第二十七話 パンドラの箱
「……フゥゥー」
息を一つ、吐く。シンクロのために集中していた意識をほどき、体をゆっくりと弛緩させた。古城の空中庭園の芝に背中から身を投げ出し、息を整える。
途端に守善の目の前に座っていたハヤテ、レビィ、B.Bの三体も同様に緊張を解く。そして横たわる守善の顔を見て心配そうに問いかけた。
「お疲れですか、マスター。休憩を挟んでは?」
息を整え直すと身を起こし、ハヤテからの気遣いの言葉に首を振った。
「いや、いい。もう一度だ。大会まで時間がない」
「主、リンクの連続使用が過ぎれば能率の低下が懸念されます。たとえ『棺』の中でも過剰な修練は逆効果です」
「だ、そうだぜ? 旦那」
が、モンスター達に口々に諌められて苦笑を一つ。自分の内面を探り、焦りの念を感じ取る。確かに逸っていたかと自省した。
「……分かった。少し休む」
そう言って再びゴロリと庭園にその体を横たえた。肉体的疲労はないが、脳にかかった負担を癒やすためリラックスした姿勢でいたかった。
守善が行っていたのはリンクの修練だ。特に得意とするフルシンクロを重点的に最も気心の知れた三体を相手に練習していた。
「マスターも熱心ですねぇ。ハッキリ言って冒険者歴三ヶ月の部類だと世界中でもぶっちぎりでトップだと思いますけど?」
「どんぐりの背比べで悦に入ってどうする? 比べるなら上と比べろ阿呆」
「足るを知れって言ってんですよ、このやり過ぎマスター。マスターに馬車馬のごとくこき使われる哀れなハヤテちゃんのことも少しは考えてください」
「残念だったな。俺から名付けを受けた時点でこき使われるのは未来永劫確定だ。精々嘆け」
んべ、と舌を出して憎まれ口を叩くハヤテの真意が分からないほど鈍感ではないが、いまは少しでも大会に向けて努力を重ねておきたかった。リンクの資質こそが一番の伸びしろであることを自覚しているからこそなおさらに。
ごく一部とはいえ響をも超える勢いで成長著しいリンクの腕前も一朝一夕の努力で身につけたものではない。迷宮攻略の度に『棺』を使用し、空いた時間の大半をリンクの修練に充てたからこその急成長だ。けっして才能に頼り切った成果ではない。
(……もう一つ、切り札になればと思ったが難しいか)
そしてさらに修練とは別にまた別に新たな切り札の開発を試みていたのだが……芳しくない結果に終わった。
目指すはフルシンクロのさらに先。シンクロ率99%を超えた先にある境地だ。響に訊ねてもただ知らないとだけ返されたシンクロ率100%に至る道は、いまのところ暗礁に乗り上げていた。
(”アレ”はマズイ。肌でわかる。迂闊に開けば何が飛び出てくるか分からんパンドラの箱だ)
通常シンクロはどれほどの熟練者であっても99%がMAXだと言われている。完全にマスターを守るバリアをゼロにすることはできない……はずなのだ。
それを無理に100%へ至ろうとすると”扉”が現れる。視覚的に表現すれば鎖で雁字搦めに封印された扉だ。決して開かない、開けてはならないと無言で語りかけてくるような拒絶の扉。
「…………」
「あん、どうしたぃ、旦那? 俺のことをジッと見てよ。照れるぜ」
なおただ一体、B.Bだけはシンクロ率を上げていくとWELCOME! とばかりに扉が開け放たれていた。鎖など影も形も見当たらず、あまりに怪しすぎて95%を超えたところで自制したほどだった。
誰がどう見ても怪しいことこの上ない不審物なのだが同時に表裏のない一本筋が通ったキチガイであることは嫌というほど知っている。
とりあえず触るな危険の警句に従い、全力で見なかった振りをすることに決めた。
そうした事情もあり、守善はいまのところ正攻法でのシンクロ率99%オーバーへ至る試みは中断していた。
「――どうやら、お取り込み中でしたか?」
「芹華か。どうした、こんなところに」
曇り空が永遠に続く『棺』の空を見上げる守善に第三者の声がかけられた。芹華だ。すぐに立ち上がり、芹華と相対した。
「どうしたもこうしたも、チームメイトの顔を見に来ることがそんなに不思議ですか?」
「普段ならともかく今この時はな」
「まあ、そうでしょうね」
新人王戦の直前、そして二人は優勝をかけて争うライバル同士。『棺』の利用も認めているが、意識的に互いとの接触を避けていた。そこに芹華の方から向かってきた。守善がなにか用かと問うのも自然な流れだ。
