第六話 腹が減ってイライラしている時に反省会も何もない
守善が案内したのは古城の敷地内に広がる庭園の一角。城の中でも広々と開けた空間で、守善が外から持ち込んだ物資や魔道具が設置されている。守善たちが、普段の迷宮攻略で『硝子の棺』を使うときに一番使用頻度が高い空間でもあった。
庭園の中心に置かれた机と椅子にマスター三人が腰掛け、芹華が淹れた紅茶と守善が用意した市販のお茶菓子をつまむ。更にその周囲をそれぞれのマスターが従えるカードたちが思い思いにくつろいでいるという状況がかれこれ一時間ほど続いていた。
「ほう、すると冒険者部じゃ露払い役の部隊と本命のボス討伐部隊を分けてCランク迷宮を攻略しているのか」
「正確には冒険者部が露払い、プロチームがボス討伐という分担だな。力量に差がある上に最深部到達まで相当日数がかかる。全員でボスを討伐というのは難しい。
だからこそある程度力量に応じて担当階層を割り振る。そして担当階層を超えて不要になれば部隊単位で離脱する。人数が多いうちだから取れる手ではあるな」
「あら、私がこの前お姉様に聞いた話では――」
三人は敢えて先ほどの迷宮攻略について言及せずに軽い雑談を交わし、リラックスした空気を作ることに努めていた。とはいえ共通点が冒険者であることくらいしかない三人なので話題もそちらに偏っていたが。
『まずは腹ごしらえが先だ。腹が減ってイライラしているときに、反省会も何もない』
唯一冒険者部の部員であり、集団での付き合い方を心得ているヒデオがそう提言したからであり、二人もその意見になるほどと納得したからだ。
先ほどまでの醜態は自己嫌悪をこじらせるに十分な酷い有様だった。その苛立ちをつい他の二人にまで向けるかもしれない。彼ら自身が一番それを危惧していた。
(美味いな、この紅茶……)
会話の合間に芹華が手ずから淹れた柔らかい味わいの紅茶を味わう。口内でゆっくりと転がして楽しみながらホウ、と知らず息を吐く守善。いわゆるゴールデンルールに忠実に淹れられた紅茶はこれまでの人生で経験したことのない味わいだった。
適当に買い込んでこの異空間に貯蓄してある安物のティーバックとは比べるのが失礼に思える味だ。
「美味いな」
思うだけではなく自然と口から素直な感想がこぼれていたらしい。それを聞いた芹華がフフンと得意そうに胸を張った。
「あら、見かけによらずキチンと味がお分かりになりますのね。評価して差し上げます。これでも淑女として茶葉と淹れ方にはこだわりがありますのよ?」
自慢げな口調で自画自賛に繋げているが、感想そのものは素直に褒め言葉と受け取ったのだろう。守善へ向ける視線は初めて出逢ったときよりもずっと柔らかくなっていた。
恐らくは守善と同じくついついひねくれた物言いをしてしまうタイプなのだろう。要するにツンデレと言われる類の人種である。
「わざわざ迷宮攻略中にまで貫くことか……と思わんこともないが、これが飲めるなら何でもいいさ。これからもチームアップの時は是非ご馳走願いたいね」
「うむ。俺も見事な腕前だと思うぞ、芹華嬢。守善や響先輩が羨ましい」
「いいでしょう! そこまで求められては仕方がありません。私も存分に腕を奮って差し上げますわ!」
若干のリップサービスも入っているが言葉そのものに嘘はない。それくらいに美味かったし、真情が籠もっていることが芹華にも分かったのか、一層機嫌よく笑う。
胸を張るを通り越してそっくり返る域に達しそうな芹華に若干の呆れを込めた視線を向ける二人。初対面の険悪な雰囲気はどこへやら、三人の間で和やかな空気が流れていた。
「おーい、とりあえず焼けたもん持ってきたぞ」
「持ってきました」
甲冑を脱ぎ、エプロンを装備したリオンと同じくエプロン姿のレビィ。調理スキルを持つリオンが主体、レビィが手伝いという形で軽食の用意を任せていたのだ。
かすかに甘く香ばしい匂いを纏って現れた彼女たちは、漫画でしかお目にかかれないような、山と積み重ねたホットケーキの塊を持って現れた。それもたっぷりのバターと蜂蜜も一緒に。
自然と食欲の湧くいい匂いに釣られ、途端に三人の視線がホットケーキに向く。
手早く簡単に、暖かく腹も膨れる軽食。
そのコンセプトをもとにこの異空間に備蓄された食材から調理担当のリオンが作り上げた特製のホットケーキだ。
「おお、美味そうだな! 流石はリオンだ!」
「食べもしないうちに身内自慢すんなバカ。それじゃ、最後の仕上げな」
甘く香ばしい匂いをこれでもかと振りまく熱々のホットケーキの山。そこにリオンがバターと蜂蜜をホットケーキから滴り落ちるほどたっぷりとかけていく。
とろけたバターと蜂蜜がホットケーキに生地に染み込んでいくさまを見ればもうたまらない。馥郁たる芳香が腹の虫を刺激し、三人の口の中で唾が湧く。
子供の頃の夢を叶えたような光景だ。これを前にお預けを食らうのは軽く拷問だろう。
「こ、これは禁断の味。後で体重計を見て後悔する奴……! それでも、食べないという選択肢はありえないですわ……!」
