第五話 猥談をしないか
時にペースを緩め、時にペースを上げながらも脇目を振らず逃走を続けること十数分。一行は無事このフロアに存在する安全地帯にまでたどり着いていた。
「安全地帯。ひとまずは気を抜けそうだな」
「やっと、休めますのね……フゥ」
全員、特にマスター達の額には汗が滝のように滴り落ち、疲労の色が濃い。
攻略階層の安全地帯まで撤退に成功したことで張り詰めた緊張が切れたからか、余計に疲労を強く感じていた。
誰が言うでもなくまずは休憩を取るかという空気になりかけたたその時。
「一つ、提案があるのだが」
と、唐突にヒデオが空気を読まずに口を開いた。その場の全員の視線がヒデオに集まる中、注目を集めた本人は堂々とした立ち姿で声を張った。
「――猥談をしないか」
(……猥談?)
(わいだん……Y? ワイ? ……え、猥談???)
とてつもなく真面目な声とキリッとした顔つきでヒデオがそんなことを言い出した。場の空気を完全に無視した発言と真面目に引き締めた顔付きの温度差に思わず宇宙に放り出された猫のような顔でヒデオを見る二人。
「失礼、舌を噛んだらしい」
(舌を噛んだ?)
(舌を噛んだ程度でなぜ猥談という言葉が……?)
やはり真顔ですっとぼけるヒデオに胸の内だけでツッコミを入れる二人。
もしや自分の聞き間違いでは? と解決しない疑問を胸の内でこねくり回しながらも話の続きを待つ二人。
ヒデオは変わらずキリリと引き締まった顔つきである提案をした。
「つまり、親睦を深めるために雑談でもどうかという話だ。反省会は必須だが、疲れて腹が空いた状態ではまとまるものもまとまらん。
反省会の前に休憩も兼ねて軽い雑談の場を設けたい。大したものは出せないが軽食も用意しよう。こう見えてリオンは料理スキルの持ち主でな、腕前は中々だぞ」
「あん? ヒデオ、オレがどうした?」
そうヒデオがリオンを示すと呼んだかとばかりにこちらにやってくる。少年のようなスラリとした体躯に乱暴な口調。獅子の鬣のような豊かな髪は乱雑に纏められ、鋭い目つきを持つ。一見やんちゃな不良少年にしか見えないが、ヒデオ曰く料理の腕はプロ級だと言う。
『……』
意表を突かれた発言から始まった割に真面目な話だ。思わず芹華と視線を合わせる守善。
そして改めて提案について検討し、お互いに視線をチラリと向ける。そして全員の目に同じ感情が宿っているのを見てすぐに頷いた。
同じ感情――つまり、負けん気だ。
この三人、揃いも揃って、骨の髄から負けず嫌いなのだ。
方策さえ立てば今からでも再びゾンビたちの群れへリベンジを挑むくらいには自分自身に腹を立てている。それをしないのは何の対策もないまま再戦しても先程の二の舞になると理解しているからこそ。
そして一人のマスターにつきカードは二枚までという召喚制限がある以上三人は協力せざるを得ない。
今日会ったばかりの初対面。加えて互いに相性がいいとは言い難い。だがEランク階層での敗北という現実、そして共通の目的意識と共通の敵を彼らは得た。協力せざるを得ない環境に落とされたことで、彼らはより積極的にその意思を示そうとしていた。
「いいでしょう。そういうことでしたら私は歓談のためのお茶を用意いたしましょう。私が手ずから入れる一級品です。迷宮どころか、地上でだって容易く飲めるとは思わないでくださいね」
自慢げに、高慢に。しかしはっきりと和解と協力の意思を示す芹華。
その流れに守善も素直に乗った。
「なら、俺は場所と食材……それと時間を提供しよう」
『時間?』
引っかかる言い方にオウム返しに問い返す二人。
それを無視して面白そうに後輩たちが交わす会話を見守っている上級生二人に声をかける。流石は三ツ星冒険者、先程の包囲網・撤退戦にも余裕の表情で付いて来ていた。
「お二方は確か今日は、基本的には見ているだけというお話でしたが――」
「そうだな」
「うん」
「つまり俺たちがこの安全地帯にいる間は目を離さないためにここにいると期待しても?」
その妙な確認に心当たりがある響が軽く苦笑した。
「君たちのことはしっかり見ておこう。だから遠慮なく友好を深めてきてくれたまえ」
「それではお言葉に甘えて。一時間、あるいはもう少しかかるかもしれませんが」
「構わないよ、待っている」
白雪姫からせしめた戦利品を使うことを察し、守善の言葉に頷く。
