第十八話 スナパラッチ
「うちの大学の報道部を知ってるか?」
そうして飛び出たキーワードは守善にとっても聞き覚えのある名前だった。
報道部。大学の公認機関誌を発行することが認められた部活動で、取り扱うネタは当然学内の出来事がメインだ。普通の大学なら学生の目にひっそりと触れるだけの壁新聞作りが精々だが、この大学においては事情が異なる。
「噂だけはな。この大学らしく冒険者関連の記事が多い。最近は機関誌の発行よりもMy tubeを通じた動画記事の投稿が活動のメイン。学外にも視聴者が多く名は売れてる。そして部全体の傾向として――」
そのまま流暢に始めた説明を一拍の間を空けて切り、
「「――煽り記事、飛ばし記事が多い」」
守善とヒデオ、二人のセリフがピタリと一致した。
「噂だけと言う割には詳しいな」
「身近にあって関わりそうなところだ。下調べの一つもするだろ」
肩をすくめて軽く返すとそれもそうかと頷くヒデオ。実はそれだけではないのだが話す必要もないことだと守善はそれ以上何も言わなかった。
「つまりそこが震源か」
「その通りだ。見ろ」
そう言って手元のスマホを操作して報道部のアカウントから閲覧した一つの動画記事をヒデオが見せてくる。
「大分好き勝手に書いてるな。【冒険者歴一ヶ月で二ツ星!】【あの『不死者の窟』単独攻略……か!?】【イレギュラーエンカウント殺し、冒険者新人王戦に緊急参戦!?】【冒険者部期待の新星とのライバル関係】……なんだ、お前のことまで引き合いに出されてるぞヒデオ」
「体の良い当て馬としてな。自分で言うのもなんだが俺は一年の割にそれなりに名前が売れているからな」
嬉しくもなさそうに肩をすくめるヒデオに心当たりがあった守善はああと頷いた。
「そういえば報道部と冒険者部はズブズブだったな。記事のうちかなりの割合が冒険者部関連だったか?」
「地上ではもちろんダンジョン攻略にまで付いてくることもよくある。そのうちの一つで妙に持ち上げられて紹介されてな。お陰で知らない奴に名前を呼ばれることが増えた」
困ったようにため息を吐くヒデオ。その性格上おかしな持ち上げられ方をして喜べる性格ではないのだろう。
「そんなことより私のことが書いていないのは何故ですの!? 私はライバルの座をヒデオさん一人に明け渡したつもりはありませんわよ!」
「芹華、怒るところがそこか?」
「撮れ高だろ。俺が言うのもなんだがお前はヒデオに比べればマイナーだしな」
「納得いきませんわ!」
なお途中芹華がプンプンと頬を膨らませて抗議していたが二人とも特に気にせず流していた。実のところ芹華はあの白峰響に選ばれたチームメンバーにして金髪縦ロールお嬢様としてヒデオに負けず劣らず学内で注目を浴びている。記者が彼女の存在を取り上げなかったのは単に尺の問題なのだが、この場の三人がそれを知る由も無い。
(動画の作りが上手いな。中身がない情報の羅列を上手く纏めた上でヒデオや大会につなげて興味を煽る内容になってる。純粋に出来が良い)
清々しいまでの煽り記事にいっそ感心しながら動画を読み込んでいく。刺激的な謳い文句と人を引き込む解説に素で見入ってしまった。動画として純粋に出来が良い。
そして一通り動画を見終わると次の思考が動画を作成した記者に向いた。
「記者の名前は……すなはらッチ? なんだこの名前は?」
「本名は砂原千鶴。報道部二年のエース記者だ。俺も面識はあるが、とにかくパワフルでエネルギッシュな人だな。一ツ星だが冒険者資格持ち、Dランク迷宮までなら攻略に取材で同行することもある」
目につくのは顔出しで解説している記者の作成者。報道部の部員である明るく陽気な印象の長身女性だ。記事の中で砂原ッチ、はらッチ、すなはらぁ! などと複数のあだ名で呼ばれ、快活に笑っていた。
真っ先に目に付く特徴は豊かな赤毛を頭頂部で纏めて全方向に散らした、いわゆるバイナップルヘアーだろうか。明るい笑顔にノリの良いトークだが解説の中身は平易で分かりやすい。一見明るく陽気なお姉さんといった印象だが、動画記事の作り込みから見て頭はかなりよさそうだ。ノリの軽さは半分は素だが、もう半分は演技のように見える。
「確か記者名は本名と……なんだったか。パパラッチ? との組み合わせだとかなんとか」
