第二十一話 黄泉醜女という女③
「ぁ……ぁたし、みたいな……醜いバケモノが、こぃ……恋なん、て――」
絞り出すように嗚咽を零すヨモツシコメを見て、報われるべきだと不意に守善は思った。他人事のように思えなかった。
客観的に見てヨモツシコメは極めて有能なモンスターだ。こうして話していても容姿以外に欠点は見当たらない。殊更に貶められる理由はなく、ましてやそのささやかな夢すら抱くことも叶わないなどクソ喰らえだと。
それは身内に向ける贔屓なのかもしれない。そう、守善はこの卑屈で後ろ向きなくせに夢を捨てられないヨモツシコメを身内と認めていた。
それ故に、
「くだらんな」
その嘆きを一言で切り捨てる。どうしようもなく湧き上がる苛立ちも込めて。
「ああ、お前は醜い。俺が保証してやる。俺が見た中で文句なしのぶっちぎりだ」
悲しいかな、それは事実だ。ヨモツシコメの見た目はよく言って腐乱死体。彼女がいくら自分の夢を叶えるようと努力しても、その外見的なハンディキャップは極めて大きい。スタートラインにつくことすら難しいだろう。
「それがどうした?」
だがそれはそれとして眼光をギラつかせて怒りを示す。冷たい言葉と視線に怯えるヨモツシコメを情け容赦なく打ちのめした。
己の夢を己で笑う。それ以上に腹立たしいことなど守善にはないから。
「何故自分を笑う? どこに諦める理由がある?」
どんな途方もない夢物語だろうと、それでもと足掻く権利は誰にでもある。
少なくとも守善はそうしてきた。壁に、困難に、挑むべき障害に、カード達に支えられ挑み続けた。
だから半ば身勝手な怒りと分かっていても、己の言葉を止める気にはなれなかった。甘い慰めではなく叱咤こそが時にはうずくまって諦めかけた者を立ち上がらせることを身をもって知っているから。
「負け犬根性丸出しで尻尾を巻いている暇があるなら俺に手を貸せ。お前の力を見せてみろ。醜いと笑った奴らを見返せ。そうすれば……お前の外見なんざ俺がどうにでもしてやる」
ましてやヨモツシコメの醜さをどうにかするためのルートは細くとも確かにあるのだ。
だからこそ守善はヨモツシコメを一欠片の容赦もなく叱咤する。諦めるなと、言葉の鞭で打ちのめした。
「ど……どぅやって、ですか……!? 私に、どぅしろっ……て……! 私、が……どぅすれば、よかったっていうの!?」
まるでなんでもないことのように自身の苦悩を一蹴する守善に向けて、ヨモツシコメがほとんど初めて怒声を張り上げる。
ヨモツシコメもまた己の聖域を土足で踏み込まれたことに怒っていた。剥き出しの感情そのままに癇癪をぶつけた。
「フン……簡単な話だ、マヌケめ」
怒れる鬼女を見て鼻を鳴らす。やればできるじゃないかと、呆れたように。
諦めこそが心を殺すのならば、その怒りこそヨモツシコメが夢を諦めていない証明。諦めに身を浸そうとして諦めきれないヨモツシコメが叫ぶそれでもという意地だ。
「ランクアップだ。俺がお前をランクアップしてやる」
モンスターの容姿は一定ではない。醜いグーラーが上位の女吸血鬼にランクアップし、その美貌を受け継ぐように、ヨモツシコメもまたランクアップの恩恵に預かることができる。
鬼女系モンスターは美しい容姿を持つ者も多い。竜蛇に变化する清姫、後方支援に長けた後鬼、美女の上半身と蛇の下半身を持つラミアー。アンデット系なら女吸血鬼という線もありだろう。選り取り見取りだ。
だがその選択は大きなデメリットと表裏一体でもある。
「わ、私……を、ランクアップ? でも、それは……そんなの、嘘!」
「嘘じゃない」
「ぅ、嘘! 信じられない!」
ヨモツシコメの疑念も根拠のない話ではない。
このヨモツシコメを運用する上で費用対効果を上げるには、名付けだけしてランクアップさせずに使い続けるのが最も手っ取り早い。準Cランク級の戦力を下級Dランク一枚分の値段で使い潰せる。合理性だけを考えればとてつもなく大きなメリットだ。
ランクアップはこのメリットを自ら投げ捨てる行為だ。ヨモツシコメを戦力としてのみ考えるならむしろ悪手と言える。
(確かに、こいつを適当に言いくるめてランクアップをとことん引き伸ばすのが一番効率的な手だが……)
合理性のみを追求した思考を脳裏によぎらせ――すぐに投げ捨てる。
