第十一話 彼らはいま最高に輝いていた。最高に嫌な輝き方だった
新年あけましておめでとうございます。
まだまだ始まったばかりの本作ですが、今年もよろしくお願いします。
「そこの優男さんいいこと言いますね」
仮面を貼り付けたような笑みを浮かべ、場の空気を断ち切った木の葉天狗。
「ええ、仰るとおり私はこのクソマスターが大嫌いです。私をこき使うし、こっちの言葉は聞いてくれないしロクにご褒美もくれません。挙句の果てに道具扱いです。サボタージュしてもやむ無しと思いませんか?」
「そうだろう! それなら――――!」
すると両腕を広げ、まるでこちらに飛び込んで来いとばかりにアピールする籠付。彼の脳内では自分が美少女のピンチを助けるヒーローに置き換わっているのかも知れない。
「でもあなたより百倍マシです」
だが現実は彼に微笑まない。むしろ仮面を貼り付けたような笑みを投げ捨てて、絶対零度とすら思える冷たい一瞥を向けていた。
「あなたのような私を人形扱いする輩よりも余程。私が空を舞うことすら許さないマスターよりもずっと見込みがあります」
絶対零度の啖呵が切られる。
これは単純な怒りではない、むしろ籠付の言葉を通して想起された怒りを叩きつけている。守善にはそう見えた。
とばっちりの怒りを向けられた形になる籠付は呆気にとられ、咄嗟になにか言うことも出来ないようだった。
「思い出しましたよ。いえ、思い出せてはいないんですけど。私を後生大事に人形のように閉じ込めて空を飛ぶことすら許さなかった。そんなマスターがいたことを。あなた、そのマスターと似た気配がします」
あらゆるモンスターカードは初期化されればその記憶を失う。さらに限界以上のダメージを受けてロストしたカードも本当の意味では死なず、迷宮の”母なる海”に還り、時間を置いてまた新たにカードとしてドロップするという。
だが記憶は失っても経験は消えない。自分が経験したことは正負を問わず、確かに心の奥に残り続けるのだという。
だから前マスターの記憶など無い木の葉天狗も、実感としてその身に受けた仕打ちを覚えていたのだろう。それが籠付の迂闊な一言が投じられた一石となり水底の泥のように浮き上がった。
(過保護も立派な虐待とは言うが……閉じられた心を得るほどか。よほどマスター運が無いらしいな、こいつ)
木の葉天狗は見かけとサイズだけならまさにお人形そのものの可愛らしい美少女だ。
だがその中身は大人しく愛玩人形に収まるような可愛げはない。むしろ束縛をこそ嫌い、空を舞う自由にこそ強くこだわっているのは守善も察しが付いていた。
(空を舞う鷹が狭い籠に押し込められた挙げ句ブクブク肥え太るような日々に幸福を感じるか? コイツもお断りだと蹴飛ばすタイプか)
守善同様に木の葉天狗も過剰な束縛にははっきり否と拒絶するタイプだった。そんな木の葉天狗のトラウマを知らなかったとは言え籠付は無遠慮に踏み抜いたのだ。この激発は当然である。
「うちのマスターは本当にどうかと思うくらいに外道ですけど、マスターとしての腕前だけは確かです。私を閉じ込めないし、限界まで使いこなす腕がある。あとは私を大事にする甲斐性があればギリギリマスターとして認めてあげなくもありません」
「クソだ外道だと風評被害を垂れ流すな叩き落とすぞカス鳥。……要求は?」
いつもどおりのやり取りの後、守善が一歩引いてみせる。それを聞いた木の葉天狗が露骨なくらいに疑念と不審を顔に浮かべた。きっとこれまでの積み重ねの賜物だろう。
「薄気味悪いくらいに素直ですね。一体何の企みですか?」
「仏心を出せばそれか。アレより下とか人類には到底耐えられない屈辱だからな、妥協してやることにした」
「ああー……。そうですね、アレより下とかちょっとナイです。ナイナイ、ありえない」
チラリとわざとらしく屈辱に震える籠付へ視線を送る守善、応じるように深々と頷き籠付のプライドをズタズタに切り裂く木の葉天狗。外道二匹がここにいた。
互いに反目しつつも敵には容赦がないという共通点をもつ両者である。共通の敵が現れたいま、嬉々としてタッグを組んで罵詈雑言の限りを尽くし始めた。
「もう台詞というか言動全部が控えめに言ってサムイんですよね、見てられないと言いますか見ていて居た堪れないっていうか」
「言ってやるな、本人は真剣にやっているんだ。だからこそ救いがないと言えるが」
「お、お前らぁ……!」
