第十二話 我らはレギオン、大勢であるゆえに
Cランクモンスター、レギオン。それがこのDランク迷宮のボスの名。
これまで登場したモンスターの傾向に違わず、レギオンもまた眷属召喚スキル持ちの死霊系アンデッドモンスターだ。
その原典は新約聖書。かの救世主によって憑依した人間から祓われた、由緒正しい悪霊の群れ。
ある男に取り憑いていたところを救世主によって追い払われ、挙げ句行き場を求めて二千頭の豚に取り憑き、レミングスの如く次から次へと断崖からその身を投げ出させたという。
救世主に名を問われ、彼らは自らを大群と答えた。我らはレギオン、大勢であるがゆえにと。
このエピソードを原型としているためかレギオンの強みはとにかく膨大な数の眷属だ。それも尋常でないレベルでの眷属召喚速度を誇っている。
眷属であるDランクモンスター、ゴーストを数秒に一体のペースで生み出す。討伐出来ず野放しのままだと四桁を超える数のゴーストを階層にひしめくことすらあるという。
このゴーストもまた厄介なモンスターだ。単体ならさして脅威ではないが、群れになると途端に厄介さが増す。
まず霊体なので単純な物理攻撃が効かない。倒すには聖属性の付与や魔法攻撃などの一工夫が必要となる。
加えて生者やモンスターを見かければまさに死にものぐるいの勢いで突撃し、憑依スキルを使ってくる。憑依が成功するとバットステータスの衰弱あるいは混乱状態が発生し、動きが鈍る。最悪の場合は自分を傷つけたり、仲間に襲いかかったりする。いわばたちの悪い自走式地雷のようなものか。
そんな代物が何百、対処に手間取ると何千とこちらに向けてやってくるのだ。ちょっとした悪夢のような光景だろう。
加えて、迷宮のボス補正を受けたレギオンはもう一つ別の種類の眷属召喚スキルを持つ。
呼び出すのはゾンビ系上位種のDランクモンスター、マス・コープス。
マス・コープス自身もまた眷属召喚スキルを持ち、Dランクモンスターゾンビアーミーを呼び出す。こちらはさすがに呼び出す数は控えめだが放置すれば際限なくゾンビアーミーは増えていく。いわば擬似的な軍団召喚スキルだ。
さらにゾンビアーミーとゴーストを組み合わせた凶悪コンボの存在。三人には一秒たりとも無駄にできる時間はない。
「散らばって探せ。一刻も早くレギオンを見つけ出せ!」
「狩り出しなさい、これは時間との勝負です!」
「足を使え。とにかく広範囲を探し回れ」
フロアへ足を踏み入れるや否や、呼び出した眷属のオークやピクシー、黄泉軍を四方八方に索敵のために走らせる。割合は半数を索敵に回し、残る半数を本陣に残す。
眷属召喚スキルで呼び出した下級の眷属であっても何か発見すればそれを本体に知らせるくらいは出来るし、仮に何も気付かず不意打ちで倒されてもそれはそれでそこに何かがいたという証明になる。後はその痕跡をたどれば大元であるレギオンにたどり着くはず。
数に任せた強引な探索だが、それだけレギオンに猶予を与え続けるのは危険なのだ。
Cランクでも上位クラスの眷属召喚スキルを持つレギオンは、数秒放置するごとに敵の戦力が一体増えると言っても過言ではない。
呼び出した眷属のうち少なくない数を探索に振り分けたのは、それだけレギオン討伐において本丸の早期発見が重要だからこそ。
そして地味にタチが悪いのが最深層の広大さだ。第三十階層、Dランク迷宮でも指折りの深さを誇るこの迷宮は比例するようにフロアも広大なのだ。
とにかくだだっ広い、薄暗闇の広がる陰気な墓地を眷属達が踏破していく。
全員がチリチリとした焦りを抑えながら探索を続けていく。
これまで探索の要となっていた鴉天狗、そして追跡スキルを持つバーゲストは敢えて動かさない。眷属たちの探索の網に何かが引っかかった時、即座に対応できるよう本陣に待機中だ。
『……………………』
沈黙を保ちながら音沙汰もなく時間が過ぎていく。