「パパラッチではなく市民記者では? 偶然にしてはできすぎなペンネームですわね」
「それだな。本人の自己紹介欄にもそう書いてある」
市民記者。
元はスナップ写真とパパラッチを合わせた造語だという。このご時世、カメラ機能等を搭載した通信端末の登場によって民間人がスクープ写真を撮ることも多い。こうしたスクープ写真を撮る民間人を指してスナパラッチと呼ぶのだ。
誰もが記者になりうる世の中で自分こそがその筆頭であるという自負から付けた名前なのかもしれない。
「人情味はあるし自分なりの報道の正義を掲げてもいるが……撮れ高のためなら割と何でもやる人でもある。見かけたら気を付けろ。できれば見かける前に逃げろ」
「扱いが完全にモンスターですわね」
「厄介事の塊みたいなキャラクターだな」
真面目な顔をしたヒデオの注意に二人がげんなりとした顔になる。新人王戦が直前に迫ったこの時期に出会えばかなり厄介なのは間違いないだろう。
なんとはなしに憂鬱そうな空気が三人を包み――パシャリ、と唐突なフラッシュが一同を照らした。
「おおっと、こんなところに今年の優勝候補が揃い踏みとは運がいいや。ねねね、一枚撮ってもいいかな?」
撮っていいかと尋ねているのに許可を得る前の無断撮影。ストレートに失礼な振る舞いにヒデオが大きくため息を吐き、守善と芹華も憮然とした表情を見せた。
一方フラッシュを焚いたカメラの持ち主は三人のマイナスの反応にも気にせず明るく笑っていた。
「……次からは是非許可を得てから撮影頂きたいですね、砂原先輩」
「やぁやぁヒデオ君、久しぶりだね。前にも言ったけど親しみを込めてすなはらッチ先輩でいいよ?」
首から下げた一眼レフのカメラを構えた女性がヒデオの抗議に気にした様子もなく飄々と笑う。
上を白のブラウス、下を黒のデニムパンツに、足元はカジュアルなスニーカーで纏めてある。冒険者を取材対象としているからか、すっきりと清潔感を保った動きやすそうな服装だ。小さなメガネが明るく活動的な雰囲気に知的さをバランスよく加えるのに一役買っている。
まとめると、明るく活動的だが決して馬鹿っぽくはない。むしろ聡明さと若干の人の悪さがにじみ出ている。美人だが油断できない雰囲気だ。
「どうにも、性分でして」
「固いねー。まあそれならそれでそういうキャラで売るからいいけど」
「ご勘弁を。自分が預かり知らぬところで人身売買された気分になりそうだ」
実直なヒデオには珍しく皮肉げな物言いだ。が、それを気にした様子もなく三人が座るテーブルの空いた椅子に腰掛けてくる千鶴に中々の面の皮の厚さだと守善は感心の目を向けた。
「ヒデオ、それが例の?」
「……紹介しよう。こちらが例の記事を書いた報道部二年生、砂原千鶴先輩だ」
ヒデオは守善の非礼を咎めるか一呼吸ほど迷った沈黙を挟んで結局は何事もなかったように話を続けた。
柔かなようで押しの強い言動、守善に対する煽り記事でこの場の三人からの好感度は低下していたのだ。
「報道部二年の砂原でーす。すなはらッチって呼んでね? はらッチでもいいよ」
ヒデオからの紹介に明るい笑顔を浮かべてパチリとウィンクを返す千鶴。中々愛嬌のあるチャーミングな仕草だった。何も知らない純な若者ならば距離の近い振る舞いにドギマギしたかもしれないが、
「ハジメマシテ、砂原先輩。一年の堂島です」
「芹華・ウェストウッドと申します。右に同じくですわ、先輩」
返ってくる言葉はそっけないものだった。
特に守善からの色々な含みを込めたハジメマシテに千鶴は察したようにカラカラと笑った。
「うんうん、二人共はじめましてだね。私の記事は見てくれてるかな? 自分でも中々の出来だと思ってるんだけどねー」
清々しいまでの煽り記事に取り上げた当人の前だというのになんとも図太い言い草だ。守善はそっけなく黙殺し、芹華に至っては今にも口から火を吹きそうな顔をしている。普段は瀟洒な令嬢として振る舞っているが、その実人一倍感情豊かで誰かのために怒れる情の深さを持つのが芹華だ。
傍から見てもイライラゲージが溜まっているのが一目で見て取れた。
「丁度三人で視聴していたところです。色々と楽しませてもらっていますよ」
