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06 師匠と弟子

 夢を見た。この国に来る前、ひとりで旅をしていた頃の夢だ。一緒にいたのは、愛馬だけ。いくつかの街や村を転々としながら、エルローザは生きていた。生きるのが、こんなにも困難だとは思わなかった。森で野宿をしたし、兎を捕まえて食したし、寒さのために眠れぬ夜も過ごした。

 それでも、生きていた。街に辿り着き、少しばかりの安堵の時間を得た。長居はしなかった。気力を養えば、また旅に出た。エルローザはその間も、エルベルトとして過ごしていた。女のひとり旅よりは遥かに、男装していた方が安全だったのだ。


 そうして、この国の帝都までたどり着いた。




「朝‥‥夢、か。」


 エルローザは目を覚ます。カーテンを開けると陽が昇り始めていた。いつもの時間だ。

 セヴランと会ってから5日が経っていた。今日もエルローザは仕事である。師匠であるイリスが出勤するまでに準備をしなければいけない。

 

「おはよう、ロッコ。私の相棒。」


 ロッコとは彼女の愛馬の名前である。ちなみに雄だ。毎日丁寧に手入れされたロッコの毛並みは艶やかで、今日も元気だよ!とエルローザの頬に鼻を当てて挨拶をする。


「あなたが元気で私も嬉しい。」


 慣れた手つきでロッコを撫でると、餌箱に朝食を入れて、水を変える。


「今度のお休みはまた一緒に草原に行こう。そういえば、セヴラン様の黒い馬とは仲良くなったの?」


 悪くない奴だよ、と言うようにロッコは鼻を鳴らした。エルローザはそれが否定ではないと分かったのか「そうか、良い子だね。」ともう一度撫でてから馬小屋を後にした。




 エルローザが朝食の片づけを終え、依頼のあった薬の一覧を確認しているとイリスがやってきた。


「おはよう、エル。」

「おはようございます、師匠。」


 薬屋の開店である。

 基本的にエルローザは裏方だ。粉末、錠剤、軟膏、液体。それぞれ依頼に合った薬を調合し生成する。レシピに忠実に、ひとつひとつ丁寧に。

 イリスの薬が良く効くのには理由がある。勿論、受け継いできたレシピが正しく効果を発揮しているからでもあるが、1番は『ルース』の操作である。薬草の持つ効果を正しく引き出すことを『ルース』の操作で行うのだ。始めはうまく操作が出来なかったエルローザは、今ではイリスが見なくても良いほどに上達していた。元々彼女にはそういう才があったのだろう。


「エル、ツユクサの解熱薬はあるか?」

「はい師匠。ツユクサなら粉末と丸薬があります。」

「子どもが飲むそうだから粉末が良いだろう。それと花屋の婆さんが来ている。」

「花屋のお婆さんのなら‥‥これですね。関節に塗る軟膏と、丸薬が2種類です。」


 エルローザから薬を受け取ったイリスは満足げに微笑んだ。最近はこの表情が多いので、エルローザの働きはイリスのお眼鏡に適っているようだった。


 そうして断続的に訪れる客足に対応しながら、イリスは処方した薬とその材料を細かく記録していく。エルローザは明日、明後日の薬の準備だ。種類によっては乾燥させた薬草をすり潰して粉末にしたり、蒸して液体を抽出したり、煮たり、炙ったり、寝かせたり。彼女は丁寧な作業が得意だ。レシピに忠実に、割合通りに、時間通りに。薬草、と呼ばれているが、本当は分量を間違えば毒になるものの方が多い。一歩間違えれば劇薬になりかねない。それを彼女たち薬師が薬となるように配合していく。


 ふう、とエルローザはひと息ついた。作業がひと段落したのである。ちらりとエルローザが薬草室から店の方を覗くと、イリスの方も最後の客を見送った所だった。エルローザはキッチンへ行くとお湯を沸かして、ふたり分の紅茶を用意した。茶葉にカモミールをブレンドしてある。落ち着く香りが店内に広がった。


「愛弟子が淹れてくれる紅茶を待っていたよ。うん、カモミールのいい香りだ。」


 カウンターまで紅茶を運べば、エルローザの尊敬する師匠は待ちわびていたとばかりにカップに手を伸ばした。


「師匠、明日は薬草を採りに行って来ます。」

「気を付けて。ああ、そうだ。追加で頼みたいものがあったのだった。」


 イリスは思い出したようにペンを取り、いくつかの薬草名を書いていく。受け取ったエルローザはすぐに了承して尋ねる。


「分かりました。この材料だと、貴族様用ですか?」

「ああ、この前頼まれてね。」


 なるほど、とエルローザは頷く。師匠ご指定の薬草は、山の奥まで入らないと見つからないだろうし、もしかしたらいつもの山では見つからないかもしれない。以前はあった場所は覚えているが。と明日の予定を組み立てる。

 そして、イリスの言う「この前」が前回の休暇、エルローザがセヴランに会った日の事だ、というのも分かっていた。こういうことはこれまでに何度かあった。イリスから直接聞いたことはないが、どうやらエルローザの師匠は薬屋の休暇中に貴族の方に会っているようなのだ。

 王都の街中で、平民にも薬を出しているような薬屋よりも、貴族ならイリスを直接招いて処方させるのだろう。とエルローザは想像だけで納得した。この国の貴族事情は良く知らぬが、彼女の知る貴族とはそのような質だったからだ。


「それで、明日は他に何を採ってくる予定なんだ?」

「これです。」


 エルローザは自分で書いたメモを渡す。イリスは数秒それを眺めて、眉間にしわを作った。


「エル、」

「はい。」

「また作るのか。」

「はい。」

「何のために。それは作ったところで、この国では使わないだろう?」

「私のためです。私が、エルベルトであるために。」


 この国では使わない。イリスの言った通り、エルローザが作ろうとしているのは、この国では流通していない薬だった。()()とイリスが言ったのは、その薬をエルローザが定期的に作っているからだ。薬にも使用期限というものがある。使用期限が切れると薬の効果が落ちる、または使えなくなるのだ。前に作ったその薬の使用期限が近づくと、エルローザは必ずその薬を作った。作ったところで使われることのない薬だ。そんな薬を、エルローザは作り続けていた。


「‥まあ、好きにするといいさ。でもね、私が必要としているのはエルローザだ。」

「‥‥ありがとう、ございます。」


 エルローザの声が震えて、イリスは堪らず彼女を抱きしめた。イリスは何度か口を開いたが、結局声を発することなく、エルローザの背中を優しくたたくだけだった。


 母親は、こういうものなのだろうか。エルローザは滲む視界を飲み込みながら、考える。どれだけ記憶を辿っても、一度たりとも与えられなかった両親の温もりは、きっとこういうものだったのだろう。ゆっくりと深呼吸をしながら、エルローザはイリスの背に回した手に、少しだけ力を込めた。


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