じりじりとした焦りを抑えながら探索を進めていた一行。一秒ごとに増す焦りと戦う彼らに新たな知らせが入った。
「これは……」
「どうした?」
ピクリ、と反応を示したヒデオに勢い込んで問いかける。もしや朗報か、と期待を込めて。
「正面を起点にニ時の方向。そちらに飛ばしていたピクシーとのリンクが切れた。恐らくやられたな――更に一匹、反応が消えた」
有力情報に一同の空気がざわめく。尻尾を掴んだ、そんな興奮があった。
「二時方向の探索を強める。ハヤテを出す。他の眷属はそのまま索敵を継続。本隊は待機だ」
守善の端的な指示にハヤテと芹華も当意即妙に応じた。
「聞いていましたね、マルコ?」
「これまで通りだろ。念押しは不要だぜ」
「ロビン」
「あいよー。ロビカスさんに万事お任せしなさいなって」
眷属のロストは有力な手がかりだが、確定ではない。確かめる必要があった。
ヒデオが示したマップの地点へ風の如き速度で飛んでいくハヤテを見送り、待つこと数十秒。眷属による探索を進めつつ、進行を停止して音沙汰を待っていた一行のもとに静かに目を開けた守善がはっきりと告げる。
「見つけた。レギオンだ」
ハヤテの視界を通じてはっきりとその姿が見えていた。
苦悶の表情を浮かべた顔が幾つも幾つも浮かび上がっては消えていく、青白く光る巨大な霊魂の集合体。フヨフヨと浮遊する巨大な霊魂から数秒ごとに小さな霊魂――ゴーストが本体から千切れるように生み出されていく。
その周囲には無数のゴーストが青白い光の軌跡を残しながら回遊魚の群れのように宙を泳ぎ回り、幻想的だが怖気を誘う光景を作り出していた。
探索に使用した時間、約十四分。八百秒を余裕でオーバーしている。この時間を使ってレギオンが呼び込んだ眷属の数は果たして――?
「つかまえた!」
「場所はどこだ!? 眷属の規模は!?」
芹華がスラングで快哉を叫び、ヒデオが勢い込んでレギオンの現在地を尋ねる。確かな朗報に一同は色めき立った。
「位置はマップの3-7。眷属は……安心しろ、まだたった数百体だ」
皮肉を込めた台詞に一同が苦笑した。眷属の数が四桁に達していないならまだマシな方。一欠片の洒落もない事実だった。
守善達も階層に踏み込む前に眷属を生み出せるだけ生み出し、攻略に挑んだ。だがそれらの軍勢も索敵で散り散りとなり、手元には心もとない数しかいない。
ハヤテの視界を通じてレギオンの軍勢を俯瞰し、比較すると笑えるくらいに数的不利は明らかだった。
(一度撤退するべきか?)
呼び出した眷属は時間制限があり、数時間もすればこの軍勢は消え去るだろう。
リセマラではないが、より短時間で探し出せるまで試行するのは安全で間違いのない堅い手だ。
一戦も交えずに即時撤退は格好がつかないが、負ける相手に無謀を挑むよりもマシ。守善はどこまでも現実的だった。
だが即時撤退の判断ではなく、迷いに留まっているのはそれでも勝てるという根拠のない感覚があるからだ。数百ものDランクモンスターがひしめく、地獄のような光景を前にして。
「――進みましょう。迷ってはなりません」
数秒の沈黙に沈んだ守善の背中を押したのは芹華だった。
「大丈夫ですわ、勝てます」
真っ直ぐな視線だった。
どこまでも曇りなく、根拠のない確信を込めた目。
芹華はごく稀にこういう目をすることがある。大体勝負事に絡む場面で、しかも勝つか負けるかギリギリの競り合いであることが多い。
そして大胆に、迷いなく踏み込んで勝利をもぎ取ってくる――天性の勝負勘。
「なにせ私は勝利の女神ですもの!」
口元に手を当て、いわゆるお嬢様笑いのポーズで偉そうに高笑いをする様すらいまは頼もしい。
勝敗の綾を鋭く嗅ぎ分ける芹華の嗅覚を守善は信頼していた。
「女神なんて可愛らしいタマか、お前が」
「だが、まったくもって心強いな」
男たちはそんな彼女に苦笑を一つ零す。