「それはなにより。それじゃ早速だけど君達三人に取材を申し込んでもいいかな? いやあ、話題のライバル三人が揃い踏みのところに間に合うなんて私ってば運がいいね! 籠付が堂島君と揉めてるって聞いて飛んできたんだけどこれはこれで美味しい画だ」
取材を既成事実化するように滔々と捲し立てる千鶴。再びカメラを構えてパシャリと一枚撮ろうとするのを抑えながら三人は互いに無言でアイコンタクトを取った。即座に意見は一致する。
「お断りします」
「同じく」
「お帰りください。話すことはありませんわ」
「え~、そんな~。そりゃないよ、後生だよ。一生のお願い!」
判を押したような断りの返事に千鶴の表情が露骨にしょげた。困ったような、媚びるような弱々しい笑みを浮かべてダメ押しのように再度問いかけてくる。
もちろん三人の答えはノーだ。
「どうしてもダメ? いい記事書くよ? 視聴者のみんなが応援したくなるようなやつ」
しなを作って可愛くおねだりのポーズまでキメたが生憎とこの場の三人にその程度で心動かされるような可愛げはなかった。
「いま売り出し中の優勝候補三人の直撃インタビューとか需要があるのにナー。頷いてくれたらとっても助かるのにナー」
わざとらしい泣き真似をしつつチラリと横目で見てくるのが非常にあざとい。そのまま三人が黙殺を続けていたが、千鶴は全く諦めた様子がなかった。
羨ましいほどタフなメンタルだ。こちらの拒絶を全く気にせずグイグイと詰めてくる姿勢はある意味記者向きなのかもしれない。
「それじゃお一つ取引はいかが? お安くしておきますよダンナ」
泣き落としでは埒が明かないと悟ったか、瞬時に泣き真似を収めた。そして今度は親指と人差指を丸めて銭のマークを作って露骨に下心を押し出したニヤニヤという笑みを浮かべて見せる。
まるで懲りた様子のない千鶴に芹華のこめかみに見事な青筋が浮いた。
「お断りしますわ!」
「こっちは一応聞いておきましょうか」
「守善さん!」
「騒ぐな。別に受けると決まったわけじゃない」
反発する芹華を宥めながら先を促す守善。千鶴はそんな二人の様子を楽しげに見ている。
「ま、取引とは言っても大した話じゃないよ。取材を受けてくれる代わりに大会ではちょっとだけ君達寄りの実況をしてあげるって提案」
「大会の実況?」
「新人王戦の実況は毎年報道部から人を出してるんだ。今年の実況はもちろんこの私! どうかな、いい仕事するよ?」
マイクでも握っているような仕草で握りこぶしを口元に持ってくる千鶴。ノリが軽くテンポの良いトークも相まって実況向けという評価に異論はない。口からでまかせというわけではなさそうだと内心で頷く三人。
「実況で勝敗が変わる訳では無いでしょう?」
「そうだね。けど会場の雰囲気はかなり変わるよ。周囲の後押し、応援っていうのはメンタルに馬鹿にならない影響力があるよね」
特に、と悪辣なニヤニヤ笑いを浮かべ続ける千鶴。
「罵倒、野次、ブーイングはもっと露骨に響く。調子を崩した選手が番狂わせで負けるなんてよくあることだよね」
「いい加減に――」
まるで脅しをかけるような言い草。嫌なプレッシャーをかけてくる千鶴にとうとう芹華の堪忍袋の緒がブチ切れかける――その寸前、
「――なーんてね! ウソウソ、冗談でした! 公正公平なる実況者のはしくれとして偏向報道は許されざる行いだからね―」
と、一欠片の信用もできない朗らかな笑顔とともにあっさりと取引を撤回した。煽り記事の類を飛ばしまくっている人間の言い草ではない。守善が感心するほどの面の皮の厚さだった。
芹華の怒りの分水嶺を見切ったか、見事な引き際の速さだ。危機感知の嗅覚が鋭いのか、あれほどしつこかったのが一転して驚くほど未練を示さずに撤退を決めたらしい。
「それじゃお姉さんはこれ以上お呼びじゃないみたいだからグッバーイ。あ、さっきの写真は次の記事に使わせてもらうね? 当たり障りはないけどちょっとだけ好意的に取れる感じに仕上げておくから期待しててね―」
この嗅覚の鋭さを迷宮攻略にも応用できるのならば、一ツ星でありながらDランク迷宮攻略に同行できるのも理解できる。本人の度胸が一番の要因だろうが。
撤退を決めれば迷いはない。千鶴は自分に都合の良い台詞を一方的に言い捨て、素早く席を立つと引き止める暇もなく片手をフリフリ去っていた。唖然とした表情の芹華と相変わらずだと呆れたようなヒデオ、ポーカーフェイスを保つ守善を後に残して。