なにやら芹華が深く葛藤している様子だが無理もない。
間違いなく美味い。心の奥底に秘めた食欲を擽るお菓子だが、美容と健康に喧嘩を売っていそうなレベルのカロリー爆弾だ。体重と体型は乙女にとって決して譲れぬ防衛線なのだ。尤も欲望に負け、防衛線が破れることは多々あるが。
「……!」
守善もまた生唾を飲んでホットケーキを見つめていた。
市販の菓子を抑え気味につまんでいたが、空腹を訴えていたのはこの場の全員が同じだ。この原始的な欲求を擽るホットケーキの魔力の前には守銭奴だろうがなんだろうが抗えない。
「残さず食えよ。残したらぶっ飛ばす」
乱暴な口調ながら丁寧な手つきでホットケーキをそれぞれに取り分けていくリオン。その側でレビィがクルクルとコマネズミのように軽やかに動き回り、皿を出したり使い終わった食器を下げたりと忙しく働いていた。
やがて各人への配膳が終わると「よし」とばかりに頷いたリオンとレビィが下がる。彼女たちはこの後も希望するモンスター達に軽食を作って振る舞う予定だ。
「それでは」
「うむ」
「ああ」
もう辛抱たまらんとばかりに三人の目が切り分けられたホットケーキに釘付けになる。
『いただきます』
自然と三人の手が合わさり、声もまた合わさった。何気に三人とも礼儀作法にはきっちりと躾けられて育ったのだ。
三人は用意されたフォークとナイフを使ってホットケーキを切り分け、急いで口に運ぶ。
『~~~~~~~~ッ』
最早言葉もない。
熱々でフワフワの生地を噛みしめると中からジュワリ、と甘い甘い蜜が染み出してくる。バターと蜂蜜が絡まったとろけるような甘さが舌をガツンと殴りつけ、脳髄に直接甘美な刺激を届けてくる。
空腹に熱々のホットケーキはそれだけはご馳走だ。そこに舌にガツンと来るくらい甘ったるい蜂蜜と健康に悪そうなくらいたっぷりと塗られたバターが組み合わされれば最早無敵だ。
食べすぎて舌に甘みがこびりついてしまった時は芹華が淹れた絶品の紅茶を味わい、フラットな状態に戻す。そしてまた貪るようにホットケーキを口に放り込む。
しばらくの間、三人は一心不乱に手と口を動かす作業に没頭していた。
◇◆◇◆◇◆◇
「食ったな」
「ああ、食った。当分甘いものはいいな」
「至福の時間でしたわ。悪魔に魂を売った甲斐がありました」
数十分後、餓えた鬼のような勢いで山と積まれたホットケーキを平らげ尽くした三人は満足した表情で椅子にだらしなく身体を預けていた。弛緩しきった表情は心底から食欲を満足させたのが分かる気配が漂っている。
そのまま満腹感とともに眠り込んでしまうのではないかと思われるほどに緩みきった気配だったが、
「さて、そろそろ”反省会”を始めるか」
守善の一言で三人の気配が一瞬で切り替わる。静から動へ、休息から行動へと。
食欲は満たした。ならば次はこの身を焼く怒りの炎を満足させるべく動く頃合いである。
甘いものをたっぷりと食べて、腹は満ちた。ジリジリと焦がれるような苛立ちもインターバルを挟むことで一旦は収まった。今ならば落ち着いて会話を交わせるだろう。
そう、
「復讐戦だ。使える手札を全部使って叩き潰すぞ。やるんなら徹底的に、だ」
瞳に怒りの炎を揺らす守善が座右の銘とともに音頭を取れば、その気配に釣られたように二人の雰囲気も一変する。ここで一度休憩を挟んだのだからもう少しゆっくりしようなどと言い出さない、考えもしない。
「――ええ、よくってよ」
「――無論、言われるまでもない」
ヒデオと芹華の瞳には守善と同じ、怒りの炎が宿っている。
三人はしっかりと怒りは宥めた。故に腹の底にわだかまる熱の塊の扱いを誤ることはない。本命以外に当たり散らすような無駄を許すことはない。
腹が満ちれば力が湧く。力が湧けば合わせて怒りも湧いてくるというものだ。この三人、負けず嫌いなだけでなく色々と動物的なタチなのだ。
結局のところ彼らはいくら食欲や他の欲求を満足させようが、本当の意味で自身を焼く怒りの炎を満足させねば我慢がならない我が侭な人間で、似た者同士なのだ。
「まずはさっきまでの反省点の列挙。その上で隠してた手札も全部晒して戦略の練り直しだ。……正直見せたくない手札もあるが、雑魚どもにリベンジするためなら俺は魂でも売るぞ」
ましてや一時の羞恥心など如何程の値がつくものか、などと意気込むものの。
この時守善の脳裏に浮かんでいたのは頼りになるし信頼もしているが、色々と規格外かつビジュアルとキャラクターが大変アレな野球狂いの打者熊だ。
(……やっぱナシ、なんていまさら言えんよな)
啖呵を切っておいてなんだが既にちょっと後悔している守善である。その後悔を理論武装でなんとか誤魔化そうとする守善は、この時気付かなかった。
「……そう、だな。プライドにこだわっている場合ではあるまい」
「……ええ、ええ。そう、きっとやむを得ないのでしょう」
同じようにソッと他の二人から視線を逸して似たような後悔と向き合っている同輩達に。そう、彼らはどこまでも似た者同士だったのだ。