自身と芹華、双方の感覚が一致した。少なくとも勝ち目はあるだろう。ならばそこに身を投じるのは悪くない賭けだ。どのみち攻略限界時間が迫っていることもある。守善はすぐに決断した。
「――最速で敵本体にぶつかる。戦力を集中しての一点突破だ。散らした眷属は合流できれば儲けものくらいで考えろ。いまの手持ちの戦力でレギオンの首を取るつもりでいく」
「奴に首はないがな」
「ドやかましいわ。揚げ足を取るな」
茶化すヒデオに物理的な裏拳を入れれば、カラカラと笑って回避される。みなの顔に笑みはあれど不安はない。全員が躊躇なく前進の決断を受け入れていた。
勇気、信頼、あるいはもっと別の何か。ただの無謀ではなく、勝つために苦難待つ道へ進むことを選択できる気概。冒険者に必要な資質。
彼らはそれを確かに持っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
空には霊魂の運河が流れ、地には屍鬼の波濤が蠢く。
彼岸と此岸をひっくり返してぶち撒け、混沌と禁忌で修飾したような光景が遠目にもはっきりと見渡せる。
高速で流れていく景色の中、レギオンとその周囲だけがくっきりと見渡せた。
「見ると聞くとじゃ大違い、だな」
騎獣スキルを持つレブレの背に乗り、移動中の三人の誰かが流石に気圧されたように呟いた。他の二人も自然と頷く。レブレの体躯にぬらりと滲む粘液が少し鬱陶しいが、その背に着用した騎乗鞍の恩恵で直接触れることもなく、騎乗感も安定している。
まだ距離はあるが、レブレの背という一段高い場所からならば遠目からでもレギオンが従える軍勢の威容をはっきりと確認出来ていた。
洒落でも何でもなく三人の視界をレギオンの眷属が埋め尽くそうとしていた。移動時間に更に眷属を増やしたのかいまにも四桁に届きそうな勢いだ。
守善達の陣を構成する眷属達の数も百を優に超えているが、目の前の大軍勢に比べれば流石に心もとないと言わざるを得ない。
「だろう? 流石はDランク迷宮最難関。これでもまだマシな状況なあたり、ボスもとびきりのクソッタレだ」
守善の皮肉を込めた言い草にヒデオが苦笑を返す。
地上と空中を覆い尽くそうとしている眷属の数は、まだこれでも控えめなのだ。その事実を前に全員がヤケクソ気味に笑っていた。必ずこの逆境を乗り越えてやるという負けん気を込めて。
「確かに。クソッタレだな」
「控えめに言ってお排泄物を垂れ流してらっしゃいますわね。ぶちのめして無様に土ペロさせて差し上げます」
あまり上品とは言えない罵り言葉に芹華すら乗っかった。むしろ芹華が一番キツかった。お嬢様らしからぬ下品な物言いに二人の視線が集まるとゴホンと咳払いと共に一言弁明する。
「ローマにありてはローマ人のごとく生きよという言葉もあります。ええ、それだけでしてよ?」
つまり、お前らからの影響だと言外に告げる芹華に対して二人は思い切りゲラゲラと笑った。
「そういうことにしておいてやる」
「芹華嬢も冒険者の流儀に染まってきたようで何よりだ」
「お二人とも? 紳士の礼儀が欠けていましてよ?」
見て見ぬ振りをする情けはないのか。そう非難する芹華だが、すぐに肩をすくめて二人と声を合わせて笑う。
彼女とて自覚はあるのだ。彼らと出会い、肩を並べ、ともに戦い、影響を受けていることを。
ひとしきり三人で笑い合い、すぐにキッと顔を引き締めた。
レギオンと目と鼻の先の距離に、一行は眷属ともども到着したのだ。
「まずは陣形を構築して奴らの戦力を引きつける。それから手薄になった敵本陣へ速攻戦だ。全員、抜かるなよ」
「万事、承知していますわ。レギオンまでの道は私が」
「奴の討伐は俺が」
「詰めはこっちでやる。迷わず突っ込め」
短く、それぞれの役割分担を確認するとよしと頷き合う。
多段式ロケット作戦。非情に身も蓋もない名前の作戦を頼りに彼らは行動を開始した。