第二十話 黄泉醜女という女②
モンスターハウス化した二十ニ階層で戦闘に明け暮れて数時間。小休憩を入れつつ粘れるだけ粘ったが、芹華と取り決めていた時間を迎えたため安全地帯へ戻った。
そして一足早く戻っていた芹華とともに安全地帯に展開した『硝子の棺』内部の古城へ転移し、大休憩を取っていた。
古城の尖塔、見張り台とも言うべき場所で黒い森が延々と広がる異界を見下ろしながら守善は一人悩んでいた。
(ヨモツシコメの奴、また自分からカードに戻った……か)
悩みのタネはやはりヨモツシコメ。従順だが心を開こうとしない鬼女のことだ。彼女はせっかくの自由時間を楽しむこともなく、いまもカードとなって守善の懐に収まっている。
(戦闘が終われば空いた時間を楽しむこともなくカードに戻る。雑談も振れば付き合うが、向こうからは積極的に口を開かない。……なんとかして心を開かせようにもそのキッカケすら掴めん)
どうする、と守善は密かに頭を抱えた。はるか高みから見下ろす絶景も悩みをか開ける守善には遠い。
連戦を繰り返し、たっぷり疲労と成果を得た。戦闘力の上昇は順調だ。だがそれ以外の部分こそが問題だった。
一人静かに答えの出ない悩みを弄ぶ守善。その背中に無音無形の刺客が忍び寄る。思考に集中し、外部に注意を一切向けていない守善に向けて両手を伸ばし――、
「――だーれだ? 当たれば可愛い可愛い天狗のお姫様からご褒美ですよ?」
「……ハヤテ。俺はいま考えごとの真っ最中だ。用がなければ声をかけるな。気が散る」
ケラケラと悪戯っ子のような笑いを含んだ言葉と両目を塞ぐ柔らかな手の感触。己の正体を隠す気もない台詞に思考を中断させられた守善は不機嫌そうに呟き、両目にかけられたハヤテの手をどかした。
天狗の隠れ蓑まで使った悪戯に不機嫌そうな守善にも笑みを崩さず、ハヤテは軽やかに口を開く。
「その考えごと、シコメさんのことでしょう?」
当たってます? とやはり笑顔を崩さないハヤテ。ため息を一つ吐いた。
「……お見通しなら邪魔をするな」
「だーかーらー。なんで私がマスターのところに来たと思ってるんですか? 一人で考え込んで変なドツボにハマるのはマスターの悪いクセですよ。ちょっとは私に頼ってくれてもいいと思いますけど?」
ドヤ顔でその薄い胸を張るハヤテがそうのたまう。なんとも頼りがいがなさそうな小憎たらしい笑顔に守善はハッキリとため息を吐いた。
「それなら聞くが」
「ええ、どうぞ」
「ヨモツシコメ、あいつはもう少しどうにかならないか」
一向に心を開こうとしないヨモツシコメに関する様々な鬱憤。それらを『どうにか』の部分に詰め込んだ、相談事としては具体性のない愚痴に似た問いかけを吐く。
ハヤテならばその一言で汲み取るだろうという無意識の甘えであり、閉塞した現状に対する愚痴だった。
そんな風にマスターから頼られたハヤテと言えば、
「――なるわけないでしょーが。人間関係ナメてんですかこのダメマスター」
笑顔を崩さないままバッサリと一息に切り落とした。それもかなり辛辣な内容で。
「どうにかも何もありません。そもそもシコメさんはよくやっているじゃないですか。出会ってから十日も経っていないことを考えれば、十分以上に」
「だが、このままじゃ大会には――」
要となるリンクを繋げるほどの関係を築けないだろう。そうと続く言葉にハヤテも同意する。
「ええ、間に合いません。で、だからどうかしましたか?」
その上で、守善の懸念を軽やかに笑って蹴り飛ばした。