(ふざけろ。俺は、俺だけは俺のファミリーを絶対に裏切らない)
正確にはまだ仮加入の段階だが、守善は将来的にヨモツシコメを己の手札に迎え入れるハラを決めている。
家族は裏切らない。それは守善が守善であるための絶対の不文律だ。
「ランクアップするにも何時になるかは分からんし、大金が要る。簡単に安請け合いをするつもりはない――が、お前が諦めない限り、俺がお前の夢を叶えてやる」
ランクアップで容姿のハンデを解消してようやくスタートライン。Cランク、それも女の子カードの高値を考えればヨモツシコメの夢は途方もなく長い道のりだ。
それでも諦めるなと、守善は言った。
「お前の力を俺によこせ。俺にはお前が必要だ」
繰り返し語り、示す。
お前の力が必要だと、嘘偽りなく真情を込めて。不快感を覚えずテレパスすら使えないが、嘘をつけばすぐに分かる程度に僅かに心を繋ぎ、偽りがないことを証明しながら。
「ぁ……ぇ? ぅ、ぅぅぅ……ッ!」
何故かヨモツシコメがモジモジと身を捩り、忙しなく視線を行き来しながら悶えているが、一切気付かずに守善は言葉を続けた。
「胸を張れ。下を向くな。お前の夢を笑う奴がいれば黄泉軍をけしかけてやれ。俺が許す」
物騒な言質を与えながらも、力強くヨモツシコメの夢を肯定する。初めての経験にヨモツシコメは目を白黒させた。
「口で何を言ってもお前はまだ諦めていないはずだ。なら、今更こんなところで自分を曲げるな」
「ぁ……ぁなたに、何がわかるって言うんですか!?」
「そんなことスキルを見れば一目瞭然だろうが」
後天スキル、良妻賢母。妻として母として、理想的な技能をすべて備えていることを示すスキルだ。
後天スキルはある種モンスターの個性を映す鏡だ。習得の事実こそがヨモツシコメのこだわりを証明している。それが失われていない。ヨモツシコメが諦めに身を浸そうとして、それでも諦めきれていないことの証しだ。
「なん、で……なんで、そんなに……?」
心の内を見透かしたような物言いにヨモツシコメの心が揺すぶられる。忌み嫌われることはあっても理解されることは初めてだった。
何故自分に良くしてくれるのか。本当に信じてよいのか。猜疑と期待の間に揺れるヨモツシコメを、守善はギラギラと強烈な意志が輝く眼光で見つめた。
「一身上の都合でな。金が要る、莫大な金だ。山と積み上げても足りないくらいの金だ」
俺は億万長者になるのだと守善は語った。
何も知らない第三者の耳に入れば世間知らずの身の程知らずと笑われるような、そんな夢物語だ。
ヨモツシコメと同じくらい馬鹿馬鹿しい夢だ。
その自嘲にも似た共感がリンクを通じてヨモツシコメにも伝わる。彼と彼女はある意味では似た者同士だった。
「――――!?」
絶句するヨモツシコメ。
こんな自分と心を通じ合わせるマスターがいる。それはヨモツシコメにとって驚天動地の出来事だった。
「俺はプロになる。そのために力がいる。いくら強かろうがDランク程度じゃ到底足りない強力な力が」
だからこそ守善はヨモツシコメの夢を笑わない。笑ってはならない。彼女の夢を叶わない、無駄な努力だと笑うことは守善の夢を笑うことに等しいのだから。
「俺とお前の利害は一致しているはずだ。もう一度だけ聞く――俺に、お前の力を貸せ」
契約の証として右手を差し出す。ヨモツシコメは信じられないものを見る目で右手を見つめていた。
これでダメならもうヨモツシコメの心は動かしようがないだろう。そんな潔い諦めとは裏腹に守善は確信していた。
ヨモツシコメは必ず自分の手を取ると。
「わ、私……は……」
そしてヨモツシコメは――、
◇◆◇◆◇◆◇
結論から言おう。
ヨモツシコメは守善の手を取った。不器用に、おっかなびっくりとした手付きで。
そして守善からの名付けを受け入れ、いまはその隣で肩を並べて戦っている。
(ヨモツシコメ、レビィに状態異常耐性魔法を。B.Bは敵陣に殴り込め、ヨモツイクサは――)
(――状態異常耐性魔法は、か、完了です! ヨモツイクサはB.Bさんの後に続いて敵陣への浸透を図って蹴散らします!)
ただし受け入れた名は自分には綺麗過ぎるとして、その名に相応しくなれるまでは引き続きヨモツシコメと呼ぶように頼まれている。
(ご苦労。……いい動きだ、よくやった)
(ぇ……ぇへへ。旦那様のためですから!)