「……お姉さまから言われましたの。少しあなたと話してはどうかと」
「先輩から?」
その言葉に首を傾げる。響は極力二人に公正・公平な立場で接している。二人に付き合う時間もなるたけ均等になるように調整しているし、どちらにも情報漏洩となるような真似もしていない。
となればなにか意図があるのだろうが、その意図が見えない。二人に不利になるようなことではないのは確かだろうが……。すぐに守善は思考を打ち切った。
「まあいい。丁度休憩するところだ。暇潰しがてら雑談に付き合え」
「クス……なんですの、それ? 私から言い出したことでしてよ、もう」
響からの言葉であるならば別段拒絶する理由はないのだ。雑談一つに過剰に警戒する意味もない。
近くにあった椅子に腰掛けるとテーブルの対面にあるそれを示す。すぐに芹華も椅子に座り、気を利かせたレビィが立ち上がり、紅茶を淹れにいった。最近はオルマから紅茶の淹れ方も教導を受けているところなのだ。
「そっちの調子はどうだ?」
「まあまあ順調、といったところですわ。そちらは?」
「こっちもボチボチ、だな」
話題は無難に大会に向けての進捗だ。だがやはりというか互いに腹を探り合うようなあまり弾まない会話となってしまう。
そのじっとりとした雰囲気はレビィが紅茶を用意するまで続いた。
「……ハァ」
雑談としても情報交換としても不毛なやり取りに守善はため息を一つ吐き、空気を切り替えた。
「ヤメだ。いちいち気を遣うのも鬱陶しい。晒せるところだけ晒す。お互い以外に話さない。どうだ?」
「……確かに、おかしな腹の探り合いはゴメンですわ。馬鹿らしい」
優勝をかけて争うライバルだが同じチームメイトでもある。過剰な警戒は返ってマイナスだと早々に遠慮と警戒を放り投げての紳士協定に、元々深く物を考えないタチの芹華も乗った。
互いが新たに手札に加えただろうカードについてボカシながらも情報を出し合っていく。
「こっちは概ね仕上がった。新しいメンツの戦闘力もほぼMAXだ」
「あのヨモツシコメも、ですが。なるほど、一筋縄ではいかなさそうですわね」
「そっちのバーゲストはどうだ?」
「もちろん育成は十分に。大会でのお披露目が楽しみですわね!」
大会で活躍し、観衆の度肝を抜くのが本当に楽しみなのだろう。心底から楽しそうに笑みを零し、オホホと高笑いする芹華。調子が出てきたようだ。
「もちろんあなたもでしてよ? 私のブラッドの活躍をよく見届けなさい!」
「ブラッド?」
「ああ、伝え忘れておりましたわね。黒妖犬、縮めてブラッド。先日私が競り落としたバーゲストですわ」
レブレに桜狐といい芹華は種族名から名付けの着想を得ることが多いようだ。
「早速名付けたのか。手が早いな」
「……不本意な言い草ですわ。私とブラッドの相性が良かったというだけですのに。そちらこそ調子はどうですの?」
「ヨモツシコメは既にMAXまで上げきった。もう一枚も順調だ、あと半日ってところだな」
「そう。こちらも似たようなものです。となればこの薄暗い洞窟に籠もるのももう少しの辛抱ですわね」
「午前中に用事を済ませて明日の夕方にはレギオンを攻略したいところだな」
「ええ、力をつけた私達の腕試しとしては丁度いい相手ですわ」
「まあ互いに手札を晒せるはずもなし。レギオン攻略の主体は先輩だがな」
「分かっていますわよ! それでも手応えの一つも感じ取れるはずですわ」
その会話を皮切りに空気が適度に緩む。最早緊張感はあっても敵意や戦意はない。
さらに幾つか別の話題も経由し、そして例の覗き屋……籠付についても話題に上がった。
当然ながら芹華は籠付のことを快く思わなかった。思い切り不快そうに軽蔑を浮かべた顔をしている。
「それ、大丈夫ですの? ストーカーに付け狙われるのは勘弁頂きたいところなのですが?」
「安心しろ、狙いはお前じゃなくて俺だ。ついでに言えば先輩からカイシュウ先輩に話を付けた。これ以上奴が俺の背中を嗅ぎ回ることはない」
「ならいいのですが……」
不快感はストーカー行為による純粋な生理的嫌悪感が主だったらしい。自分が標的外だったことを聞いて露骨に安堵した顔だ。
