第四十一話 決勝戦⑤
作者注:ヨモツシコメは既に名付け済みでしたが、その名前に相応しくあれるまではと彼女の希望で呼びかけはヨモツシコメのままでした(第二章第二十一話 黄泉醜女という女③にて記載済み)
心がくじけ、諦めそうになり、俯いた時。己を奮い立たせて立ち上がる者を勇者と呼ぶのなら――堂島守善はどこまで行っても凡人だ。
「――……ッけんなテメェ!」
だが、凡人は己自身の力で立てずとも時に”誰か”の手を借りて立ち上がることができる。
堂島守善は凡人で愚者だ。周囲との軋轢を気にも留めず、甘く見て、群衆の恐ろしさをようやく思い知った愚か者。
「なに俯いてんだよ! こんなとこで諦めるのか、僕に勝ったお前がさぁ!」
だとしても、全てが全て愚かなばかりではない。
徹頭徹尾本気だった。冒険者として本気で向き合っていた。その本気さ故に得た関係が確かにある。
「勝てよ! お前が負けたら僕まで負けたことになるだろ! 決勝まで来たんだ、勝ち以外許さないからな!?」
だからこの罵声のようでそうでないエールは必然だ。
守善のライバルが、籠付善男が観客席の最前列で顔を真っ赤にして怒声を張り上げていた。
「そうですわ! この私に勝ったのです、無様な敗北など許しません! 立ちなさい、堂島守善!!」
芹華もいた。籠付と同じかそれ以上に声を張り上げていた。
「このまま負けんなよ~! 応援してるぞ!」
「勝っても負けても全力で行け!」
「レビィちゃん可愛いから堂島選手も頑張れー!」
会場の九割以上の声援がヒデオに向けられている。それは裏を返せば全体の一割未満とは言え堂島守善へ向けたエールもまた確かに存在するということ。
それは他者を、群衆を切り捨ててきた堂島守善にはあまりにも過大で、温かな……しかし、確かに守善自身の頑張りが掴み取ったエールだった。
「フフ、温かいですね。旦那様」
思いも寄らない声援に呆然とする守善にヨモツシコメが寄り添う。普段の自信のないおどおどとした口調が嘘のような、堂々とした立ち姿だった。
「諦めちゃ、ダメです。夢を諦めるな。そう教えてくれたのは旦那様じゃないですか」
微笑っていた。恐ろしく醜い鬼女が、長過ぎる黒髪を掻き分け、その醜さをさらけ出して笑っていた。嬉しそうに、心の底から幸せそうに。
その万人が醜いと断じる微笑みを……何故だろうか、守善は美しいと思った。
「恋、華……」
「はい、あなたの恋華はここにいます」
その醜さゆえの美しさに我知らず口に出すのを封じていたヨモツシコメの名を零した。
(恋華……それが私。旦那様から賜った、私だけの名)
ヨモツシコメ。誰よりも醜い鬼女でありながら誰よりも恋に憧れる彼女を知り、守善が真っ先に連想したのは泥の中に咲く蓮華だった。
醜い汚泥に放り込まれた種子はその芽を伸ばし、花を咲かせる。一片の穢れもなく気高く咲き誇る蓮華こそが彼女の生き様に相応しい。
たとえどれほどの時間をかけようと、いつか必ず泥中から咲く恋の華――だから、その名は恋華。
(その名を与えてくれた旦那様に報いるために)
ニコリ、と恋華は守善へ優しく微笑んだ。
「大丈夫、旦那様の道は――私が拓きます」
「なに、を……」
「だってあなたは私の夢を叶えてくれたから」
「夢? お前の夢はこれから――」
「いいえ、違います。私の夢は叶った。だってあなたに名を与えられた時に、ううん、あなたが私を受け入れてくれたその時から――私はあなたに恋をしているのですから」
あまりにも醜い鬼女からの告白に会場がどよめく。意地の悪い観客が野次を飛ばそうとしたその時――、
「だから今度は私の番」
光が、輝いた。
守善が懐にしまったヨモツシコメのカードが強く光を放った。それは新たなスキルを得たときに放つ輝き。
「私が旦那様の夢を叶える。旦那様の力になる! そのために――」
そして今度はヨモツシコメ自身が淡い輝きを纏う。淡い光はほんの一瞬だけ、だが閃光のように輝きを増し、観衆の視線からヨモツシコメを隠した。
そして視界を灼く強烈な輝きが収まったそこに立っていたのは――、