流れるように息のあったやり取り、ただし悪口限定の。耳から無理やり悪意をねじ込むような嘲りの数々に頭に血を昇らせた籠付は怒りで言葉にならない。それを確認した木の葉天狗は籠付へわざとらしい笑顔を向けた。
「あ、人類最底辺のマスターさんこんにちわ! 持ってるカード達も肩身が狭そうで本当に可哀想。そんなザマを晒して生きてて恥ずかしくないんですか?」
「どうも、カードからクソマスターのお墨付きが出た堂島守善です。ところでそれ以下と言われたゴミ溜めマスターさん、今のご気分は? ちなみに俺は心安らかだ。なにせ下には下がいるって分かったからな。お前のお陰だよ、ありがとう」
怒りに震える籠付が口ごもっている間にも爽やかな笑顔で傷口に塩を塗り込むように罵倒を重ねる外道コンビ。守善に至っては自身に向けられたマイナス評価さえ籠付に向ける罵倒の材料にしている。彼らはいま最高に輝いていた。最高に嫌な輝き方だった。
二対一という数的不利、加えて多数の方が極めつけに根性が曲がった外道達だ。最早口喧嘩で籠付に勝ち目はなかった。
「こ、こんな貧乏人よりも僕が下? ゴミ溜めマスター? ありえない、ありえないいいいいぃぃっ――――!」
それは籠付も理解していた。相手が悪すぎると。だからと言って冷静にもなれない。傷ついた自身のプライドを見過ごすことも出来ない。そして自身の目の前には八つ裂きにしてやりたいくらい憎らしい格下の素人がいる。到底見過ごせない。
(こんな奴ら僕が本気を出せば泣いて謝るに決まってる!)
そして自分の手には力がある、DランクモンスターというFランク迷宮では無双を誇る力が。籠付はこれまでの実績からその力を持つ自分は無敵なのだと無意識に錯覚してしまう。相手の手にもDランクカードがあることを忘れて。
そしてついによりによって最も選ぶべきではない選択肢を選んでしまった。
「奴らをぶちのめせ! 狛犬、ボアオークゥゥッ!」
自身が召喚した二体のモンスターをけしかけたのだ。その瞬間に守善の口元がニヤリと悪辣に歪められたのを隣の木の葉天狗だけが察していた。
力に驕った素人がキレた短絡思考の行き先など、概ねこの程度だ。内心で荒事の可能性を想定し、準備万端で待ち構えていた守善の敵ではない。何よりこれで先に手を出したのが籠付であることが記録に残った。
「狛犬にボアオーク、防御重点の増殖型パーティーか。戦術だけはよく練られているな」
「バカなマスターが考えなしに突撃させて全部台無しにしてますけどね。ほんと、敵ながら哀れですよ」
狛犬。神社でよく見る厳つい顔をした聖獣である。獣型としては珍しく鈍足だが、その体皮は石のように固く頑丈なモンスターだ。加えて庇う、威圧などの防御向きのスキルを持つ。マスターのガード役として採用されることが多い。
またボアオークも下位種族のオークを時間経過に伴って一体ずつ召喚し続ける眷属召喚スキルの持ち主。さらにタフでパワーも有る。防御に徹していれば攻め崩すのにかなり苦労するのは間違いない。
どちらのカードもかなりレア。Dランクでは上位に入る優良カードだ。当然値段も張る。それが2枚となればちょっとした一財産だろう。流石は名家と言ったところだろうか。尤も肝心要のマスターがマスターなので、宝の持ち腐れという無情な感想が守善の脳裏を過ぎった。
「カモだな」
「カモですね」
繰り返しとなるが、増殖戦術は籠付が突撃を指示した時点で瓦解している。待ち受け、防御に徹して時間を稼ぐ間に戦力を増やすことがこの戦術の要だからだ。
絶好のカモであると認識を一致させ、視線一つで取るべき戦術を擦り合わせる。
「行けるな?」
「言われずとも」
互いに一言交わし、木の葉天狗は風に乗って宙を翔けた。その姿、一条の矢の如し。空気を切り裂いてボアオーク達へ迫る木の葉天狗へ籠付は嘲笑を送った。
「ハッ! Eランクモンスター如きがさぁ、ノコノコ顔を出して何の用だよ! やれ、ボアオーク!」
籠付の言葉は正しい。仮に木の葉天狗が一撃でも貰えばその時点でロストするのは間違いない。
マスターの指示に従い、ボアオークが得物である鉄斧を横薙ぎに振りかぶる。高速で飛翔する木の葉天狗が野球ボールだとすれば、ボアオークの姿はバッターさながらだ。流石は人外のモンスター、弾丸じみた勢いで迫る木の葉天狗の軌道を正確に捉え、確実に斧がジャストミートする軌道を描いていた。
(当たる――! まずは一枚、割った!)
