04 またねの約束
「昨日の、騎士様‥‥?」
「ああ、やはりそうか。その紫の瞳は良く覚えている。」
目を開けて上半身を起こしたエルローザを見て、黒髪の騎士セヴランは口元に笑みを浮かべた。昨日に比べて随分と軽装の彼は、どうやら休日のようだった。エルローザは背の高い彼を見上げて尋ねた。
「騎士様も、馬を走らせに?」
「ああ。そういう少年も、馬を走らせに来たようだな。」
そう答えたセヴランは、馬の手綱を放すとエルローザの隣に腰を下ろした。どうやらすでにひと走り終えたようだ。ふたりの愛馬たちは、手綱を放されても自分の主人から一定以上は離れない、優秀な2頭だった。
腰を下ろしても、セヴランはエルローザの頭ふたつ分は高かったが、彼女は先ほどよりも見上げる角度を下げる事が出来た。
「エル、といったな。俺はセヴランだ。改めて、昨日のことへ感謝を。」
「いえ、あの、やめてください。本当に自分の身を守っただけで、高貴な方の助けになれたのは偶然なので‥‥。」
座りながらだが、頭を下げるセヴランに、エルローザは驚いて両手と首を振った。それを見たセヴランはふっと笑って、昨日と同じように、エルローザの頭にポンと手を置いた。
「あ、の、騎士様。実は私、あの、もう19歳なんです、けど‥‥。」
「なにっ!?」
さすがに少年扱いはやめてもらいたい、と思ったエルローザは実際の年齢を申告した。ウィリディス帝国、この国では17歳には成人済みとみなされる。19歳といえばアルコールも飲める大人なのだ。
セヴランは狼狽えて、エルローザをまじまじと見つめた。
「す、すまなかった。てっきり成人前の少年だと‥‥。」
「いえいえ、良く間違われますから。」
本当は女ですしね、とエルローザは心の中で謝罪したが、それは特段意味をなさない。セヴランはバツが悪そうに頭を掻いた。そんなセヴランの表情は昨日よりもずっとわかりやすい。それに昨日はピシッと撫でつけてあった黒髪も、今日は風に揺れるほどだ。この方が幾分かは話しやすいな、とエルローザ思った。
「騎士様は、その、貴族様、ですよね?私みたいな平民と普通にお話しなさるのですね。」
「生まれと職が違うだけで、皆等しくこの国の民だからな。」
「生まれ‥‥。」
当然のようにそう言ったセヴランの言葉が、鈍い音を立ててエルローザの心に落ちた。
生まれが、違うだけ。それだけ。ただ、そう生まれただけ。それだけで、私は。私たちは。
「‥そうだろう?」
「‥‥‥はい、たしかに、そう、ですね。」
セヴランの声に引き戻されて、エルローザは何とか頷いた。セヴランはほんの数秒動きを止めたが、それはエルローザには分からなかった。
「今日は剣を持っていないのか?」
「はい。山に入るときくらいです。以前熊が出たこともあるので、護身用です。」
「なるほどな。剣はどこで習ったのだ?」
「幼いころに、小さな身体でも身を守れるように習っただけです。」
「それであれほど動けるのか。」
「今も少し、思い出して素振りくらいはしているので。」
ほう、とセヴランは感心したようだった。それから少し考えるようにして、エルローザへ質問する。
「今日は仕事が休み、なのか?」
「はい。8日に1日はお休みなのです。」
「なら、次の休みは8日後だな。予定がないなら、俺と剣を合わせてみないか?」
「え、いいのですか?王宮にお勤めの騎士様に、剣を見てもらえるなんて‥‥!」
元々剣術の好きなエルローザは瞳を輝かせた。ふわっと身体が浮かんだような、思い切り駆け出してしまいそうな。そんな風に気持ちが高揚して思わず笑みがこぼれた。イリスに薬学を師事するときは違った好奇心をくすぐられたのだ。それを彼女自身が理解したのは、帰路でのことだった。
そしてこの感情がエルベルトではなくエルローザのものであったのだと分かるのは、もっとずっと後になってからだ。
「ああもちろんだ。見込みがありそうな若者の腕を拝見させていただこう。」
「‥‥なんだか年寄りみたいですよ、騎士様。おいくつですか?」
「む‥まだ27歳だ。年寄りと言われるのは心外だな。」
「へえ、20代とは。でも、昨日の騎士様たちの中で一番偉い方のような気がしたのですが。」
「良く見ていたな。まあ、そんなところだ。」
一瞬、セヴランの眼光が鋭くなった。エルローザはそれに気付かないふりをした。もしかしたら身元を調べられるかもしれない、と思ったが、調べられたところでイリスの弟子、と分かるだけだろう。エルベルト、という名前まで調べられるのかは、分からない。けれどその名が露見したところで、エルローザは特段困らなかった。
彼女の経歴は、すべてエルベルトとしてのものだったから。
そうしてセヴランとエルローザは、8日後の同じ時間に、同じ場所で剣の手合わせをすることになった。
「それじゃあ、また8日後にな。」
「はい、楽しみにしています、騎士様。」
「‥‥次に会う時は騎士様ではなく、セヴランと呼べよ、エル。ではな。」
そう言って、セヴランは黒馬に跨ると、片手をあげて去っていった。
エルローザはその大きな背中を見送った。無意識に息をつく。久しぶりに、男装した状態で長く話したので、気を張っていたらしい。
「セヴラン、さま?さん?‥‥あの方ならどちらでもいいって言いそう。」
その独り言は風に消えた。夕飯と、明日の分の食材も買ってから帰ろう。献立を練りながら、エルローザは馬に乗った。
ああ、次の休みが楽しみだ。