第十九話 ”死”の気配――Irregular encounter――①
狛犬と獅子の力試しも済み、迷宮攻略を再開した一行。
その後はロボとハイコボルト達以上に厄介なコンボに遭遇することもなく、いよいよ最下層の直前まで攻略を進めた。
Fランク迷宮とは勝手の異なる障害の数々に大分苦戦したが、それも終わりが見えてきた残るは迷宮からバックアップを受けた迷宮主との戦いを残すのみだ。とはいえEランク迷宮のボスなど、精々が眷属召喚持ちか普通より少し強いDランクモンスターに過ぎない。
数の暴力は大体の場合有効であり、同格のDランクモンスターを何枚も連れた守善の敵ではない。
Eランク迷宮攻略の最大の敵はボス戦までの道中だったと言える――――普通なら。
「全員、これでシメだ。まず負けることはない戦力差だが、油断だけはするな」
モンスター達が短く応と答えると、一行は最下層へ続く階段に足を踏み入れた。その瞬間に感じる違和感。気のせいかと構わず階段を一歩ずつ下っていくごとに奇妙な肌寒さが増していく。
おかしな感覚だ。異界である迷宮から、さらに異質な場所へ足を踏み入れたかのような……。
「マスター、これは……」
「……分からん。とにかく進むぞ」
モンスター達と交わす会話にも疑問と不可解さがある。
どちらにせよ引き返す選択肢はない。嫌な予感だけでいちいち撤退していては迷宮攻略など出来はしないのだから。
『――――』
そしてとうとう最下層に足を踏み入れた第一歩、ピリピリと緊張が走った。
その瞬間一同は理解した、文字通りの意味で世界が違うと。
石壁づくりの通路が延々と続く、まさに迷宮という風情だったこれまでの迷宮とは全く違う雰囲気だ。
「森、か……?」
「嫌に陰気だな。うんざりする空気だぜ」
薄暗い灰色の雲が立ち込める深い深い森に景色が変わっている。
肌を刺すような冷気、そしてどこからかうっすらと漂ってくるかすかな甘い匂いが印象的だった。
この匂いはリンゴだろうか。だが甘い匂いとは裏腹に嗅いでいると背筋がゾクゾクする不吉さが香ってくるような……。
「……どういうことだ、これは」
率直に困惑を示す。こんなケースは守善でも聞いたことがない。基本的に最下層でもその風景はこれまでの迷宮の延長線上のはずだ。
例えば水棲系モンスターがボスとなった場合、フロアが敵に有利な水浸しの環境になることはある。だが川や湖といった環境に変化することまではない。そう考えると目の前の光景は明らかなイレギュラーだ。
「やられたな、取り込まれたか」
「どういうことだ、熊」
訳知り顔でつぶやくバーサーカーに語気を荒くして問いかける。さすがにこんなタイミングで冗談だと言われたら許す自信はなかった。
「気付かねぇかい。後ろ、見てみな」
「何?」
熊の言葉に従い振り向いたそこには、守善たちが降りてきたはずの階段が綺麗さっぱりなくなっていた。守善は撤退不可の死地に足を踏み入れたことを否応なく理解した。
ありえざる異常。これまで踏破したFランク迷宮では……いや、Eランク迷宮でもこんなことは起こりえない。
つまりは、
「これは……まさかイレギュラーエンカウントか!?」
「大当たり。いや、運がねえな旦那」
「よりにもよってこの場面でか、クソったれめ」
一人歩きする死神。それは極めて特異な性質を持つユニークモンスターたちの総称だ。
彼らは童話の住人である。
彼らは残酷で、醜悪で、悪辣で、凶悪だ。
彼らは常に全ての迷宮でただ一体のみ存在する。
彼らは迷宮の主を食らうと最下層を己の領域へと改造し、冒険者が訪れるのを待つ。
そして間抜けな冒険者が自分の狩場にいざ現れれば容赦なく牙を剥くのだ。
「赤ずきん、シンデレラ、花咲か爺さん……さて、どいつが来ると思う?」
「さぁ? 私に分かるのは前に進まなければ分からないってことですね」
「そりゃもっともだ。……ったく、ウンザリだな」
イレギュラーエンカウントを死神の代名詞として有名にしたのはその残酷さと凶悪なスキルだ。