それから少しだけ心配そうな顔になると。
「大丈夫そうかい? 君達三人は……」
「まずは、自分達でやってみます。手ほどき頂くのはその後で」
「それじゃ、そうしよう」
訝しげな顔をしているカイシュウを他所に守善は二人の元へ戻っていく。
トラブルを避けるためにできればチーム外の人間には明かしたくはなかった。だがこの屈辱を拭い去るためならばやむを得ない。
守善はイレギュラーエンカウント、白雪姫からドロップしたマジックアイテム『硝子の棺』をカードから呼び出す。
「これは、マジックアイテムですか? 透明な……棺? 何とも不吉な気配ですわね」
「……ギルドの資料で見たことがある。確か、イレギュラーエンカウントのどれかがドロップするアイテムでは?」
「イレギュラーエンカウント!? 噂には聞いていましたが……」
イレギュラーエンカウントの恐ろしさと彼らが落とすアイテムの有用性は有名だ。とはいえ話では聞いていても実際に目にするのは極めて稀。
驚きに目をみはる二人に向けて守善は自分が所有する異空間へ招待を告げた。
「Welcome to the Wonderland。落とし主はとんでもない根性曲がりだったが物件の趣味は悪くない。ミステリーツアーにご招待だ」
言うが早いか、安全地帯に設置した棺のすぐ上部に黒い球体が出現する。迷宮の出入り口で見かけるのとそっくりな、異空間へ転移するためのゲートだ。
「内部の異空間に跳ぶ。俺の後に続け」
そう言って、一足早く黒い球体に触れた守善は異空間へと飛んだ。
あとに残された二人は顔を見合わせたが、すぐに決心すると同じように黒い球体に触れ守善の後を追った。
◇◆◇◆◇◆◇
『硝子の棺』の内部にある異空間。
そのイメージを一言でまとめれば、鬱蒼とした森の中に堂々とそびえ立つ立派な古城である。
城をグルリと覆う城壁を始めとし、三桁の人数を収容できそうな兵舎、空っぽの武器庫、壮麗だがそれだけに寂しげな大広間などなど。
夢の国に建てられたような幾つもの尖塔が集合し一個の巨大な城を形作っているタイプの巨大な建築物だ。かなり広大で、軽く数百人は収容できるだろう。異空間全体を開発すれば万に近い人数が生活できるかもしれない。
特に指定がなければ外部から『硝子の棺』内部に転移する際は古城の入口、城門がジャンプ地点だ。古城の全貌は見通せないが、それでもその規模や壮麗な外観はひと目で分かる。
「見事な城だな。冒険者部の一員としては喉から手が出るほど欲しい代物だ」
冒険者部数十人程度余裕で収容できるだろう城を見上げながら、ヒデオが呟く。素直に関心した様子だった。
「ところが見かけほど便利な代物じゃない」
「どういうことだ?」
「迷宮のランクに応じた人数制限だ。このDランク迷宮で言えば六人。この六人が召喚できるモンスターも六体まで。広さの割には持て余しがちな物件なのさ。しかも一度入れば二十四時間経過するまで出られない。そして二十四時間後のタイミングを流せば次に出られるのは四十八時間後だ」
何でもないことのように言われる重要情報に二人が顔をしかめる。
「ちょっと、それはどういうことです? 休憩のために二十四時間も足止めされるわけには――」
食ってかかった芹華を押しとどめ、説明を続ける。
「安心しろ、二十四時間と言っても、外の世界とこの異空間じゃ時間の流れが違う。ここで一日を過ごしても外じゃ一時間しか経過していないってわけだ」
さらりと明かされたマジックアイテムの凄まじい効果に言葉を失う二人。いわば効果がささやかな『精神と時の部屋』だ。それがどれだけ破格の効果を持つかは驚愕を浮かべた二人の表情から察することができるだろう。
「ついでに言えばこの異空間そのものが強力な回復効果を持つ。どうだ、さっきの戦闘で起こった疲れはもう消えてるんじゃないか」
「そう言われれば」
「確かに、さっきよりずっと身体が軽いような……」
守善の言葉を確かめるようにその場でステップを踏んだり、軽く体を伸ばす二人。
絶え間ない全力戦闘、そして撤退時の全力疾走で鉛のように全身に押しかかっていた疲れが綺麗に拭い去られていた。疲労回復用のポーションを一気飲みしたときのような爽快感すらある。異空間内部に転移してから僅か一分程度だが、気力体力ともに充実しているのを感じる。
「……ついでの一言で告げていい効果じゃないな」
