第三十話 一回戦②
灼熱の業火がハヤテを狙う。脆い鴉天狗が喰らえば大ダメージは免れない魔法攻撃。それも組み立てがよく練られた回避困難な乾坤一擲の一撃だ。
「ああ、そう来ると思っていた」
ハヤテへ迫る危機を前に守善はそう呟いた。余裕ではなく、警戒を込めて。
「守れ、狛丸!」
「応よっ!」
ハヤテでは迫りくるクーシーの奇襲を防げない。故にその必殺を防げるのはハヤテ以外の仲間にほかならない。
かつての籠付の手持ち、いまは狛丸と名付けられた狛犬がハヤテの窮地を救った。半ばハヤテを弾き飛ばすようにフレイムバスターの軌道に割り込み、ギリギリでその身を盾としたのだ。
爆裂。
鮮やかな紅蓮の華が空中に咲く。美しく、しかし猛々しい赤い炎が狛丸を焼き……しかし守護獣の矜持がその身を守った。爆裂に吹き飛ばされて地を転がるも素早く立ち上がり、戦闘続行の意志を示す。
「ここで狛犬、だとぉッ……!? いつの間にガードできる距離に近づいたってんだ!?」
絶好の機を逃した悔しさよりも先に驚愕を示す籠付。
確かに籠付は意識と視野の大半をハヤテとの攻防に割り振っていた。だが狛犬の巨体が近寄ってくるのを見落とすほど節穴ではない。どうやってと疑問が脳裏をよぎるが、すぐに答えは出た。
「奴をよク見ろ、マスター!」
クーシーに従って狛犬に視線をやれば、すぐそばにふよふよと小さな霊体が浮遊していた。その正体はすぐに知れた。なにせ籠付自身使ったことのあるモンスターなのだから。
「ポルターガイストか!? 奴の気配遮断スキルで身を隠して近づきやがったな!?」
「ご名答」
籠付の言葉通り、ポルターガイストこそこの手品の種。多方面に応用が効く能力から守善が起用した三枠目のモンスターだ。
ポルターガイストがもつ他者を巻き込む特殊な気配遮断スキルを使い、密かに狛丸をハヤテのガードに入らせたのだ。籠付の油断を誘うために。
イリュージョン+気配遮断に加え、意識の大半をハヤテとの一瞬に割いていた籠付は狛丸の接近を見逃してしまった。
(やられた! レールに乗せたつもりで逆に乗せられてたのか、クソっ!!)
屈辱に歯ぎしりする籠付に、油断の欠片も見せず守善が問いかける。
「まだやるか?」
降伏勧告だ。
ありったけのリソースを切った乾坤一擲の奇襲攻撃が失敗した今、これ以上籠付に切れるカードはない。悪戯に勝負を続けてもカードに無理を強いるだけだ。
大人しく降伏するのが最も賢い選択だろう、が。
(この野郎に傷一つでも付けられるなら――!!)
それでも、と臓腑を焼く屈辱が戦闘続行の意志を告げようと蠢く。まだ終わってたまるか、という悪足掻きがその喉元にせり上がる。強烈な誘惑に元来堪えが利かない籠付の性根が流されかけた。
そして、
「ぐッ……ぎ、ギ――があああッ!! クソッ! 審判、僕の負けだ! 降参する!」
ギリギリと歯ぎしりを鳴らしながらも自身の敗北を告げた。クーシーにボアオーク、タランチュラも籠付が死ねと言えばその指示に従ったろう。だから降伏したのだった。
同時にイリュージョンの魔法も止まり、試合会場を覆う幻影の霧もすぐに消え去る。
『け、決着ぅ――ッ!? 籠付選手のサレンダー、堂島選手の勝利です! 試合会場を煙幕が覆っている間にあっという間に勝負が付いてしまいました! なにがなんだかさっぱりだぁーッ! カイシュウさんは一部始終見てたんでしょ。ほら解説、仕事しろ!』
『言葉だけじゃ解説しづらい。いま報道部が大会用の特製カメラで撮ってた画像を映すからちょっと待て。
ああ、先に総評だけ言っとくか――いい試合だったぞ、二人とも』
外野の実況席が大半の観客を置き去りにした試合になんとか収拾をつけようと騒いでいるが、籠付には最早関係のない話だった。無言で三体をカードに戻すと、対面の守善へと近づいていく。
この期に及んで下らない真似をするつもりはない。ただ腹の底でわだかまる熱を少しでも吐き出しておきたかった。
「……おい」