かつてアンゴルモアと呼ばれるモンスターが地上へと溢れ出した大災厄に乗じ、イレギュラーエンカウントもまたその姿を地上に現した。
一つの街の住人を残らずかまどに叩き込んで焼き殺したヘンゼルとグレーテル。
国を飲み込む勢いで生い茂る茨によって捕まえた人間を無理やり眠りに落とし、最後には迷宮の奥へ連れ去ったいばら姫。
道行く人に灰を振りかけ、その身体を苗床に無数の花びらが舞う巨大な桜の木を生み出した花咲か爺さん。
愛らしい童話の住人に人間の醜悪さを塗り付けたような歪んだイミテーションこそがイレギュラーエンカウント。
ただ一体のイレギュラーエンカウントがもたらす被害者は数千人、時に数万人にも上ると言われている。その悲劇はほかのモンスターと比べても質と量の桁が違う。
そんな化け物の腹の中にいるという実感が守善から冷静さを奪った。
「クソッタレが!!」
手近な木を衝動のまま殴りつける。
数が多い低ランク迷宮ほどイレギュラーエンカウントの出現率は高まるという。だからこのEランク迷宮に出現したのもおかしくはない。
だがよりにもよっていま、この時でなくてもいいだろうに、と胸の内で吐き捨てる。冒険者として上り詰めるため踏み出した第一歩を、思い切り後ろに引きずられた気分だ。それも最悪の死神に。
守善はがどんなに迷宮攻略というリスクに備え、鍛えていようと本当の意味でリアルな死を感じるのも初めてだ。自然と緊張から生きが荒くなり、視界が狭まってしまう。
「マスター」
「……ああ、分かっている。落ち着いた」
木の葉天狗からの呼びかけに短く答え、呼吸を整える。
意識的に息を吐き、ゆっくりと吸う。それをたっぷり一分間は繰り返し、何とか平静を取り戻した。
呼吸はメンタルと密接に関連する身体機能だ。息を整えるとはすなわち気持ちを整えることに繋がる。響からの教えだ。
「イレギュラーエンカウントだろうがEランク迷宮じゃその戦闘力はたかが知れている。……勝ちに行く。足手まといにはなるなよ」
イレギュラーエンカウントは確かに死神と同義語の恐ろしいモンスターだ。
だがイレギュラーエンカウントが無敵の怪物かと言われればそれも違う。どの迷宮にも出現できる代償か、迷宮のランクによってその基礎戦闘力は制限される。低ランク迷宮に出現する奴らは相応の戦闘力にランクダウンする。
ここはEランク迷宮。通常の難易度なら十分余裕をもって踏破出来る守善なら勝ち目はある、はずだ。
(問題は奴らの代名詞であるAランクスキル。ここばかりは運ゲーか、クソが)
だが同時に死神の代名詞である凶悪無比なAランク相当のスキルは健在。相性次第で手慣れた冒険者でも残虐に遊び殺せるだけの悪辣な性能を有する。
これまでのお遊びのような迷宮攻略とは違う、本当の修羅場。食うか食われるか。殺すか殺されるか。その二択しかない檻の中だ。
「……ライセンスの救助要請はやはり駄目か」
「無駄無駄。奴らをぶち殺さなきゃ、俺たちに明日はねえのさ。覚悟を決めな、旦那」
「覚悟なんざ冒険者になると決めた日から決めている。余計な口を叩くな」
「あいあい」
一縷の望みをかけた冒険者ライセンスから発した救助要請は当然のように送信不可の拒絶が返ってくるだけ。ここが昇格試験用のクローズドダンジョンである以上、他の冒険者が偶然やってくる可能性はない。つまり万に一つも応援は望めない。
孤立無援の四文字が脳裏をよぎるが、何を今さらと自身の弱気を笑い飛ばす。
(俺は一人だ。昔からずっと。今も。顔も知らん他人を当てにしてどうする)
「マスター。あの、いいですか?」
「鴉、俺はいま余裕がない。軽口に付き合う気分でもない。黙ってろ」
「……はい、分かりました」
どうせいつものような軽口、悪口の類だろうと木の葉天狗の行状から断じ、切り捨てる守善。
いまの守善は言葉通り周りを見渡すだけの余裕がない。少しでも木の葉天狗を気にしていれば、彼女が気遣わし気な顔で己がマスターを見つめていることに気付いたはずだ。
(さて、どうする……?)