「悔しいですが、同感ですわ。これの有無で迷宮攻略の効率が天地の差ですわよ」
イレギュラーエンカウントのアイテム。二人も噂には聞いていたが、その効果を実感すると改めてモノが違うとしか言いようがない。
「大したものだ。さぞや強敵だったのだろう? 白雪姫は」
「白雪姫……硝子の棺。ああ、そういう……」
破格の報酬を受けるに相応しい、凶悪な試練だったのだろう。その苦難を乗り越えたであろう守善に向けて二人は改めて一目置いた視線を向けた。
「……自慢できるような話じゃない。武勇伝にしちゃ顛末がみっともなさすぎるからな」
その視線に背中が痒くなり、フイと顔を背ける。
あの死線をくぐり抜けたのは、間違っても守善一人の力ではない。それどころか無様を晒した側だ。だというのに、自分一人が称賛を受けるというのはどうにも座りが悪かった。
「だからこれは俺達の成果だ。話を聞きたきゃ俺以外を当たれ」
(あら……)
(む……)
そう言って、ほんの一瞬だけ優しげな視線をハヤテ達に送る守善。
ここまで無愛想、仏頂面を貫いてきた守善がさらけ出した隙のようなもの。人間味と呼ばれる感情の綾に気づいた二人が意外なものを見たように目をみはる。
たとえ狷介でひねくれた守銭奴であっても。
あるいはプライドが高く、少々考えなしのお嬢様だったとしても。
または場の空気を気にも留めず我が道をいく頑固者だったとしても。
彼ら三人はカードのことを大事に思っているという共通点があった。
人は他者の中に自分との共通点を見つければ自然と親しみを抱くものだ。守善へ共感と親しみを覚えた二人の中で、これまでマイナス寄りだった守善に向ける感情が自然と軟化する。ほんのわずかな微笑が宿り、空気が和んだ。
その空気に、ますますこそばゆさを覚えた守善は敢えてぶっきらぼうに背を向け、一行を先導し始める。
「上の方に眺めが良い空中庭園があってな。その近くの部屋に外から持ち込んだ物資や魔道具を保管してある。簡単な調理くらいなら問題なく済ませられるはずだ。庭園には机と椅子も持ち込んであるから、そこへ向かうぞ」
そう言って背を向ける守善に顔を見合わせ、苦笑した二人も続く。更に彼らが呼び出したモンスター達もその背中に続いた。
【Tips】硝子の棺
イレギュラーエンカウント、白雪姫から稀にドロップするマジックアイテム。
内部に巨大な古城を含む異空間を内包し、持ち主が許可した人間・モンスターを招き入れることが出来る(異空間スキル持ちモンスターに類似)。ただし人数制限及び召喚制限が存在する。
また、死から生へと転じた白雪姫の如く、異空間内部では常時強力な回復効果が発動する。
加えて異空間内部では時間がゆっくりと流れており、外界の一時間が内部の二十四時間。ただし内部時間で二十四時間ごとのタイミングでしか外部へ出られない。内部に人がいる状況ではアイテムを動かせないなどの制限がある。
内部構造は鬱蒼とした森に囲まれた居城がデフォルトだが、所有者と管理モンスターの意志に応じてかなり自由に改変できる。
最大限リソースを注ぎ込み、異空間を開発した場合最大で約一万人の人口を養うことが出来るが、アンゴルモアでもなければ人数制限が解除されず、無用の長物である。
仕様詳細(一部非公開情報及び人類には知られていない裏ルールを含む)
・迷宮のランクに応じた人数制限及び召喚制限がある。ただし人数制限はアンゴルモア時には解除されるようだ。第二次アンゴルモアで使用され、多くの民衆の命を救った実績あり。
・内部時間で二十四時間ごとでなければ出入り出来ない。
・内部に人間が滞在している場合、棺を動かすことができない。
・破壊された場合、内部のマスターとモンスターは強制的に排出される。アイテムは時間経過で修復する。安全地帯での使用を推奨。
・通常の異空間スキル持ちモンスターと異なり、内部に収納したアイテムは迷宮から出ても強制排出されない。ただし地上では『硝子の棺』を使用できないので、異空間からアイテムを回収できない。
・冒険者でなければ内部の異空間に入ることが出来ない。この場合植物状態の堂島藍はマスターになれず、結果として硝子の棺に入ることが出来ない(マスターになるためにはカードを使用する意志が必要なため)。
・内部に人員が残留したまま所有者が外に出ることも可能だが、所有者が死亡した場合は全てアイテムごと消失する。
・【以下、詳細不明】