第三十四話 準決勝③
『つ――』
僅か一分。
『――強い。圧倒的です』
B.Bが二度目のレブレのアタックを打ち返してから、戦況が芹華の側へ傾くのにかかった時間である。
『バーサーカーが時間を稼いでいる内に――とは言ったが』
解説を挟むカイシュウの語調も重苦しい。彼もここまで一方的な展開になるとは予想していなかったのだ。
『悪手だったかもな。バーサーカーのアレに反応して明らかにウェストウッド選手が調子を上げた。今じゃ防戦一方だ』
『鴉天狗と妖狐、そして狛犬/獅子とバーゲスト。いずれも均衡を崩すどころか堂島選手側がはっきりと押されています』
千鶴の実況通り、戦況はどこも守善の側が不利。
レブレとB.Bの凄絶な殴り合いがギリギリで押し留まっていること、直撃を食らっていないことが不幸中の幸いか。
『バーサーカーもまだ直撃はありませんが、既にボロボロです。これは、堂島選手降伏するべきでは……?』
『形勢不利は堂島選手も承知の上だろう。その上でサレンダーしない以上何かあるんだろうさ』
『一体何があるのでしょうか?』
『……少なくとも俺には分からんね』
解説のカイシュウが匙を投げた。それほどに形勢は守善にとって不利だ。
(マスター、ここは一か八か私がダイレクトアタックを――)
(却下。この期に及んでアタッカーを戻さずにいるガードの要に策もなく突っ込んでも切り札を切られて落とされるだけだ)
幾度か隙を狙ってハヤテによる強襲を繰り返したが、桜狐がガッチリとガードに入り寄せ付けない。出来得る限りの工夫をこらしつつも決定打がなかった。
賭けに出て無理押しをすればあるいは……とも思うが、芹華が伏せてある切り札次第で無為にハヤテを失う可能性もある。というよりそちらの可能性の方が高い。
(ですがこのままじゃ熊さんが――)
(分かってる。だがまだだ、まだ賭けに出られるだけの手がない……)
そして埒が明かないのはハヤテだけではない。狛丸、虎丸達もまたバーゲスト、ブラッドに押されていた。むしろこちらの方が形勢は悪い。
(グ、ゥ……! マスター、本当に打開策はあるのか!? いい加減こちらは限界だぞ!?)
(言いたくはないがこの化け物女が相手ではマスターを守りきれないかもしれんな……)
狛丸と虎丸もまた恥も外聞もなく泣き言を漏らす。それほどにバーゲスト、ブラッドが強い。
ワーウルフに匹敵する格闘能力で鉄鎖を用いた遠近自在の戦闘術を使いこなし、隙あらばスタン効果を持つ遠吠えを放ってくる。状態異常耐性でなんとか抗っているが、薄氷を踏む心地だった。
いかにガード性能はCランクに匹敵する二匹と言えど、防戦一方となるのもやむを得ない戦闘力だ。
(眷属召喚がない分だけマシと思って気張れ駄犬ども。そら次だ)
((大会が終わったら覚えとけよマスター!!))
が、守善は情け容赦なく狛丸、虎丸の弱音を蹴り飛ばす。弱音を吐けるならまだ余裕はあるだろう、という見切りでありある種の信頼でもある。そしてそれは正しかった。
(この期に及んで眷属召喚を出し惜しみする理由もない。芹華の奴、さては傷モノを安く手に入れたな?)
イギリス産のバーゲストは《魔犬の頭は鷲獅子の尾に勝る》というCランク下位のヘルハウンドを呼び出す眷属召喚スキルを持つ。販売価格が一億近い理由の一つだ。2000万円の臨時収入があったとしてもどこから資金調達したのかは疑問だったが、これで謎が解けた。あのバーゲスト、零落せし存在などのマイナススキル持ちなのだろう。
(が、それを差し引いても右肩上がりに圧力が増してきやがる。ったく、化け物め)
心底強い。冷や汗が頬をつたい、ポツリと地面に落ちる。それほど芹華が持つプレッシャーは強烈だった。
テンションに比例して上昇するシンクロ率は当然レブレ以外の二体にも波及する。結果、芹華チームの戦闘力は尻上がりに上がっていき、隙を突いて天秤を傾けるどころか今や防戦一方。
相殺ではなくレブレの打撃を見切り、スイングを合わせて受け流す。そこまでやっても反動ダメージが少なからずかかる。
レブレを抑えるB.Bは全身が真紅に染まり、自傷ダメージが深刻な域に達している。いまだクリーンヒットをもらっていないのが半ば奇跡であった。
(B.B)
(へへ……。どうよ、旦那。水も滴るいい男ってな)
(B.B……)
朦朧とする意識の中、血を滴らせながら空元気を飛ばすB.B。この試合で一番体を張っているピンチヒッターにかける言葉もなく、掌に爪が食い込むほどに強く拳を握る。
既にB.Bはレブレの攻撃を凌ぐだけでボロボロ。満身創痍に近い。このままではあと一撃に保たないだろう。
(もう少し、もう少しだ……。待ってろよ、旦那。もう少しで――スゲェのをブチかましてやるからよ)
強がりのような言葉に頷く。戦況はギリギリの瀬戸際、それでもまだ彼らの目から光は消えていない。この期に及んでも彼らは諦めてなどいなかった。
そして彼らと対峙し、圧倒的に有利な戦況に臨んでいるはずの芹華は、
(――死んでいない)
欠片も油断していなかった。
(守善さんの目は死んでいない。それにボロボロなはずのバーサーカーのスイングが……明らかにキレを増している。このまま黙って負けるはずがない)
圧倒的に優勢な戦況が芹華に思考を回す余裕を与えた。目は忙しなく戦場を見渡し、己の勝ち筋に穴がないか考え続ける。
(油断は禁物。ですが、この状況からどうやってひっくり返すと? 最後の切り札を切ればブラッドにスタンさせるまでのことです。考えなさい、残る勝ち筋は――)
優勢な戦況にも何かが起こりうると考え、思考と警戒を止めなかったのは流石だろう。だがその警戒はいまだ健在なハヤテや狛丸達に向けられ、B.Bは半ば捨て置いていた。
(いえ、やはりバーサーカーを落とすのが先決。ここが決まれば私の勝利が確定するのですから!)