これから取るべき行動を頭の中で検討する
こちらのメインカードはやはり木の葉天狗、バーサーカー、ホムンクルスの三枚だ。狛犬と獅子も十分戦力として数えられるだろう。だがどのカードもDランク相当。切り札といえる特記戦力はない。
彼らだけでも普段なら心強いはずだが、イレギュラーエンカウントが相手では到底安心することは出来ない。
後はカードたちも知らない伏せ札が一枚あるが、戦力としては微妙だ。オマケで使いどころを見極めれば役立ちそうな小道具がいくらか。
改めて見直すとイレギュラーエンカウントを相手にするには心もとないラインナップと言わざるを得ない。
「……行くぞ。ここで突っ立っていても状況は変わらん。ひとまず周囲の状況を探る。警戒を怠るな」
それでも前に進むしか出来ることはない。祈ったところで手札は増えない、いまある戦力で何とかするしか無いのだ。
その決意を込めて前進の意を示すため一同を見渡すと、みな静かに頷いた。
「特に鴉、お前が俺たちの目だ。頼むぞ」
「はい」
守善たちは周囲を警戒しながら、深い深い森に分けて行っていく。
周囲には尖った葉っぱを生い茂らせる大木、茨と棘、尖った石。どことなく寂しげで荒涼とした森の風景だ。
モンスターの類は一匹も見当たらない。
『……………………』
沈黙。誰も、何も、喋ることがない。
静寂が耳に痛いほど染み込んでくる。耳朶に染みるサイレントノイズが何とも言えず不快だった。
「辛気臭い森だな。こう薄暗くちゃお互いの顔も見分けづらいや」
「熊、無駄口を叩くな」
心に余裕のない守善は熊の軽口に応じなかった。
(上手くねぇ空気だな)
と、バーサーカーは意外にも一行の中で最も冷静に場の雰囲気を読み取っている。
(マスター……)
木の葉天狗はひたすら守善を案じている。
(周囲に敵影なし。油断せず、敵を見つけたら即座に攻撃を)
守善の指示にひたすら忠実に従うホムンクルス。彼女だけは動揺がないが、周囲に気を配れるほど情緒が育ってもいなかった。
狛犬たちはただ黙して歩いている。
パーティーの心は見事なまでにバラバラである。
そんな中気が重くなるような沈黙を孕みながら進み続けること十数分。
唐突に鬱蒼とした森が開けた先に、小さな空き地があった。
「マスター」
「敵か?」
「いえ、敵はまだ確認出来ません。この先に……趣味の悪いオブジェが少々」
警戒心を滲ませ、鋭く声をあげる木の葉天狗。ただのオブジェを前にした反応ではない。
「棺、か……」
空き地には幾つもの棺が安置されている。不吉な空気を発する棺が一層この森の寒々しさを助長していた。
”死”の気配だ。守善が経験したことのないとびきりに強烈な寒気がこの場に満ちている。
「……なるほどな」
安置されているのはただの棺ではない。
ガラスの棺。そうとしか呼べない透明な質感の物質で作られた棺がそこにあった。そのガラスの棺が幾つも幾つも、十数個ほどが綺麗に整理して置かれている。
それ故に棺に収められた中身が嫌というほどよく見えてしまっていた。
「悪趣味なことだ。ここの主とは話が合わんな」
ガラスの棺、その中身は控えめに言って変死体。仰々しく言うなら猟奇殺人犯が作り上げた前衛芸術の展覧会だ。
材料は人間、題材は苦痛・悲嘆・絶望あたりか。
腹を縦に深く切り開いて内蔵を取り除き、空っぽの腹腔に切り落とした首を埋め込んである死体。両手はまるで赤子を守る母親のように大事そうに腹部に添えられている。
一見綺麗だが、その実手足と首を切り離された後丁寧に縫い合わされ、五体満足に見せかけている死体。