「ホムちゃんがいます、熊さんがいます、私もいますし、狛犬さんに獅子さんもいます。私達はマスターが命運を懸けるのに足りませんか?」
「そういうわけじゃないが……」
ハヤテ達のことは信頼している。だがそれとは別に純粋に戦力として計算をすれば、ヒデオや芹華を相手にするとなれば盤石には程遠いとも思っていた。
「そこで断言しないのはハヤテちゃん的に減点ですが……ま、いーです。私が言いたいのはですね、つまりあなたは焦りすぎです。マスター」
いいですか、と論理立てて説明を続けるハヤテ。
「そりゃ私達だってマスターを優勝させたいですし、リオンさんやレブレさん達に負けたくないですよ。勝つためにシコメさんに期待するのは分かります。
でもいまのマスターは焦りで金の卵を生む鶏を絞め殺そうとしているように見えます。そもそも私達だってマスターに心を開くのは時間がかかりましたし、あの一戦であなたの地金が見えなければ一生あのままだったと思います」
故にハヤテは言う。焦るな、と。
「シコメさんに期待するのはいいです。あれだけの能力ですからね。悔しいですが、戦力としては私以上に有用でしょう。マスターが彼女に期待をかけるのも当然です。でもその期待を重荷にしてシコメさんを潰しちゃ元も子もないでしょう?」
諭すように、補うように。このマスターを支えられるのは己なのだと自負を込めてハヤテは語りかけていく。
「そのままのあなたでいいんです。不器用なりに心を開いて向き合おうとしているいまのあなたはいいマスターだと私は思います。その心はきっとシコメさんにも届いているはずです」
「…………」
沈黙を返す守善。
守善なりに誠実に向き合おうとしたつもりはある。だが根本的な部分で打算から来る誠意であることも自覚しているため、肯定するのは憚られた。
「たとえ大会までに間に合わなくてもその分は私達でなんとかします。だから、もう少しシコメさんにも時間を上げて下さい」
「……わざわざ自分から苦労を背負い込む気か? 馬鹿な奴だ」
「いーんですよ、望んでしている苦労なんですから」
そう言ってフワリと、ハヤテは風のように笑った。誰のための苦労なのかは敢えて口にはせず、汲み取ってくれるはずだと信じて。
「本当に、馬鹿な奴だ。…………お前の言う通りにする。それでいいな?」
「ええ、もちろん」
ハヤテの頼みに守善は諾と応じた。いい女だな、と惚気のような呟きを胸の内だけで漏らしながら。
◇◆◇◆◇◆◇
この会話をキッカケに守善は少しだけ変わった。
ヨモツシコメを気にかけながらも、無理に構わないようにした。変化といえばそれくらいだ。期待という名の重荷をヨモツシコメにかけるのを止めにしたとも言える。
そして、更に五度。『棺』に入り、出た。外界では昼も夜もなく戦い続けた。刻一刻と削れていく時間に焦らなかったと言えば嘘になるが、なるようになれという思い切りが守善から迷いを拭い去った。
「……そろそろ切り上げるか」
いつものように、いつも以上に効率よくゾンビアーミーの群れを薙ぎ払い、叩き潰し、すり潰した。時計を確かめれば『棺』で休息する時間が近い。できてもう一戦といったところだが、余裕を見て引き上げてもいい時間だ。
「……ぁ」
「……?」
「ぁ……の」
いつものように安全地帯へ戻ろうとした守善へヨモツシコメがボソボソと声をかけた。
「ああ、カードか。少し待て、いま戻してやる」
「ぃ、ぃぇ……違ぃま……ぅ」
フルフルと首を振り、否定する。それは明確な、ヨモツシコメ自身の意思表示だった。
「ま、ぁ……マス、ター……」
目を見張る守善をはばかるように、やはり小声でボソボソと。
