第二十ニ話 お金じゃ買えない価値がある
「お前はどう思う? 鴉よ」
あとはできる奴に任せよう、とバーサーカーは木の葉天狗に向け、唐突にキラーパスを放った。
話の主導権を取られ、所在なさげに浮遊していたところに突然話を振られた木の葉天狗は当然焦る。
「ちょ……っ! この空気でいきなり私に振るんですか!?」
「おうよ、振る。お前が適任だ、違うか?」
「――――!?」
ジィ……ッと意味ありげな視線を木の葉天狗に向け、アイコンタクトするバーサーカー。
天の邪鬼で意地っ張りなひねくれ者。守善と木の葉天狗、似た者同士である二人はだからこそ反発し、だからこそ誰よりも息が合った。
なにを言うかよりも誰が言うかが要訣だとするのなら。あるいは守善と最も心を通わせた木の葉天狗ならばその心を動かす誰かになれるかもしれない。そんな期待が籠もった視線だった。
(また空気を読まずに無茶振りを……。いえ、むしろ空気を読んだからこそからかもしれませんが)
いいだろう、と密かに心を決める木の葉天狗。
この無闇にプライドばかり高く意地っ張りなマスターの心を解きほぐせるか、正直全く自信はない。
それでも……できるだけの言葉を届けようと木の葉天狗は思う。こんなところで死んでほしくないと心の底から思う程度には、彼女は彼のことを気に入っていたから。
「ハアアァ……」
張り詰めた空気を緩めるために、木の葉天狗は敢えて呆れたように大きくため息を一つ吐き、バーサーカーをジト目で見やる。
直前までの張りつめ、頑なになった守善の意識を少しでも柔らかくほぐすために。
「マスター。空気が読めない熊さんは置いといて、真面目な話をしましょう」
「……ああ」
その甲斐はあったか、ひとまず守善も彼女の話に耳を傾けてくれているようだ。
「いいですか、状況は最悪です。数で負けて質で負けて連携もボロボロ。勝ち目は薄いです。生き残る目も薄いです。
私は所詮Eランクのモンスターです。あいつらに勝つための力もこの状況から抜け出す知恵もありません」
「……絶望的だな」
「いっそ笑えてきますね。はっきり言いますが、私じゃどうにもできません」
自身の無力を赤裸々に晒しながら、守善を見つめる木の葉天狗の目はどこまでも真摯だった。
「でも仕事はこなします」
真っ直ぐに視線を合わせ、嘘偽り無く決意を込めて。
「あなたに任された仕事を全力でやり遂げてみせます。それだけは私の翼に懸けて誓います。
だから私を信じてください。私の能力を信じてください。道具としての私を信じてください」
「鴉、俺は……」
木の葉天狗がただ一心に紡いだ言葉が守善の心を揺らした。なにかを答えようとして、しかし言葉にならずに語尾がしぼむ。
(まずは一歩、てぇところか)
だが最も困難な一歩を踏み出せたと見て取ったバーサーカーは、さらなる楔を打ち込みにかかる。
「ホム助。お前からは何かないのか。この際だ。マスターへの不満でも何でもぶちまけちまえよ」
「? 私にマスターの不満はありません」
一人我関せずと無表情を貫いていたホムンクルス。黙々と警戒を続けながら、静かに話に耳を傾けていた両性の少年/少女はその無表情に疑問と困惑を示す「?」マークを浮かべた。
「あん? 本当になにもないのか?」
リンクで鞭を振るうように従わせられたのだ。従順なホムンクルスと言えど不満がないことはないとバーサーカーは考えていたのだが、無垢な命はその場の全員の予想を超えて純粋だった。
「はい、いいえ。私がマスターに抱く不満はありません。
マスターは私を適切に運用し、その性能を十全には引き出すために多くのコストを消費しました。
その過程で私は戦術思考及び各種スキルの習得、希望する武装の供与など多くの恩恵を得、活用し、マスターの道具として存在意義を達成しています」
道具として使われ、成果を上げてそれを認められることこそが自身の喜びだと無垢なる存在は謳う。
「私はマスターの道具として扱われることを望みます。マスターのために働くことを誓います。マスターの道具として認められることに誇りを感じます」
綺麗事を、自己犠牲という概念を守善は信じない。
「私がマスターに望むことはただ一つです」