眼球が抉られ、耳が千切られ、鼻が削がれた挙げ句にそれらを福笑いのようにデタラメに配置した死体。よく見れば親指が有るべき場所に人差し指が繋ぎ合わされ、切り取られた舌が横に切り裂かれた喉の傷からハミ出ている。
死体、死体、死体……。無法都市の死体安置所でも見ないような凄惨な光景だ。
(よくもここまで人間を玩具にして遊び尽くしたな)
死体が一体一体丁寧に丁寧にガラスの棺に収められ、虚ろな視線を虚空に向けていた。
しかも棺に収まっているにもかかわらず、死臭としか呼べない強烈なニオイが漂っている。
強烈な血生臭さの中に腐敗物特有の微かな甘い匂いが香る。鼻孔から胸の奥へと入り込み、吸った息すら汚すような腐臭が強烈に現実感を駆り立てていた。
ドクン、ドクンと響く心臓の音が早まっていく。緊張が増し、動悸が痛くなる。
「どう思う? 敵さんは悪趣味なオブジェをわかりやすく配置している。だがそれに何の意味がある? 脅しか? イミテーションに凝ったことをする」
守善は努めて冷静であろうとして息を吐き、半ば気を紛らわせるために話題を振った。
「まず私から一つ。これ、本物です」
「馬鹿な、ありえん」
木の葉天狗の断言を否定する。感情からの否定ではなく一応は守善なりの根拠もあった。
「ここはギルド管理の迷宮だ。イレギュラーエンカウントが出現していれば行方不明者が山程出ているはずだ。それを調べないはずがない。ここの主に成り代わってから潜り込んだのは十中八九俺が初めての筈だぞ」
「アンゴルモアです」
「なに?」
「あなたたちはそう呼んでるんでしょう。地上に奴らが現れた時、殺した人間を戦利品代わりに持ち帰ったんです」
「で、わざわざ飾りつけてライトアップとはご苦労なことだ。だがアンゴルモアは何年も前のはずだぞ? 新鮮なナマモノはとっくに寿命を迎えるはずだ」
「迷宮は時間が経たない。そうでしょう?」
「……ああ、そうだったな。忌々しい」
全ての迷宮に共通する要素として季節・天気・時間帯が変化せず、持ち込んだ食べ物なども腐らないことが判明している。加えて熟練の冒険者達は年齢より若々しい傾向にあることから迷宮内部は時が止まっているという説が囁かれている。
腹立たしいことに木の葉天狗の仮説を否定する材料はない。よく考えれば守善自身でも分かることだ。自身が冷静でないことを理解して一層忌々しさが募った。
「つまり自慢の作品を見せびらかしてるわけか」
「そういうことですね」
「俺とは趣味に合わんな。クレームを入れてやることにしよう。
「同意見です。とびきりキツイやつをくれてやりましょう」
「俺も気に入らねえな。こんな悪趣味な展示場に何時までもいたら目と鼻が腐らぁ」
「俺もだ。ふざけたやり口だ、気に食わん」
「兄者に同意だ。聖獣の端くれとしてこの有様は見逃せん」
口々に不快を表明し、まだ見ぬ敵への敵意で団結を見せる一同。だがその熱は場に満ちる死の気配に冷やされ、どこか寒々しい。
「行くぞ、敵を探す」
その後硝子の棺とその中身をひとしきり検分すると再び守善は森へ分け入った。
「あの、マスター?」
「どうした」
「恐らくですが、敵は――」
「分かってる。深い森にあるガラスの棺。この時点でだいぶ絞られるからな」
「分かっているならいいです。気をつけてくださいね」
木の葉天狗の忠告に返ってきたのはただ沈黙だけだった。居た堪れない空気に一行は気まずげに顔を逸した。
