01 身体は覚えているもので
馬がピクリと反応し、エルローザは顔を上げる。直後、激しい怒号と金属音がさほど遠くない場所から聞こえ、エルローザは手を止めて呼吸を殺した。近くで、争いが起こっているようだ。採取した薬草を鞄に仕舞い、護身用にしては大袈裟な、刃渡りが長めの剣に手をかける。
気配を消してしばらく。音は止まないが、エルローザのいる場所に向かって近づいてくる足音が数個あった。エルローザは剣の柄を握ったまま耳を澄ませる。実践になるなら、それは随分と久しぶりだった。前回は2年ほど前に、やっぱり同じ山の中で、現在彼女の薬剤師としての師匠であるイリスを偶然助けた時だ。
「‥‥‥くそっ!しくじっちまった‥!」
盗賊にしては身なりの良い男が、傷だらけになりながら走って来た。どうやら乱闘から逃げ出したようだ。男を追ってか、まだ少し遠くから複数足音がする。
そんな状況判断をしていたエルローザに気付いたその男は、一瞬動作を止めたかと思えば彼女に剣を向けた。
「良い所に‥‥!大人しくしな!!」
人質に、とでも思ったのだろう。実際、足音はすぐそこまで迫っていた。男はニヤリと口角を上げると、そのまま地面を蹴ってエルローザに向かって駆け出した。エルローザは浅い呼吸をひとつ。素早く自分の剣を抜くと、男の剣筋を捕らえた。向かってくる勢いをそのまま数度ずらし上げ、容易く男の懐へ入ると容赦なく鳩尾に肘を入れた。それから流れるような動作で直線的に股間を蹴った。
男は訳も分からず泡を吹いて意識を失った。
そこへ複数の足音たちが到着したので、エルローザは剣を仕舞った。
「男を捕らえろ!」
足音の一人、黒髪に翡翠の瞳を持った大柄な男が声を上げると、他の男たちはエルローザが倒して気を失っている男を捕縛した。そんな男たちと比べて、黒髪の男は若干服装が異なり、質がよさそうに見える。きっとこの黒髪の男がリーダーなのだろう。制服のようだし、騎士だろうか。そんな事を考えていたエルローザに、黒髪の男が声をかける。
「この男を気絶させてくれて助かった。礼をさせて欲しい。」
「いえ、大したことはしていません。自分の身を守っただけです。」
「‥‥遠目に見ていたが、君が倒したその男は、高貴なお方を害そうとした者だ。その者を倒してくれたのだから、礼を受け取って欲しい。」
「いや、でも」
「俺の気がすまないのだ。頼む。」
「‥‥‥わかりました。」
そうしてエルローザは、先ほど怒号が聞こえた場所へ黒髪の男に連れられていった。そこには立派な馬車と騎士用の馬が数頭。黒髪の男が「殿下!」と声をかけると、金髪碧眼で細身の男が笑顔を向けた。
「セヴラン、よくやった!ひとりも逃がさず捕らえられたな。」
「殿下、この者が最後のひとりを捕らえてくれたのです。」
「‥‥‥‥」
固まってしまったエルローザは言葉が出てこなかった。セヴランと呼ばれた黒髪の男は、金髪の男に向かって何と言ったか‥‥彼女の脳は一拍だけ言葉を理解できなかった。
「この、少年が?本当か、セヴラン。」
「はい。我々が追い付いた時には既に奴は地に付しておりました。」
「なんと、それほどに小柄でよく‥‥。そなたは剣の腕が立つのだな。」
「‥‥っ!あ、えっと、恐れ多いことで‥‥!」
視線を向けられ、エルローザはなんとか言葉を発して上半身を90度に折った。殿下、殿下と言ったか。ということはつまり、皇族ではないか!と心の中で絶叫する。驚愕と同時に、高貴も何も最高権力の一族なんですけど!?と黒髪の男に対して恨み言も脳内をよぎったが、口からは出ないように唾を飲み込んで耐えた。
「礼をしなければ。マルセル、この少年にその働きに見合った額を。」
「承知いたしました、殿下。」
"殿下"の側に控えていた男性、マルセルは恭しく礼を取ると馬車の中から小さな袋をひとつ持って来た。
「少年よ、名は何という?」
「‥‥エル、とお呼びください。」
「そうか、ではエル、此度の働きに褒美を。」
「‥‥‥‥。」
エルローザはちらりとセヴランを見る。彼女の視線を受けたセヴランが頷いたので、エルローザはその袋を受け取った。
「有難き、幸せでございます、殿下。」
「よい。帰りは‥‥馬があるようだな。」
「はい。自分で帰れます。お気遣いありがとうございます。」
「そうか。」
ニコリと殿下は笑い、そのまま馬車へ乗り込んだ。
「またな少年。いつか手合わせでもしたいものだ。」
セヴランはそう言って、その髪と同じ真っ黒な馬に飛び乗った。
エルローザが呆然と立っている間に、セヴランたちは立ち去って行ってしまった。
「‥‥‥完全に少年だと思われていた‥。」
それも仕方のない事だった。エルローザは女性だが、現在は絶賛男装中。これは彼女が外へ出る時のデフォルト装備であり、今日が特別だったわけではない。髪は短く切っており、胸にはサラシを巻き、服装は簡単なシャツにズボン。元々の中性的な顔立ちもあったし、なにより人生の半分を男として過ごしていたエルローザは、男装に慣れていた。
未だに呆けながら、エルローザは受け取った袋を覗き込んだ。大きさの割にずっしりと重い。
「金貨‥‥が、10枚‥‥!?」
大判の金貨である。これ1枚で、平民なら1年は余裕で生きていける価値がある。エルローザはめまいを覚えながら、ゆっくりと愛馬に跨った。
「師匠になんて言おうかなぁ‥‥。」
夕日に背中を見守られながら、エルローザは街への帰路についたのだった。