ふんす、と気合を入れたらしき鼻音を何故かリンク越しに響かせながらヨモツシコメが守善の指示に当意即妙と応じる。
その働きはまさに八面六臂。リンクを通じて守善の指示を受け、的確に行動している。他のカードたちとの連携も滑らかだ。
召喚されたヨモツイクサを前面に押し立てつつ、自身は適宜周囲のフォローに徹する。その働きは地味だがタイミングが的確だ。ヨモツイクサを操る手際も仲間の存在を考慮することで全体の殲滅効率が上がっている。
名付けをする前とは別人のように動きがいい。やはりリンクの恩恵が効いていた。さらに守善だけとは言え、どもることもなくハッキリと意思表示をするようになったことも好ましい。守善はヨモツシコメの働きに満足していた。
(レビィ――)
(はい、主。敵首魁を視認。接敵より十二秒で討伐します)
とはいえ流石にリンクの滑らかさ、意思疎通の練度はレビィ達に一日の長がある。
ハヤテが風読みで探り出した眷属召喚スキル持ちの位置をリンクで共有。呼びかけ一つで意志を汲み取りマス・コープスの首を狩るために動き出している。
「……………………」
その様子を見たヨモツシコメの瞳からハイライトが消失する。リンクを通じて伝わる形容しがたい感情の渦がそこはかとなく不安を煽るが、少なくともチームワークを乱す真似はしていない。衝動の全てを守善への信頼……信頼? から押し殺し、徹底して自身を戦力として扱っている。これで不満を言うのはバチが当たるだろう、と守善は自身を誤魔化した。
(む――)
(旦那様!)
リンクを通じて得たモンスター達の感覚に新たな敵の奇襲が引っかかる。
かつての焼き直しのように守善の足元がボコリと隆起し、墓地から這い出たゾンビアーミーがその手を弱点へと伸ばした。
そしてこれまた焼き直しのように守善とは離れた位置にいたハヤテが風の速さで駆け付けようとして――その動きを中断する。
「旦那様に触れるな、下郎」
両者の間に一瞬で割り込むヨモツシコメ。その声音に籠もるは絶対零度の殺意。
背に庇うはこの世に唯一人己を理解し、その手を差し出した誰よりも慕う己の旦那様。
行使するは中等補助魔法、シールドバリア。魔法の障壁がゾンビアーミーの突進を完璧に防ぎきり、次いで殺到したヨモツイクサにより一瞬でボロ雑巾となった。
「お見事」
「ぁ……はぃ」
ハヤテが口笛を吹いて称賛する鮮やかな手際だった。その称賛にペコリと頭を下げて応えるとヨモツシコメは再び戦闘に集中した。
「よくやった」
「いえ! 旦那様のためですから!」
守善がねぎらうと食い気味に返事を返し、その集中も乱れてしまったが。恐ろしい姿は名付け前と変わらないが、纏う空気はずっと明るく見えた。
(旦那様から賜った、私だけの名。綺麗過ぎて、私にはとてももったいないけれど)
ヨモツシコメ。誰よりも醜い鬼女でありながら誰よりも恋に憧れる彼女を知り、守善は最も相応しいと思う名を送った。それは彼女にとって救いであり、何時かその名に相応しくありたいという希望となった。
最早彼女は醜い鬼女である事実を悲観しない。受け入れ、前に進む意志を得た一人の乙女だ。
(その名に相応しくあるために)
まずは長い道のりの障害として眼前の敵は殲滅する、と冷たい殺意を零すヨモツシコメ。彼女は鬼女。恋に生きる女であると同時に恐ろしい鬼の側面もまた彼女の一部なのだから。
(吹っ切れたか)
迷いなく敵陣を蹂躙するヨモツシコメの八面六臂の活躍。これならば大会にまで間に合うと守善は安堵した。それだけではない、これからの冒険者稼業にも大いにその力を奮うだろう。
ここまで新メンバーの戦力の底上げは順調。
(なら、次か)
次、と思考を切り替える。
思考から身内に向ける甘さが完全に消え去り、敵意と排除の念が膨れ上がった。その対象はいまもカードたちに屠られる雑魚敵達――ではない。
(ハヤテ)
(はいはい)
(どうだ?)
(バッチリです。あると断じて探ればまあ、なんとかなりました。いや、いい勘してますねマスター。普通あんなのがいるなんて考えます?)
(世辞はいい。位置は?)
(ちょっとは素直に受け取ってもバチは当たらないでしょうに……。マップ上の――)
(そうか。その位置なら――)
ハヤテとリンクを通じて打ち合わせながら、さりげなくしかし的確に自身らの位置を変えていく。敵モンスターとの闘争に押し、押されているように見せかけて。
「捕まえたぞ、覗き屋」
いまも密かに守善達を監視する冒険者に向けて、守善は牙を剥く肉食獣のように凶悪な笑みを浮かべた。