籠付がロストを確信したその瞬間――、
「まずはこちらが一点先取です」
疾風迅雷。
突如として一陣の追い風が吹き、木の葉天狗がさらに加速する。追い風スキルによる加速の幅をもう一段残していたのだ。
横薙ぎに振るわれた斧をギリギリのギリギリで木の葉天狗がかい潜った。スポーツで一センチを争うスライディングよりもなおシビアな距離で。横薙ぎの斧に切り裂かれた幾本かの髪が業風に巻かれ、宙を舞った。
「フ、フフ…。アハハハハハハハハハハハハハッ!」
身の毛がよだつ風圧が頭のすぐ上を通り過ぎたというのに、木の葉天狗は楽しげに笑っていた。空を翔けること、それこそが彼女の生きる意味。ギリギリの緊張感、充実感が木の葉天狗を満たしていた。
「スリップ」
そして置き土産も忘れない。
初等状態異常魔法、スリップ。短時間相手の足元が氷の上に立っているように滑りやすくなるというただそれだけの魔法だが――タイミングが絶好だ。魔法が直撃したのは木の葉天狗迎撃のために力を込めて鉄斧を振りかぶった直後。身体が泳いでいる最中に足元の摩擦力が消えれば、ボアオークの体勢を崩すのに十分なアクシデントとなる。
「グギギャッ!」
「なに無様に転んでいるんだよボアオークゥ! お前もだ狛犬、止まるんじゃない!」
悲鳴を上げて派手に転倒するボアオーク。同輩の狛犬はこのアクシデントにどう対応したものか悩み、足を止めた。
籠付はその姿を見て罵声を浴びせかけるが、すぐにその顔は驚きに染まった。
「お前の方から向かってくるか、堂島ぁ! やれ、狛犬。バカが食われにやってきたぞ!」
ホムンクルスを護衛に置き、守善自らが足を進めて転倒したボアオークの近くに迫っていたのだ。
指示に従いすぐさま狛犬が守善に向けて飛びかかり、その爪牙を振るう。
「止めろ、モヤシ」
「はい、主」
だがホムンクルスが身体を張ってその突撃を受け止める。体ごとぶつかりあったモンスター達はその場でグルグルと体を入れ替え、互いの喉笛を切り裂かんとする。その揉み合いは一進一退、すぐに勝負は決まるまい。
その姿を横目に見ながら守善はなおも前進した。
マスターでありながら敢えて危地に踏み込む守善は飛んで火に入る夏の虫か? いいや、まさか。策あればこその前進である。
「戻れ、鴉」
「はいはーい♪」
告げるは一言、答えるも一言。
ボアオークの転倒という十分な仕事を果たした木の葉天狗が華麗な軌道で反転しマスターの元へ舞い戻る。淡い光となってその身を躍らせ、守善の手中にあるカードへと収まった。その一瞬後、流れるように遅滞なくバーサーカーをカードから召喚し、交代。
鮮やかな交代劇。互いが互いに向ける心情は別として、彼と彼女の相性が絶好であることは本人たちにすら否定できまい。
「出番だ、ピンチヒッター。叩き潰せ」
「おぉさあっ!」
既にボアオークとの距離は詰まっている。
鈍足のバーサーカーでもボアオークが立ち上がるより先にその一撃を叩き込むことが可能な至近距離だ。尤もそのために守善自身が距離を詰めたのだからそうでなくては困る。
「美味しいところを頂くんだ。一撃で決めるぜオラァ!」
バーサーカーが丸太のような太さの棍棒を頭上に振りかぶり、シンプルに振り下ろす!