「まさか、恋華――か?」
「はい、旦那様。あなたの恋華が、ここに罷り越しました」
本気の困惑を滲ませた守善の問いに、蜂蜜よりも甘くとろけた声が応える。
その声の主は観衆の視線を一身に集める美しい鬼女。寒気がするほどに怜悧な美貌はただ一人守善だけを捉える。陶酔したような揺れる瞳が守善に向けられ、ただ一人しか目に入らないと幸せそうに微笑んでいた。
艶やかな髪は烏の濡羽色、誘うようにしっとりと濡れた唇は鮮血の如き赤。その痩身を包む花魁に似た装束は鮮やかな紅蓮華の如く。
大胆に肩を晒した衣装から覗くこぼれおちそうなくらいに豊かな胸の谷間は見えそうで見えないギリギリの絶対領域。他者を拒絶し、ただ一人にだけ開かれた楽園だ。
こめかみから伸びる鬼の双角、濁った血を思わせる赤の瞳は光を映さず、女が持つ危うくも強烈に惹き込まれる色気を強調する。
最前までの醜い鬼女とは似ても似つかない、絶世の美女がそこにいた。
『ちょっ……えっ……? なに、あの美人??? まさかカードを交代した……?』
『いや、違う!』
あまりにも似ても似つかない姿に千鶴が咄嗟に不正を疑うが、カイシュウが即座にそれを否定する。
『スキルだ! 野郎、この土壇場で新しいスキルを発現させやがった!?』
『えっ、嘘!? ヨモツシコメがスキルでああなるんですかっ!?』
『鬼女系モンスターが变化スキルを後天的に得ることは稀にだがある。安珍清姫伝説って知ってるか? 元々そういう素養があんだよ』
カイシュウの言葉に守善が急いでカードを確認すれば、確かに新たなスキルの名があった。ヨモツシコメが持つ後天スキルを全て統合、更に新たなスキルを幾つも内包する強力な複合スキル。
ランクにしてメイドマスターと同格以上。ごく僅かな恋する乙女だけが発現できると噂される超稀少スキル――《命短し恋せよ乙女》。
【後天技能】
・命短し恋せよ乙女(NEW!):女は時に情愛からその姿を変貌させ、恐ろしい力を振るう。恋の七変化、良妻賢母、追跡、魔力隠蔽、虚偽察知、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、悋気嫉妬は女の常を内包する。慕う男に裏切られたとき、マイナススキルへ変化する。
(恋の七変化:恋い慕う男の気を惹くため、その外見や体臭、気配、言動を変化させる。ただし変化は見かけ上のものであり、物理的に変身しているわけではない。フェロモンスキルを内包。
良妻賢母(統合!):妻や母として理想的な技能をすべて備えている。……ただしその愛を裏切らない限り、だが。料理、清掃、育児、性技を内包する。
追跡(統合!):マーキングした対象の気配を追跡することができる。ストーキングに必須。
魔力隠蔽:自分の魔力を隠蔽し、魔法の発動や魔法陣の存在を隠しやすくする。こちらもストーキングに有用。
虚偽察知:対象の偽りを見抜く。浮気を決して見逃さない。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ:自身がロストする時に味方全体の体力と魔力をある程度回復し、ステータスが大きく向上する。初等回復魔法を内包。
悋気嫉妬は女の常:嫉妬深い。嫉妬を恋慕の炎で燃やし、向上心へ変える。嫉妬するほどにステータスが上昇。)
『お……驚き、です。堂島選手、まさかまさかの隠し玉! あり得ないの代名詞、美しすぎるヨモツシコメの登場だ! こんなヨモツシコメなら私も欲しぃーいッ!?』
動揺を隠せていない千鶴のコメントがそのまま観客の総意だったろう。
正しく絶世の美女。スキル《恋の七変化》で装った姿は彼女の想像する”女”の理想像を限りなく忠実に象っている。まさに夢の中から飛び出してきたような、黄金比を体現したような美貌。観客の中には呼吸すら忘れて恋華を見詰める者すらいた。
強く、美しい。世の冒険者が女の子モンスターに求める要素を極限まで備えた理想を体現する恋華。
誰よりも醜い鬼女はいま誰からも羨まれる絶世の女の子モンスターへと羽化したのだ。
「――――で、だからどうした?]