「ぉ……ぉ話、ぃませんか?」
聞き取りづらいが、ハッキリと自分の意志で。話さないかと守善に声をかけた。
もちろん守善の返事は決まっていた。
「ダメだ」
ガァーンとショックを受けた様子のヨモツシコメ。長い長い黒髪で顔を隠している割に感情表現が豊かなヨモツシコメに頓着せず言葉を続ける。
「一度『棺』に戻ってからだ。ここは――」
会話を続ける守善の足元からボコリと地面を隆起させて現れた新手のゾンビアーミーが警棒を片手に襲いかかる。
墓地から蘇った死者が振るう生者への怨念が籠もった一振りは、しかし守善に届かない。風の速さでハヤテが迎え撃ち、錫杖を振るって警棒を弾き飛ばしたのだ。そして無防備を晒したゾンビの頭部を追撃の錫杖が襲い、その頭蓋を叩き割った。
「場所が悪い」
リンクの恩恵により一切の合図なく行われた当意即妙の戦闘行動。言葉もなく意思を交わす守善とハヤテにヨモツシコメは羨望の視線を向けた。
「じゃ、ぁ……」
「ああ。あとで、な」
「ぁぃ……」
その言葉にホッと肩を下ろしたヨモツシコメを、守善は静かに見ていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「わた……ぁたし、自分が、ぃ……き、嫌い……で」
「そうか」
「き、汚くて……醜くて……嫌われ者で……」
「俺も大概嫌われ者だ。似た者同士だな」
「だ、誰も私のことなんか必要としなくて」
ここは『棺』の異界。古城の人目につかない一室に机と椅子を持ち込んだ即席のスペースで、守善は先ほどから続くヨモツシコメの言葉に相槌を打っていた。
初めてまともに会話を交わすヨモツシコメ。そのキャラクターはひたすらに後ろ向きでネガティブ。自己嫌悪をこじらせた鬼女は先ほどから自虐的な言葉を繰り返している。
普段はボソボソと聞き取りづらい小声だというのに、自分を貶す時だけハッキリと喋れるのはいかがなものかと守善は思った。
「なら俺に手を貸せ。丁度猫の手も借りたいところだ、戦力はいくらあって困らん」
「ぇ、ぇへ……」
守善とのやり取りに陰を漂わせ、控えめに笑うヨモツシコメ。表情は読み取れないが、なんとなく嬉しそうな気配であることはわずかに伝わっていた。
「ま、マスター……は、わ、ぁたしぉ、ひ、必要としてくれたから……」
おっかなびっくりと。顔全体を覆い隠す長い黒髪の隙間から伺うように視線を覗かせるヨモツシコメ。
小動物のような仕草、幼く舌っ足らずな甘い声、どこかおどおどと不安げな庇護欲を誘う言動。これでヨモツシコメでなければ、とは彼女を見た大半の冒険者が思うことだろう。なおその数少ない例外は特に頓着せず話を続けた。
「ぉ……ぉ話して、みようって」
「そうか」
(それに最近はあまり私の方を見ないし……)
「なんだって?」
「ぁ、なんでもなぃ、です!」
己の醜さを自覚し、注目されるのが殊更苦手だからこそ守善からのコミュニケーションに拒否反応を示していたヨモツシコメ。とはいえ守善なりに気を使っていたことには気付いていた。
そこに守善の方から一歩引くことでヨモツシコメも多少なりと余裕を取り戻し、こうして彼女自身から声をかけることとなった。守善の努力は無駄ではなかった、あとは距離感だけが重要だったのだ。
「ヨモツシコメ」
「ぁい」
「話を、するか」
「ぉ……ぉ話、ですか?」
その誘いにコテン、と少女らしい仕草で首を傾げるヨモツシコメ。
話題は何でも良かった。互いの理解を深めるために会話を重ねようとの意図からだ。
「ああ、なんでもいい。好きなもの、嫌いなもの。お前の望みや俺に求めるものでもいい」