「なんの用だ」
互いにぶっきらぼうな言葉からそのやり取りは始まった。
「一つだけ教えろ。この試合、最初から最後まで僕はお前の掌の上だったのか?」
どんな答えを聞いたところで試合結果が変わるわけでもない。それでも籠付は聞いておきたかった。
対し、守善は一瞬だけ露悪的な笑みを浮かべたが、籠付の目に宿る真剣な光に気づくとすぐに笑みを消した。それがせめてもの敬意と思ったからだ。
「ああ」
「……そうかよ。ああ、くそ。似合わないのは承知で頑張ったんだけどな」
言葉少なに頷く守善に全ての気力が断たれ、やるせない思いが口を衝いて出た。
この一戦のために重ねてきたモノを思い出す。恐らくは人生で最も濃密な時間を、努力を、絆を。
(……そうか。僕は所詮その程度か)
その全てが守善に一蹴されたのだと思い知る。全て無為な足掻きだった、所詮は凡俗の無駄な努力だったと思考がネガティブなスパイラルに陥ろうとしたその時、
「なにせかなりの時間をかけて対策を練ったんだ。嵌ってくれなきゃこっちが困る」
「……………………は?」
自身の思考から百八十度かけ離れた守善の発言に、籠付の脳味噌は一瞬理解を拒否した。
「なんだそのマヌケヅラは? 俺を笑わせる気か? 悪くないな。冒険者より芸人に向いているぞお前」
虚を突かれて呆けた顔を晒し、容赦のない罵倒を向けられた籠付だがいまはそれどころではない。
「いや、対策ってお前どういうことだよ?」
「どうもこうもあるか。大会に備えて対戦相手を研究する。当たり前のことだろうが?」
なんでもないことのように言い放たれる正論に籠付は目を白黒させた。言いたいことは分かる、分かるが籠付の知る堂島守善のキャラクターからはかけ離れた台詞だった。
「冒険者部からすればお前は丁度いい当て馬だ。大会のどこかで当ててくるとは思ってた。こうして偶然にも一回戦で対戦するはめになったしな?」
「ああ、全ては偶然さ。僕にとっては幸運だった。それだけのことだろ?」
皮肉を込めた揶揄に肩をすくめてすっとぼける籠付。仮にトーナメント表の組み合わせに恣意的な操作がなかったかと虚偽判定スキル持ちに問われれば籠付は答えをはぐらかすだろう。つまりはそういうことだ。
「それにお前のメインカードは試合前に割れていた。ならある程度取ってくる作戦の一つや二つ想定するさ。それを利用するシミュレートもな」
「は……? いや、待て。どうやって僕のカードを? まさかカイシュウ先輩が――」
「ンな訳ないだろうが。潰すぞ」
「ああ、だよな。自分で言っててないと思ったわ」
一瞬あらぬ疑いをかけたことを内心でカイシュウに詫びつつ、改めてどうやってと問いかける。
「なら、どうやってこっちの情報を抜いた。こっちもそれなりに情報漏洩には気を遣ってたはずだけどな」
「企業秘密だマヌケ。が、一般論を言うならSNSの取り扱いは気をつけるんだな。自分が思っている以上に個人の身バレってのは起こるらしいぞ」
「うげッ!? お前、アレを見たのか。いや、でも特定できるような情報を垂れ流した覚えはないぞ!?」
「知らんな。俺が言っているのはあくまで一般論だ」
「嘘こけ、白々しいんだよ!」
肩をすくめてすっとぼける守善に噛みつく籠付。
確かに籠付は承認欲求を満たすために個人の『Twitter』アカウントで冒険者活動をこっそり呟いたり、モンスターの画像を上げたりしていた。確かに情報源としてはそこそこ有用だろう。
だが殊更に大学関係者に広めたり、目立ったこともない。まともな方法で籠付のアカウントを特定するには膨大な時間か専門的なノウハウのどちらかが必要なはずだ。
(こいつにそんな時間やノウハウがあったか? いや、ないはずだ)
提示された分かりやすい答えに一瞬飛びつきそうになるが、思考を深めれば新たな疑問が湧いてくる。
と、ここで発想を考える。考えるべきはどうやって、ではない。誰から、だ。