誰もがきっと自分本意な存在に違いないと全てを疑っているから。
「どうか、最後まで貴方の側に。私はあなたの道具だから」
それでも……この無垢な命の言葉を疑うことは出来なかった。
「ホムン、クルス」
どこまでも無垢で純粋な願いに守善は気圧された。
この思いはあまりに重すぎる。守善がコレまで背負ったことのない重み……他者から向けられる信頼。それも己の命運全てを預けてくるような、特大のソレだ。
どうあれ、最も守善と付き合いの深い三枚が各々の思いを曝け出した。揺れる守善の心に最後のひと押しを加えるべく、バーサーカーは口を開く。
「旦那、俺たちはハラを見せたぞ。あんたは、どうだ?」
その問いかけに、三者三様の視線が守善に向けられる。答えを待つ三枚を前に守善は息を深く吐き、深く吸う。ハラを決め、心を決めた。
(いいだろう。乗ろう、お前の言葉に)
堂島守善は守銭奴だ。おまけに疑り深くて、排他的で、心が狭い。誰かを信じるなんて守善がいちばん苦手な分野だ。
だけど命が懸かった崖っぷちで紡がれた言葉に心を揺らされ、いまこの時はカード達を信じたいと、素直にそう思えた。
「鴉、熊、モヤシ」
いざハラを決めてみればあれだけ迷っていた自分が馬鹿らしく見える。難しいことなど何一つない。これまでと付き合い方を変える必要もない。関係性は変わらない。
彼らはマスターとカード、主人と道具だ。
だがそれだけでは最早足りない。だから足りない一歩を守善の方から踏み出そう。
「ええ」
「おう」
「はい、主」
最も馴染み深い三枚が応と頷き、静かに続く言葉を待つ。
「名を与える。お前らは今から俺の仕事道具だ。俺が死ぬまで付き合ってもらう。どれくらい付き合いが長くなるかは分からんが、な」
相変わらずひねくれた物言いに木の葉天狗とバーサーカーが苦笑した。
名付け。
それはカードをただの道具以上の存在として捉えてしまったマスターへの救済措置だ。
カードには固有の名前を付けることでロストしてもそのカードの魂を宿したソウルカードが残され、同種族・同性の未使用カードを消費することで復活出来るシステム。
「いいのかよ、俺たちは――」
「お前らの所有権は既に先輩から購入済みだ。言ってなかったがな。名付けにあたってお前らの意志以外なにも問題はない」
「ンだよ。あんたも分かってたんじゃねーか」
ぶっきらぼうに付け加えられた言葉の意味を悟り、バーサーカーは機嫌を良くした。
守銭奴がわざわざ扱いにくいカードを身銭を切って買い取った。その意味が分からない程彼らは鈍感ではない。
それに加えて名付けだ。
名付けの代償として名付けられたカードは初期化不可=つまり他人へ譲渡出来なくなり、資産としての価値を失う。
それはつまるところ堂島守善にとって――――、
「お金じゃ買えない価値がある。そう認めたと受け取っても?」
クスクスとからかうように、それ以上に嬉しそうに笑う木の葉天狗。名付けとは彼女が言うように守善自身が彼女たちを唯一無二、代えのきかない存在であると認めた証明だ。最早彼らは道具であっても、ただの道具ではない。
「……やかましい。戯言はそこまでだ。黙って与える名前を聞いてろ」
痛いところを突かれた守善が憮然とした顔をするとみな一斉に破顔する。少しも嫌味のない、カラリと晴れた青空のような笑い方だった。
「ハイ、ハイ。……と、その前にコレを渡しておきます」
「これは、マジックカードか?」
お人形サイズの木の葉天狗が肩にかけた小さく粗末な雑嚢からぬっと取り出した明らかにサイズが合わないカードを抜き取り、守善に手渡す。ひょっとするとあの雑嚢の中には異空間でも広がっているのかも知れない。
手渡されたのは魔法が封じられた使い切りのマジックカードだ。しかし守善にはこんなものを木の葉天狗に渡した覚えはなかった。
「響ちゃんからこういうこともあろうかと渡された、リンク解禁試験の証明兼逆転の切り札って奴です。一応言っておきますけど、別に意地悪で隠してた訳じゃないですからね? 渡す前に私をカードに戻したマスターが悪いです。全面的に」
不貞腐れたようにそっぽを向く木の葉天狗にそれ以上なにも言うことができず、黙って差し出されたカードを受け取る守善。