「ぇ、と……ぁ……ぁたし、は……」
困ったようにモゴモゴと言いよどむヨモツシコメ。彼女がなんでもいい、と言われるのが一番対応に困るタイプのキャラであることは守善もなんとなくわかっている。
「まあ、まずは俺から話題を振るか。ついさっきの戦闘だが、お前のスキルは――」
「ぁ……はぃ、それなら――」
彼女のようなタイプにはプライベートよりもオフィシャル寄りな話題。ヨモツシコメで言えばその能力を生かした活躍が期待される戦闘分野が話の取っ掛かりとしては適当だろう。
そうと察して話を振れば、彼女は同様から立ち直り、さっきよりもハッキリとした口調で話し始めた。
――そうして二人は言葉を重ねた。時に他愛のないことを、時に大会に向けた真剣な問いかけを。互いに語り、つまづきながらも。
固く凍った永久氷雪がじれったくなるほどゆっくりと溶けて緩んでいくような、そんな時間だった。
「お前は何がしたい? 望みはあるのか?」
それは次の話題に移る取っ掛かりとして質問だった。相手が望む報酬を与えることは交渉ごとの基本だ。ヨモツシコメとこれからも良好な関係を保つためにも知っておきたかった。
「……………………」
一呼吸、二呼吸……さらに長い長い沈黙が続く。長い黒髪に阻まれヨモツシコメの顔は見えない。だがその全身に迷いが現れていた。
敢えて沈黙を保ち、静かに次の言葉を待つ守善。その様子を見て覚悟を決めたのか、ヨモツシコメはオズオズと問いかけた。
「ぁ……わ……笑ぃ、ません……か?」
「笑わない」
断言する。
「俺は、俺の手足を笑う奴を許さない」
守善にとってカード達は己の手足に等しい。カードを笑うことは守善を笑うことだ。故に許さないと報復の意思をのぞかせ、守善は断言した。
その意気にパチパチと目をしばたたかせたヨモツシコメだが、ついに背中を押されるように己の真情が籠もった言葉を絞り出した。
「こ……」
「こ?」
「こぃを、したぃ、です……」
こぃ、こい……恋、という文字が思い浮かぶのに一呼吸ほどの時間を要した。ヨモツシコメと恋。これほどまでにミスマッチな組み合わせがあろうか。
だがその声に籠もる感情がヨモツシコメの本気を告げていた。
無理だ、難しいだろう。そんな否定的な言葉が脳裏をよぎるが、口に出すのはギリギリでこらえた。
「私だって、いつか、素敵な旦那様と出逢って、恋をして、結ばれて――」
ハッキリと、ヨモツシコメは己の夢を口にした。
「それが私の、夢だから」
強い意志を持って紡ぐ言葉を守善は笑わない、笑えない。いいや、笑ってはならない。
「……なんて、分かってます」
だが。
一瞬前までの凛とした声音が嘘のように寂しげに、ヨモツシコメは自嘲を零した。
「ぁ……ぁたし、みたいな……醜いバケモノが、こぃ……恋なん、て――」
嗚咽混じりの涙声が零れ落ちる。だが哀れみを誘う要素の全てがヨモツシコメを見た途端に霧散していく。
醜いからだ。
ブヨブヨと皮膚がただれ、剥き出しの血肉を顕にし、朽ちたボロ布を纏う鬼女は言い繕う余地が欠片もないほど醜い。容姿の好みという範疇で収まるレベルではない、バケモノじみた異形なのだ。極めて残酷な事実として……いまの彼女を受け入れ、恋愛関係を結べる異性と出会う確率は限りなくゼロに近い。
「…………」
否定しようのない事実を前に守善は沈黙を保った。
ヨモツシコメは醜い。その事実を直視して涙ぐむヨモツシコメに向けて守善は――、
「くだらんな」
まるで鋭い針で心臓を一突きに刺すように、恐ろしく冷ややかな声をかけた。