いるのだ、一人。知らないはずの籠付の『Twitter』アカウントの情報を抜きつつ、裏取引の一つも応じそうな人間が。
(……待て。そういえば大会直前で砂原先輩が上げた動画記事、今思えば中身が妙に詳しかったな)
そして思い出すのは大会直前、いま思えば不自然なタイミングでアップされた関係者以外知らないような詳細な内容の動画記事だ。二ツ星への昇格はまだしも、イレギュラーエンカウントの討伐など本人か関係者に直接聞くしか知る術はないはずなのだから。
あの時は守善を煽るネタに使えると興奮して深くは考えなかったが、今思えば不審に思える点は幾つかある。
(砂原先輩、いやにこっちの事情に通じてる割に情報ソースが謎なんだよな。嘘か真か大学の冒険全員のSNSアカウントを把握しているなんて噂もあるし)
砂原千鶴。すなはらッチ、時に学内最強最悪の情報通と呼ばれる悪評高い女記者ならば売れるネタがあれば喜んで買うだろう。それが少々グレーな範囲の取引でも。
流石に取材で得た個人情報を横流しするとは思わないが、逆に言えば籠付のTwitterアカウントのような非公式に集めた情報を取引するくらいはありえそうだ。
(大会登録後、こいつは何度か部活棟の周辺で目撃されてる。冒険者部で参加登録するだけなら一度だけで十分なはず。辻褄だけは合う、な)
さらに探偵による張り込みや周囲の学生への聞き込みで得た情報が脳裏を過ぎる。実際の正誤はさておき、この推測を否定できる情報がいまのところない。
「……お前まさか砂原先輩と裏取引でもしたのか?」
もしや、という疑念につい声を潜めて問いかければ、守善はかすかに驚きと感心を表した。
「ノーコメント、だ」
答えられないという答えは言外にその疑念の正しさを認めていた。そしてその事実は守善がライバルである芹華、ヒデオだけではなく、籠付を含む全ての参加者を等しく”敵”と見做していたことを示している。脅威にならない相手の情報をわざわざ苦労して集める意味などないのだから。
「……あーあ、そういうことかよ。最初から僕に勝ち目なんてなかったんだな」
籠付は天を仰ぎ、憑き物が落ちたようなスッキリとした顔でそう呟いた。
堂島守善は合理的で用意周到。彼をよく知る者に言わせれば臆病で用心深い。そのプロファイリングに沿って籠付が立てた戦術に間違いはなくとも、最初の前提が誤っていた。
『僕の勝ち目はあいつが僕を見下しているという一点だけ』
皮肉にも籠付の言葉は正しかった。正しかったからこそ最初から結果は決まっていた。
この試合に臨む守善に油断など一欠片もなかったのだから、籠付の敗北は必然だったのだ。
「お前さ、もうちょっと油断しとけよ。そうしたら僕がその隙を突いてあのクソ生意気な女天狗を割ってやったのにさ」
露悪的に笑いながら減らず口を叩く籠付は元の調子を取り戻していた。この大会で誰よりも”勝ち”にこだわった男は、ようやく己の敗北を受け入れることができたのだ。
ある意味で”らしい”言い草を、守善は変わらず鼻で笑う。堂島守善と籠付善男の関係はそういうものであるのだから、これでいいのだ。
「Dランク迷宮で泣きわめくのを卒業してからほざけ。しばらくはEランク迷宮でみみっちく数をこなしておくんだな」
「うるさいよ人間の屑。言われなくてもしばらく薄暗いあなぐらに缶詰だ。お前をブチのめして気持ちよく冒険者を廃業するつもりだったのにサ」
罵倒に見せかけた助言に同じくらいひねくれた返しをする籠付。この二人、どちらも性根がねじ曲がっている上に口が悪いのだ。
「次は僕が勝つ。それまでに負けたら無様な負けっぷりを全力で拡散してやるからサ。精々がんばれよ」
「寝言は寝てから垂れろカス。いつ、誰と戦ろうが叩き潰してやる」
捻くれたエール付きのリベンジ宣言を正面から受け止め、不敵に笑う。
敵意と戦意の交感。だがこれまでのような悪意はない。二人は同時に顔を背けると、互いに背を向けて歩き出した。
――ほんの少しの笑みを口元に刻んで。