もしかしたら。
会場を覆いかけたそんな期待を断ち切るように、赤黒く不吉なオーラを纏うリオンが問いかけた。
「話は聞いた。イイ女だな、お前。だがよ、その程度で俺達に勝てると思ってんのかよ」
立ちはだかるは純粋無垢な暴力の権化。BランクMAX戦闘力に等しい超越戦力。
恋華が新しいスキルに目覚めた程度で対抗できる戦力差ではない。侮りですら無い確信故にリオンは不敵な笑みを浮かべていた。
が、
「滑稽なお言葉ですね、リオン様。失礼ながらそれは愚問というものでは?」
クスリ、と口元に手を当てて上品に笑う恋華。その姿は自信に満ち溢れ、以前までのおどおどとした様子はどこにもない。
自身を唯一人のマスターのためにある”女”と規定した恋華にとって最早周囲からの視線や評価は気に留めるほどのものではなくなったのだ。
「ああ?! 喧嘩売ってんのかお前?」
「失礼致しました。ですが、あまりにリオン様らしからぬお言葉だったので」
「俺らしい、だと?」
「逆に問います。あなた達は勝てるから戦うのですか?」
冒険者とは字義のごとく”冒険”に身を投じる者だ。特により上位のステージに上がろうとする者達ほどそれは顕著。確実な勝利と生存など存在せず、勇気を奮って己を不確定要素の只中に放り込む。
冒険に勝算はあっても絶対はない。勝てるから挑む、では必ずどこかで行き詰まる。それでも不確実な勝利を求めて冒険者は冒険に”挑む”のだ。
「私は勝ちたい。旦那様の夢を叶えたい。だからここにいるのです」
「ヘッ、生意気言いやがる」
堂々とした恋華の啖呵に口では腐しつつも認めるように微笑うリオン。
「――だとよ、レビィ! テメェ後輩に煽られてそのまま黙って俯いている気か? ああ!?」
故に続く言葉は不甲斐ないライバルに向けたモノ。リオン達との戦力差に萎縮してしまったレビィへ向けての叱咤激励だ。
互いに認めあい、高めあい、この局面へと至った。ならばその結末へ至るために一点の曇りもあってはならない。
「――否」
そしてレビィもまた恋華とリオンの言葉に湧き上がる感情がある。冷静沈着な思考の影に密かな激情を滾らせるホムンクルスが静かに、しかし貫徹の意思を込めて応える。
「申し訳ありません、主。未熟故、雑念に囚われていました」
本来ならば己こそが恋華の役割を果たすべきだった。それこそがエースの役目だったのだ。
だができなかった。リオンを前に勝算を提示できず、怯んでしまった。自分では使命を果たせないと恐れてしまった。
(なんて、無様――)
自分で自分を殺したくなるほどの屈辱。ハヤテやB.B達から大一番を任された誇りを危うく投げ捨てるところだった。
この汚点は拭わねばならない。何をしても。そのために迷いがあってはならない。
「主の障害はすべからく――私が排除します」
勝てる勝てないではない。勝つのだ。そのために力を尽くすのが主のエースである己の役目。
研ぎ澄まされた殺意を纏った、一振りの刃がそこにいた。
『ようやく無用な迷いを削ぎ落としたか、輩よ』
そこに新たな声が重々しい響きを以て登場する。
これまで沈黙を貫いてきた付喪神だった。使い手であるレビィすらこれまで二言三言しか会話を交わしたことがない恐ろしく無口なモンスターであったが、決して無機質無感情ではない。むしろ度が過ぎるほどに偏屈なタチである。
「付喪神……」
『我らは道具。使われるもの。主に従い、主の意に沿い、ただその敵を討てば良いのだ。それ以外の全てはただの余所事。我らの働きを鈍らせる雑事に過ぎん』
度を超えた職人気質、あるいは道具気質と呼ぶべきか。己を徹底して道具と扱い、課された役割を果たすことに喜びを見出す。
守善よりもむしろレビィと共鳴する部分が多い偏屈者であった。
『つまり、ただ殺せばいい』
「ただ殺せばいい……」
物騒な結論は、しかしレビィの意識によく馴染んだ。
「”殺す”」
漏れ出た殺気にゾクリとリオンの背筋が冷える。狂人にナイフを喉元へ突き付けられた時の悪寒を百倍に増幅したような、原始的な恐怖。
「ヒデオ、泣き虫。分かってんな?」
「ああ」
「ヤダなぁ。私達、あんなのと戦るの?」
戦力差は隔絶している。ヒデオ達の勝ちは揺るがない、はずだ。だがその確信が揺らいだ。
俺達はとんでもない化け物を目覚めさせようとしているのでは? という根拠もない恐れが妙な生々しさを伴ってヒデオ達を襲う。
油断すれば食い殺される。その予感が僅かな慢心さえ削ぎ落とした。
「どうやらお互い縁に恵まれたな」
「……ああ」
そして最後の舌戦が終わる。交差する視線が自然と絡み合い、認識を一致させる。
すなわち、ここが最後の大一番だと。
「俺の、自慢だ」
守善もまた覚悟を決めた。
自分と他人を比べることに意味はない。勝てないことは戦わない理由にはならない。無謀と知ってそれでも困難に挑む。堂島守善はもうただの守銭奴ではない――冒険者だ。