冷静なようで芹華は勝負を焦っていた。勝っているはずがそれを信じきれない。もしかしたらという恐怖を拭いきれないのだ。
「レブレ、今度こそトドメを刺しなさい! 容赦も、躊躇も不要です!」
故に勝利を確実なものとすべく、満身創痍のB.Bにレブレが迫る。今度こそ確実にトドメを刺すべくその剛腕を振るう!
「■■■■■■■■――――!!」
だがその心の乱れがあるかなしかの隙、城壁を崩す蟻の一穴となる。
迎え撃つB.Bは既に満身創痍、疲労困憊、反動に次ぐ反動で既に倒れ込む瀬戸際。故に――この一瞬を待っていた。
「生憎だがな、俺がB.Bに期待したのは時間稼ぎじゃ”ない”」
「――!?」
「敵主力、クエレブレの撃破だ」
狂化を切ってしまいたい誘惑をギリギリのところで堪えながらこの一瞬を待っていた。僅かでも見極めを間違えれば地獄に落ちる刹那の際に――彼らはようやく、たどり着いたのだ。
悪夢の如き戦力差、レビィ不在の戦場で四番打者の代打をB.Bに任せたのは伊達ではない。
B.Bならばそれが出来ると信じたからだ。
「さあ――流れを変えてみろ、代打四番」
「おうよ、カマシてくるぜ……!」
B.Bの形相が凶悪に歪み、赤黒く不吉なオーラがその肉体を覆う。爆発的に上昇するプレッシャーはレブレにも負けない凶悪な圧力!
『バーサーカーが真っ赤なオーラを身に纏う! カイシュウさん、これは――!?』
『狂化だ! ここで切り札を切りやがった。だが――!?』
『私には破れかぶれのように見えますが……!』
実況席の言葉通り、傍目には切り札の切り時を誤った破れかぶれの行動にしか見えなかった。事実、芹華もまた即座に反応している。
「ブラッド! 今です!」
「心得ています――GuRuRuRuOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOo――――N!!」
バーゲストの《死を告げる遠吠え》は敵へ甚大な恐怖を与え、強制的に麻痺させる状態異常スキルだ。
状態異常耐性が低下したバーサーカーでは抗うすべもなく動きが止まる――はずだった。
「ヤジに怯んで野球がやれるかってなァッ!?」
「馬鹿な、そんな戯言――!?」
「な、んですって――ッ!?」
大前提が崩された衝撃にバーゲストと芹華の顔が驚愕に歪む。
麻痺に抗い、それどころか理性を保ったまま言葉を操っている。明らかに通常の狂化ではあり得ない状態だ。
「代打四番、行くぜ――!」
その秘密はB.Bが持つ後天スキル《ピンチヒッター》にある。生命力が減少するほど攻撃面のステータス上昇。加えて瀕死の状態に陥れば精神状態異常無効が発動し、これは狂化スキルのデメリットにも適用される。
使用条件の厳しさと『棺』の特性から『不死者の窟』での模擬戦でも日の目を見る機会が無かったスキルであり、芹華もまたその存在を知らない。
だからこそ切り札になると踏んだ守善はこの奇襲を企んだ。B.Bを使った時間稼ぎを目論んでいるように見せかける裏で敢えて反動ダメージによって《ピンチヒッター》を使える域にまでB.Bを弱らせた。
(だとしても”使う”までが綱渡りだったがな……)
今更になって滝のように流れ落ちる冷や汗を感じながら心の内で呟く守善。
極めて強固な信頼関係、ギリギリの綱渡りを渡り切るだけの地力、そしてネジの外れた思い切りの良さがなければ挑むことさえ不可能な奇策。最も堅牢な敵エースを敢えて真正面から力づくでブチ破る乾坤一擲である。
「デカいの行くぜ、レブレ」
床に両足を叩きつけて土台とし、その筋肉をミシリと隆起させ、明らかにただならぬ雰囲気を漂わせるB.B。
そのプレッシャーは最強種すら怯ませるほどの圧力! 咄嗟に前進する脚が強張るが……、
「――迷ってはなりません、レブレ! この一瞬に、全力を!!」
芹華の叱咤がレブレに鞭を打つ!
迷ってはダメだ。それこそが一番の悪手。下手に怖気づいて縮こまるよりも、雄々しくそして大胆に!
凡百のマスターならひっくり返った盤面に動揺で足を竦ませる場面。だが勝敗の際を見極める勝負師の嗅覚を以て芹華は全力で突っ張った。
「■■■■■■■■――――!!」
「代理とはいえこっちもエースを張ってんでなぁ!」
主にそうと命じられれば全力でそれを為すのがエースの役目。生じた迷いを振り切り、自身の全力を駆使する両雄にともに並び立つ余地はない。どちらかが負け、どちらかが勝つ。
――そしてこの試合最大最強の暴力が激突する。
轟音が鳴り響く。
衝撃波が爆裂する。
会場が軋み、振動が走り抜けた。
ほぼ同時に己が全力を真正面から殴り返されたレブレが吹き飛び、芹華が立つ側の会場の壁へと豪快に叩きつけられた。
『――――――――ッ』
そして会場全ての観客が固唾を飲んで爆心地に立つB.Bの姿を捉えんと視線を送り――、