とはいえマイナス100がマイナス50になったようなものであり、籠付のことは根本的に気に入らないらしかった。
「籠付さん……。優勝を度外視してただ個人的な怨みを晴らすだけに大会へ参加するなんて……。あまりいいこととは思えませんわ」
「そうか? 俺はむしろ感心したが。動機はさておきモチベーションの強さは本物だ。命がけで意地を張るのは中々できるもんじゃない」
フンと鼻を鳴らす芹華に肩をすくめて軽く言い返す。籠付のことを執り成すつもりは毛頭なく、ただ単に思ったままのことを言ったまでだった。
「金、名誉、家族――怨恨。動機はなんだっていい。ただ、譲れない理由がある奴は……”怖い”。俺はそう思う」
誰もがその拳の中に戦う理由を握りしめて立っている。そして握った拳から戦う理由が零れ落ちないように強く強く握りしめ、互いの意志をぶつけあうのだ。そこに重さはあっても貴賤はない。
最後まで握った拳から戦う理由を取り零さないのなら……そいつは間違いなく敬すべき強敵だろうと守善は思う。
「……なるほど」
ごく自然に敬意と同義の警戒を籠付へ示す守善を見て芹華は目を瞠った。傲岸不遜が鳴りを潜めた守善に驚き、そして傲慢になっていたのは自分だったかと、強烈な自嘲を抱いて。
「確かに……私に彼を悪く言う資格はありませんでしたわね」
自分は彼らとは違う、と芹華は思ってしまったのだ。
始まりは憧れだった。いつも優しく穏やかで物静かだった”お姉さま”が走り始めて、変わっていつしかその背中を目指せば自分も変われるのではと思って追いかけ始めた。
二つ目の理由は対抗意識だった。憧れのお姉さまとの蜜月に突如として現れた二人の闖入者。だがいまはかけがえのない好敵手達。彼らに負けたくないと思っている。
だがそのどちらも芹華自身の中から出た理由ではない。誰かに依存したモチベーションは脆い。守善に言わせれば、芹華は”怖くない”のだ。
そしてそのことを芹華自身が自覚しているからこそ、より一層痛烈に芹華を苛んだ。
(私は……薄っぺらい、ですね)
彼らと芹華を分ける最も分かりやすい違いは新人王戦の”後”だろう。きっと守善もヒデオも(恐らく籠付も)新人王戦が終わってもその手に握りしめた理由のために挑み続けるはずだ。
だが芹華はきっと新人王戦が終わったらその場に立ち尽くすか、ただ惰性で進んでしまう気がする。いいや、気がするのではなくそうなるだろう。自分のことだからこそ芹華はそれが分かった。
「……………………」
「?」
不意に沈痛な面持ちで黙り込んでしまった芹華に首を傾げる。いまの会話に落ち込むようなところがあっただろうかと。かといって余計なおせっかいをかけることもしなかった。
デリケートな時期に他人の胸の内に手を突っ込むほど無遠慮にはなれないし、そんな余裕もない。
(……志貴英雄、俺は奴に勝てるのか?)
なによりも守善自身が抱えている迷いがある。
(ここぞ、という場面でのあいつははずさない。『棺』の模擬戦で見たのはたった二回、だがあれを決勝戦で持ってこられた時、俺は――)
純粋な腕前、持ちうる戦力で自分がヒデオに劣ると守善は考えていない。だが妙な星回り、運命力と言うべきものをヒデオは持っていた。
守善が思い出すのは『不死者の窟』のEランク階層で喫した屈辱的な敗北の”後”だ。
守善、ヒデオ、芹華。三人は今でこそ互いを得がたい友人と認めているが、そこに至るまでの過程で当然何度もぶつかりあった。
手を取り合い、力を合わせる過程で本気で怒鳴り、信条をぶつけ、敵意を剥き出しにする。そんな時期が間違いなくあった。絶対にこいつには譲れない、そう思った時、彼らは正面から激突した。
たかが模擬戦、されど模擬戦。自分の意地を賭けた三対三の決闘、終盤は二対一で守善有利。かつヒデオのリオンはリビングアーマーを失いボロボロ。勝利はほぼ決定的……そんな場面から逆転負けを食らったことがある。
追い込まれたリオンが新たなスキルに目覚め、一気に底力を爆発させて勝利をもぎ取ったのだ。
似たようなことが芹華との模擬戦でもさらに一度。三人で都合七百戦以上こなして僅か二度だが、そのどちらもここぞ! という場面だった。守善が知るヒデオならばその期待/恐れをはずさない。
(それだけじゃない。”何か”、ある。俺とあいつの間に、決定的な違いが――)