そのまま森に分け入り、道なき道を進んでいく中、鬱蒼とした森に微かにこだまする歌のような音の連なりが一行の耳に入る。。
「……何か、聞こえないか?」
ハイ、ホー。ハイ、ホー。単純な調子の響きが延々と続く、調子外れの合唱歌だ。
守善達以外の第三者の仕業、間違いなくイレギュラーエンカウント本体あるいはその眷属だろう。
誰がどう見ても明らかな誘いだが、乗らない手はない。このまま逃げ回っても活路はないのだから。
「向こうからの招待状だ。準備はいいか?」
最終確認に全員が諾と返した。
そのまま不吉な響きの歌声が聞こえる方へ進んでいき……やがて森が開けた先にあったのは一軒の小さな家屋だ。
牧歌的にすら見える光景だ――――家屋の周辺に無数の脈打つ肉塊が野ざらしになっているのを除けば。ガラスの棺という容器すら無い剥き出しの”死”そのものに一行の空気が張り詰める。
「ホン……ット悪趣味な真似をしますね、ここの主は。殺意が湧いてきます」
「確かに、芸風が変わったな。もっとタチが悪くなった」
人型の原型すら残していない、生々しいピンク色の塊からテラテラとひっきりなしに赤い液体が染み出しては大地を汚していく。
吐き気を催すほどに醜悪な光景に吐き捨てたのは木の葉天狗だ。それに軽口で応じた守善に不謹慎だと睨みつけた。
「そんなレベルじゃありません。あの人達、まだ生きてます」
その言葉を聞いた守善の脳が一瞬理解を拒む。
(……人? アレが?)
最早生前の面影の欠片すらない、ただビクビクと脈打つだけの肉塊。手足を削いで生皮を剥いだ後に骨が砕け内臓が潰れるまで捏ね回したらようやく出来上がりそうな肉の塊だ。
あの肉塊がまだ生きている? 悪夢のような冗談だ。一番の悪夢は目の前の光景が現実ということだが。
「どうやって? 何のために?」
「さあ? 私には理解出来ないし、したくもありません」
つまり、己も敗北すればああなるのか、と。
視覚と嗅覚を刺激する圧倒的なリアル。確かな実物は否応なく不吉な未来予想図を守善に抱かせ、悪寒のような恐怖が胸の内にズンとのしかかった。
まるで子供の頃迷子になった時の心細さを百万倍に濃縮したような不安。フワフワと足元が頼りないのは恐怖で血の気が引いているからか。
幼い頃に死別した父と母の顔が脳裏に浮かび、心細さから二人への呼びかけが口を衝いて出ようとし――、
(ふざけろ)
その感傷を甘えと切り捨て、散々に踏みつける。
命を賭けて迷宮に潜り、大金を稼ぐと決めたのだ。誰でもない自分自身の意志で。
(弱気で無能な守銭奴に価値はない)
これでも人間の屑に分類されている自覚はあるのだ。
どこまでもふてぶてしく、傲慢に。例えそれがメッキだと自覚していても。
「……お出ましか」
ハイ、ホ―。ハイ、ホ―と調子外れで楽しげな合唱がピタリと止み、小さな家屋の扉からイレギュラーエンカウントがひょっこりと顔を覗かせた。
そこにいたのは悪意を強くにじませた邪悪な黒小人。それも一人ではなく、七人。七人の黒小人だ。ずんぐりむっくりの矮躯にふさふさの髭、トンガリ帽子から覗くつぶらな瞳はドス黒い悪意に塗れている。
森の奥深くに有る小さな家に七人の黒小人。
このシチュエーションに守善の脳裏にとあるお伽噺のタイトルが過ぎった。
「やや、人間だ」
「本当だ、人間だ」
「人間だ、人間だ!」
「嬉しいなあ、嬉しいなあ」
「人間のお客さんだ」
「久しぶりだなあ」
「大歓迎だ、もてなさなきゃ!」
次から次に家屋から勢いよく飛び出してくる七人のドワーフ。まるで遊ぼう遊ぼうと声をかけながら外へ飛び出す子供のようだ。