「……なんと言いますか私達が取材拒否したことなどまるで気にしていませんでしたね」
「取材は断ったが、記事に取り上げるなとまでは言ってない。かといってわざわざ今から追い掛けるのも面倒だ。……見事な言い逃げだったな、アレは」
「まあ、あの人がイイ感じに書いておくと言えば中身もそう悪くはならないだろう。諦めろ、そっちのほうが早い」
風のようにやってきてかき回すだけかき回して去っていった千鶴に三人は呆れと感心と諦観をミックスさせた何とも言い難い表情を浮かべ合う。
敵でも味方でも扱いに困るトリックスターとでも呼ぶべき強烈なキャラクターの持ち主だった。
「……今からどんな記事が書かれるか気が重いですわ」
「ああ見えて言ったことは守る人だ。宣言通り当たり障りはないがやや好意的な立ち位置から記事を書いてくれるだろう。気にしすぎない方がいい」
「ま、俺以上に悪し様に書かれることはないだろ。何を書かれても適当に受け流せばいい」
悪評汚名の類を気にも留めない守善の面の皮の厚さが分かる発言だった。精神的なタフさの顕れだが、それはそれでどうなのかとヒデオが苦言を呈した。
「お前はお前で少しは自分の言動を省みろ。普段から身を正していれば余計な騒ぎは起きなかったかもしれん。記事の中身も大概だが、他人ならともかく俺たちでさえありうると思われるのはどうかと思うぞ」
「有象無象がざわざわと騒いだところで、勝敗は変わらん。ンなこと気にしている暇があったら戦術研究でもしているさ」
友人を思っての発言だが、生憎と排他的で性根がねじくれた守銭奴には届かなかった。人間、そう簡単に性根は変わらないものだ。
たとえここで過激な発言を繰り返すことに意図があったのだとしても、半分は素の言動だ。
「ちょっと怖いもの知らず過ぎでは? 勇気と蛮勇は違いますわよ?」
「お前……お前なぁ。一応確認するが、周りの声は聞こえているのか?」
籠付に、芹華とヒデオ、千鶴と立て続けに続いた乱入で周囲からの注目は続いている。そんな中放り込まれた隠す気もない音量の過激な発言に更にざわめきは大きくなる。火に油を注ぐが如き言動にヒデオと芹華が友人として頭を抱えた。
「耳が遠くなるほど年を食ったわけでもなし、当然聞こえてるさ――雑音だろう?」
怖いもの知らずな発言がとうとう観衆にまで飛び火した。その全方位無差別放火により一気に喧騒が大きくなり、蜂の巣をつついたような勢いだ。
守善に集まる注目は綱渡りする道化へ野次を投げる民衆のような、無邪気な悪意の割合が明らかに増えている。
このご時世、過激な発言はあっという間に炎上する。そして正確な前後関係すら無視して過剰なほどの悪意となって当事者に襲いかかるのだ。
「……お前はそれでいいのかもしれんが、お前が蔑まれるのはお前のカードが蔑まれるのと同じことだ。それは覚えておけ」
あまりにも周囲からの評価を顧みない姿勢に向けたため息交じりの忠告に、守善は小さく肩をすくめて答えた。
「忠告は受け取るが、どう考えても手遅れだな。まああまり気にしないことにするさ」
「そりゃ安心した、タフガイだな。……あまり過熱するようなら言え。避難所くらいは提供する」
「問題ない、しばらく大学には顔を出さないからな。余計な雑音が耳に届くこともない」
「なんだ、山にでも籠もるのか?」
「惜しいな。大会までチームでダンジョン籠もりだ」
守善の言葉にヒデオは目を丸くして驚いた表情を浮かべた。芹華も冷静な顔でいつの間にか頼んだ紅茶のカップを傾けている。
「……それはまた思い切ったな。いや、意外でもないか」
「メリットがデメリットを上回ると判断した。このままでお前らに勝てると油断できるほど手持ちの戦力に余裕はない」
「右に同じく」
「こちらも似たようなものだ。俺もこれからカイシュウ先輩とダンジョン籠もりだからな」
考えることは皆同じ、という訳だ。
「さて、守善。芹華も」
「ああ」
「ええ」
視線を交わし、頷く。
「次に会う時は大会だ。……負けんぞ」
「いいえ、優勝するのは私ですわ」
「勝つのは俺だ。せいぜい首を洗って待っていろ」
三人は同時に口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。