リンクの解禁を、その影響をもろに受けるカード自身に判断させる。守善からは逆さに振っても出てこない合否基準だが、聞かされてみるとなるほど合理的だ。
そういえば、と思い出す。二ツ星昇格試験に向けての特訓で、響はしばしば木の葉天狗と二人きりで話し合っていた。その時に渡されたマジックカードなのだろう。
「マスターとリンク……心を繋げてもいいと思えた時に証拠として渡すよう言いつけられていました。まあ、少しフライングもあったみたいですけど……いまのマスターなら、許してあげてもいいです。きっと響ちゃんも目を瞑ってくれるでしょう。
あ、でも狛犬さん達はしっかりフォローしてくださいよ。あれはマスターが悪いんですから」
「分かった。あとで奴らにも詫びを入れておく」
そう約束を交わしながらカードをひっくり返し、封じられた魔法を確認すると守善の頬に笑みが浮かぶ。勝利への糸口を掴んだ笑みだった。
「……心の底から、尊敬と感謝を」
地獄で仏にあった気分だった。生きて戻れたのなら響を崇める宗教を立ち上げてもいい。それくらい本気だった。
(そう言えば、あの時もああ言っていたな)
初めて迷宮に潜った時。響は守善へ向けてカードをただの道具と見做すだけではいずれ迷宮攻略に行き詰まると予言していた。その時にもう一度、カードとの向き合い方について考えろと。
なるほど、最初から答えは示されていたのだと得心する。
堂島守善にとって白峰響は目指し、追い越すべき目標だ。そこは変わらない。だがいまなら自分のはるか先をいく先達として、本当の意味で頭を下げることができる気がした。
(切り札は二枚。それと伏せ札が二枚……一枚はバレてるかもな。おまけに小細工のタネが幾らかに……あとは、こいつらか。十分だな)
守善が命を懸けるのに十分すぎる手札だ。
モンスター達のコンディションも休息とポーションの恩恵で全員が死にかけから傷だらけだがあと一戦こなせる程度には復活した。そろそろ逆襲の狼煙を上げる頃合いだろう。
「鴉」
「なんです?」
響に託されたマジックカードとは別の、もう一枚の切り札を懐から取り出すと木の葉天狗に呼びかける。
「交換だ。やる」
不意に取り出したカードを木の葉天狗へ投げ渡す。人形サイズの彼女からすれば両手で抱えるほどに大きなカードをなんとかキャッチ。
「ちょ、なんですかいきなり……ってコレは」
「切り札その二……ってところか」
キャッチしたカードを確認すると木の葉天狗は驚きに目を見開く。確かにこのカードと木の葉天狗自身の技能を十全に活用すれば猟師の厄介な隠形と狙撃を防げるかも知れない。まさに切り札と呼ぶに相応しいカードだが、突然用意できる代物ではなかった。
だが木の葉天狗にとってそんなことよりも重要な事実がある。
「なんだ。あの契約、覚えていたんですね」
「フン……さっさと使え。お前用だ」
(全く、もう。素直じゃないマスターですね)
木の葉天狗自身が忘れかけていた、口約束のような契約を守善は守った。
それが彼女にはひどく嬉しい。鼻を鳴らしてそっぽを向く守善を笑って許そうと思えるくらいには。
「勝ちに行くぞ」
改めてマスターがくだす静かな決意を込めた号令に、カード達が応と返事を返す。
敵は強敵中の強敵、イレギュラーエンカウント。あの不死身のタネもまだ解けてはいない。
だがそれでも、不思議と負ける気はしなかった。
なおこのあと狛犬・獅子は画面外で守善が頭を下げて、一応の和解にこぎ着けました。ただし名付けを了承するほどの好感度ではないです。
【Tips】二重のカード化
本作独自設定。
マジックカードなど迷宮産アイテムはモンスターカードも使用可能。その応用としてあらかじめマジックカード等をモンスターに渡し、更にモンスターカードごとまとめてカード化可能な迷宮の仕様。本作では響が『特訓』中に木の葉天狗へマジックカードを渡し、二十二話まで保管していたことが該当。
カードを使用するたびにいちいちマスターからモンスターに渡すのではなく、あらかじめモンスターにカードを持たせておくことが可能となり、利便性が高い。
ただし渡したカードはモンスターを召喚するまで取り出すことは出来ないというリスクも存在する。