心の底から嬉しそうに、七人の黒小人は笑う。一見友好的なようで、その実自身の喜びしか見ていない笑みを。
「笑わせよう!」
「困らせよう!」
「泣かせよう!」
「指をもごう!」
「皮を剥ごう!」
「目を抉ろう!」
「鼻を削ごう!」
まるで虫の手足をもぐ子どものような無邪気な笑み。だが同時に子どもにはありえない醜悪さに満ちている。
守善達を無視して輪になって踊る黒小人達は嫌になるほど楽しそうだった。
「「「「「「「最後は解体してみんなで山分けだ!」」」」」」」
悪性と残忍さと嗜虐心と好奇心と無邪気さと嫌らしさ。
その全てを人型にゴテゴテと塗りつけて極彩色に彩ったような醜悪さが極まった異形達。
「じゃあ僕は右手!」
「なら僕は左手だ!」
「ズルい、俺は頭!」
「僕は胴が欲しい!」
「心臓は僕が貰う!」
「両足はもーらい!」
「残り全部僕の物!」
捕食者を前にした獲物ともまた違う気分だ。
無邪気な子どもに思う存分弄ばれる新しい玩具。そんな狂ったシチュエーションを味わえば少しは似たような気分が味わえるのかもしれない。
「「「「「「「 キ ャ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ! ! 」」」」」」」
七人の小人が笑う。
高らかに、残酷に。無邪気に、醜悪に。
「……だそうですよ。大人気ですね、マスターさん?」
どことなく乾いた声での軽口だった。
木の葉天狗も七人のドワーフ達が醸し出す狂気的な笑い声に飲まれているのだ。
「安心しろ。お前より先に俺が奴らの餌食になることだけはない」
マスターにはカードのバリア機能があるので身も蓋もない事実だが、この場で口に出す話だろうか。
抗議の意を込めてジト目で睨む木の葉天狗を守善は黙殺した。
「そこは大丈夫だ俺に任せろって根拠のない啖呵を切るところじゃないですか。ぶっちゃけ私ちょっとアレにヒイてます」
「ンな薄ら寒い台詞を恥ずかしげもなく言ってたまるか。自分でなんとかしろ」
なんとか気を取り直して軽口を叩く木の葉天狗と守善。その口元には不敵に笑おうとして失敗した引きつりが浮かんでいる。
「一つ、朗報だ。七人のドワーフにガラスの棺とくれば該当する童話は一つしかない」
敵が知れれば多少なりともその詳細が割れる。
幸いにして守善はこのイレギュラーエンカウントについてそれなりに知っていた。
眼前の醜悪な小人達を生み出した童話の名は――、
「白雪姫。グリム童話にも収録された、アホほど有名なお伽噺だ」
白雪姫を助ける七人のドワーフ。童話に謳われる小人達の醜悪なカリカチュアがいま牙を剥いた。
【Tips】イレギュラーエンカウント
全迷宮において常に一体しか存在しない特別なモンスター。本来の迷宮主を喰らい、それを知らずにやってきた冒険者を狩るという習性を持つ。戦闘力はその迷宮相応となるがスキルは弱体化しないこと、迷宮のランクを問わず完全ランダムに出現すること、一度最深部に足を踏み入れたらイレギュラーエンカウトを倒さなくては生きて帰れないことから、冒険者たちに畏れられている。
迷宮もカード同様、高ランクほど数が少なくなるためイレギュラーエンカウントは主に低ランクの迷宮に現れる傾向がある。そのため、イレギュラーエンカウントの被害に会うのも新人が多くなるため、新人殺しの異名も持つ。
なお、イレギュラーエンカウントのカード化に成功した例は報告されていない。
※上記は原作者である百均氏より許可を頂き、転載しております。