組み合わせるスキルは《武術》+《物理強化》+《恵体豪打》+《強振 (フルスイング)》。シナジーが利いたスキルを組み合わせることでただの振り下ろしの威力が爆発的に上昇する。
かつて守善が一撃の威力ならばDランクモンスター最強クラスと評したのは伊達ではない。過剰殺戮もいいところの一撃がボアオークに向けて容赦なく振り下ろされる。
「ブギイイイイイィィッ!!」
振り下ろされる純粋な暴力を目の当たりにし、ボアオークは恐怖から豚のような断末魔の悲鳴を上げる。その一瞬後、大岩をも叩き割る勢いで振り下ろされた棍棒を受けたボアオークの肉体が爆散した。
振り下ろした棍棒の衝撃にボアオークの肉体が耐えきれず、スイカを叩き割ったように肉片が千千に飛び散ったのだ。
「棍棒直撃、一匹死亡だオラァッ! どうだい旦那、俺のバット捌きはよぉ!」
「血まみれのまま近寄るな、引くわ」
全身をボアオークの血と肉片で真っ赤に染めたバーサーカーを真顔で切り捨てながら、もう一つの戦闘を素早く確認する。
「グルラアァッ!」
「右腕の負傷確認。戦闘を続行します」
狛犬とホムンクルスが血みどろになりながら一個の団子のように揉み合い、転がり回っている。互いが互いの喉笛に噛みつこうとしているような、体ごとぶつかり合うような泥臭い争いだ。
形成はホムンクルスに不利。そう見て取った守善は顔をしかめた。
「熊、モヤシを助けろ。いますぐだ」
「あん? いいのかい?」
「いますぐだ。二度は言わんぞ」
「あいよっと!」
チラリと籠付を見て問いかけるバーサーカーへさっさと動けと促す守善。
熊の着ぐるみじみた姿で器用に肩をすくめたバーサーカーはそれ以上何も言わずホムンクルス達の元へ急いだ。
「場外乱闘はご法度だぜ、離れな!」
揉み合い、傷つけ合う二体のモンスターをバーサーカーはその剛力で無理やりに引き剥がす。そして今度はバーサーカーに向かって飛びかかる狛犬を丸太のように太い腕で抑え込み、その首を締め上げた。
「ギャンッ! グ、ギュウウウゥ……!」
「ハッハァー! 生憎だが俺はパワー勝負なら早々負けねぇよ!」
「熊、殺すな。バカと心中させるのはもったいないカードだ」
ミシミシとその逞しすぎる筋骨を脈動させ、バーサーカーは狛犬の抵抗を完全に抑え込んだ。後少し捻れば首が折れるだろう。
これで籠付が召喚したモンスターは全て制圧された。最早これ以上抵抗する術がないことは蒼白になって震える籠付の顔が語っていた。
「さて、チェックだ。これ以上抵抗を続けるなら狛犬もロストだぞ。俺はそれでも構わんがね」
「お…」
「お?」
「お前なんか僕の力にかかれば……そうだ、訴えてやる! 僕のパパは経済界に顔が利くんだ。お前なんかどうにでもなるんだぞ!」
「ハッ! それはこっちの台詞だ」
守善は嗜虐を滲ませた嘲笑を上げた。この期に及んで頼るものが家柄という無様さに。加えてその甘ったれた現状認識は笑うしかないというものだ。
「迷宮における殺人未遂。外聞を気にする名家にはとんだ醜聞だな。出来の悪い息子を持ったお前のパパには同情するよ」
「殺人未遂……? 違う、僕はそんなつもりじゃ――!?」
「それで通ると思うか? 試してみろ。迷宮の外に出てからな」
トントンと頭部のウェアラブルカメラを指しながら邪悪に笑う守善。
トラブルがあったとはいえ、一方的な逆恨みによる犯行。しかも映像証拠付きだ。誰でも手軽にネットに接続し、あっという間に情報が出回る現代では恐ろしく有効な武器である。
上流階級にとっては十分な傷であり、守善にとっては付け狙うべき弱みだ。誰がどう見てもこちらが勝てる条件であり、弁護士でも何でも使えるものは巻き込んで、目の前のボンボンから利益を絞り出すつもりだった。
守善の片頬に刻まれた笑みが凶悪に歪み、その笑みを見た籠付は恐怖で気の毒なほど顔を引き攣らせた。