そしてそれ以上に守善とヒデオを分かつモノがある。漠然と、言葉にできない感覚を守善は感じ取っていた。
守善はプロを目指している。ヒデオも同様だ。だが何と言葉にすべきか、プロという目標への向き合い方が二人の間で異なっている気がする。
それが何かは分からない。考えても答えは出ない。だが考えずにいられない。そんな”何か”が。
『……………………』
沈黙が降りる。二人が自分の悩みに不意に直面し、考え込んでしまったから生まれた沈黙が。
この日は結局それ以上会話は弾まず、どこか沈んだ空気のまま二人は別れた。
◇◆◇◆◇◆◇
翌日の夕刻、『不死者の窟』最深層、主であるレギオンが座す階層。
『……………………』
響率いる一行の間に重い沈黙がわだかまっていた。
パーティーメンバーの回復、眷属召喚、事前の打ち合わせなど準備を万端整え、チーム一丸となって突入したそこにあったのは動くものの一切ない広大な空間だった。残るのは迷宮からの出口であるゲートだけ。
それはいい。自分たちよりも先にレギオンを討伐した者がいたというだけだ。
「…………これは、魔法か?」
「まるで大地を巨人が引き裂いたような……」
見過ごせないのはフロアの大地にくっきりと刻み込まれた巨大な地割れだ。延々と長大な範囲を抉り取った、恐ろしく強力な魔法攻撃の痕跡。
かつてのボス戦でレブレが放った水竜息、リオンが振るった魔剣・雷鳴散華をすら優に超えるだろう超大火力の存在を示唆する痕跡だった。
「カイシュウじゃない。勘だが、外れてないはずだ。あいつのパーティの基軸はベルセルクとウィッチ。ここまで派手な真似は出来ないはず」
カイシュウをよく知る者として断言する響。その顔には静かな緊張がある。
カイシュウら以外の存在は考えない。他に思い当たる候補者はいないし、確率的にも極めて低い。となればこれを成した者は消去法的に一人しか考えられない。
「となればまさか」
「……ヒデオか?」
信じがたい、という顔で呟く二人。その感想には響も同感だった。
「これだけの規模だ。最低でも高等攻撃魔法クラス……それも十分に育成されたBランクによる一撃が必要だったはず」
「戦闘力で言えば恐らく1000オーバーということですね」
「最低でも、だ。どんな手品を使ったか知らんが、奴がBランク相当の戦力を手に入れた可能性がある」
洒落にならない情報の欠片に重い沈黙が降りる。Bランク、それも十分に育成されたカードとなれば大会の趨勢を半ば決めてしまうほどの決定的戦力だ。
「どうすれば……」
ポツリと芹華が呟く。
どうすれば勝てるのか、あるいはどうすればそれほどのカードが手に入るのか……といったところか。
守善自身見当もつかない。控えめに言って絶望的な戦力差がそこにある。そしてこの推測は外れていないという直感があった。ヒデオならばそれくらいはやる、という直感が。
「……まったく」
冷や汗が一筋額から垂れ落ちる。
それでも笑え、となけなしの意気を振り絞り、無理矢理にでも頬を笑みの形に歪めた。
「楽しくなってきたな、ええ?」
堂島守善は本質的にどこまでいっても凡人だ。勝ち目が見えない不利な状況に、当然のごとく意志が挫けそうになる。
だとしても――意地があるのだ。ヒデオに……芹華に、響に無様な姿は見せたくないという意地が。
「――――……どうして、そんなに。あなたは」
そのささやかな意地を、芹華はひどく眩しげに見つめていた。
ここで第二章後半の丁度折り返し時点となりますが、実はまだエピローグまで書ききれていなかったり。
当初はキリのいいこのお話までと考えていましたが、
なに、投稿中に残りを書きあげればよかろうなのだとおめめぐるぐるして
書き続け、ひとまず大会の準決勝まではなんとかケリを付けました。褒めて。
とりあえず準決勝までは投稿するし、決勝+エピローグも書き上げられたら投稿します。応援してね!
あとここまでのお話の感想とポイント頂けるならそちらも是非。百均氏も言っている通り、感想は作家の心の栄養なのです。
【Tips】感想
作者のやる気に直結する栄養素。
人間は食べ物がなくても「感動」を食べるだけで生きていけるらしいが、作者は「感想」がなければ生きていけないか弱い生物なのである。
感想お待ちしております。