たで。おおかた外に興味があって家を抜け出してきたクチやな?」

「……はい。その通りです」


 観念してうなずいた。身ひとつで世間を渡ってきただろう彼女を相手に、ごまかし続けるのは不可能だと思った。


「やっぱりそうか。さすがウチやな! ……で、明日になったら帰るつもりなんか?」

「いえ、もう少し見聞を広げたいと考えています。まだ抜け出したばかりですから」

「止めはせんけど……大丈夫かいな」


 心配するのも無理はない。だが、先ほどの男たちから彼女を助けた件が自信になっていた。


「はいっ! ヒノカのおかげで人との話し方もわかってきたと思います!」

「そう言うてもお嬢、今夜泊まるとこのアテもなかったやんけ。まだ町にとどまるならこの部屋を使うのはどうや? 勉強やと思って明日おばちゃんと交渉してみい、『ヒノカの次は私が使いたい』ってな。ウチも横で見ててやるから」

「えっ? ヒノカの次……ですか?」

「ウチがここにいるんは明日までや。町から町、村から村を渡り歩いて稼ぐ。道中でも人が集まれば稼ぐ。それが旅芸人っちゅうもんや。ま、行き先はとくに決まってへんから、歩きながら考えるかな」

「せっかくお友達になれたのに……とても残念です」

「お友達って……まっすぐなお嬢やなあ」


 ヒノカは顔を見られないようにくるりとベッドに寝ころんだ。


「ほなさっさと寝るで。寝不足じゃあちゃんとした交渉なんてでけへんよ」

「ええ、おやすみなさい」


 女王も部屋の反対側のベッドで横になった。城よりも狭い部屋、木のように固いベッド――すべてが初めての感触だった。


 どうか目が覚めてもこの部屋でありますように。そう祈りながら明かりを消した。




 日の光を感じて目を開ける。最初に見えたのは薄汚れた石の天井。昨日の出来事が夢でなかったことに安堵した。


 しかし――


「足音? しかも穏やかではない気配が……」

「お。やっと目が覚めたんか、お嬢?」


 ヒノカは荷造りをしていた。

 起きたばかりだが意識をすぐに覚醒させる。思案するうち足音の正体に思いいたった。


「ヒノカ、大家のご婦人はどこにおられますか?」

「おお、めっちゃやる気やんけ。でも慌てんでええ。おばちゃんなら外や、毎朝一番にいつも――」


「……おばさま!」


 ベッドから飛び降りて部屋を出た。何かがあってからでは遅い。


「ちょ、なんやどうした!? おーい、待たんかーい!」




「なんなんだいあんたたちは!?」

 婦人はたじろいでいた。朝から衛兵を連れた男が郊外までやってくるとはただことではない。


「この家で女の旅芸人が寝泊まりしているのは確かか?」

「なんでそんなことを――」

「答えろ!」


 衛兵が槍の石突で地面をたたき、背筋を伸ばしたまま詰め寄る。

「あの子がなにをしたっていうんだい!?」


「おばさま!」

「あっ! エルミーナちゃん!? 安心しな、大丈夫……大丈夫だから」


 婦人が女王を守るように両手で制止する。続けてヒノカもやってきた。


「おばちゃん! お嬢! どうした……って、ああーっ!? アンタまさか昨日の!?」

 

「フン、出てきたな。俺から逃げられると思っているのか」

「旅芸人! 昨夜お前にワイン瓶で殴りつけケガをさせられたとの通報があった! よってここで捕らえる。おとなしくしろ!」

「ハァ!? 何言うてんねん、そんなことするわけないやろ! 『お持ち帰り』を断っただけや!」

「じゃあこの頭の傷はどう説明するんだ、んん?」


 男は前髪をかきわけ見せつけるように頭を向けた。こめかみから後頭部まで続く大きな傷跡だ。


「最初からついてたやんけ! 酒場でウチに自慢しとったやろ、決闘でついた名誉の傷だーってな! おい衛兵、こんなヤツの言うことを真に受けたらあかんで! あんなデカい傷が昨日の今日でふさがるわけない! 絶対おかしいやろ!」

「黙れ! 浮浪者のお前とこのお方を比べれば、どちらが正しいかなど明らかだろう!」

「なんで――」

「ヒノカ、無駄です。この衛兵の顔をよく御覧なさい」

「あ……」

 ヒノカは息をのんだ。相手は昨夜、声をかけてきた二人組だったのだ。


「そういうことか……クズがっ!!」


 彼らは軽蔑の声を気にとめるどころか楽しんでいるようにさえ感じられた。


「ワハハハハ、いつまでそんな口がきけるかな? おい、そろそろアレを言ってやれ」

「ハッ!」


 衛兵が一歩前に出て高らかに述べた。


「控えよ! こちらにおわす方をどなたと心得ておる! 西の名君バレンノース公の執政代理人、ゲオル・ベレッツォ様であるぞ!」


「な、なんやて!?」

「あのバレンノース様の!?」


 バレンノース公は王国でも指折りの有力貴族で、人望も厚く名君として広く知られている。二人の反応が何よりの証だ。


「ただいまバレンノースは病に伏しておられる。嫡子もおらぬゆえ、俺が代理を務めているのだ。フフフ、あのジジイがくたばったときは俺が跡を継ぐことになるだろう。どうだ? これが俺の『人脈』というものだ」


 ゲオルは胸の勲章をなでながら続いた。


「さらに、昨日の式典で女王をはじめ多くの者たちに顔を売ってきた。じきに俺の顔を知らぬ権力者はいなくなる」

「わかったか、このお方はお前たちとは住む世界が違うのだ」

「小娘、お前は運がいい。言うことを聞けば昨夜のことは水に流してやる。屋敷でじっくりと『教育』を施してやろう。あわよくば『人脈』になるかもしれんぞ?」


 なめまわすようにヒノカを見る目。バレンノース公がこのような男を重用しているなどにわかには信じがたいが、女王は彼に見覚えがあった。彼の言う『式典』だ。


「いけ好かないヤツやと思っとったけど……想像以上やな」

「……ふむ。そうだ、断ればそこの二人も共犯にしてしまおう。衛兵、応援を呼ぶ用意をしておけ」

「ハッ!」


 見せつけるように角笛を出してブラブラとゆらす。


「さあどうする。来るのか、来ないのか?」

つづく

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