第四十六話 種子、放たれり
そこは星空だった。
正確にはそうではないかもしれない。だが、グレンの周りに浮かぶ光の粒子が彼にそう伝えたのだ。地面も空も無い、この空間にグレンは居た。蝶のように舞いながら前へ前へと進んでゆくと先ず最初に一際大きな光を見つけた。なぜ今までそれに気づかなかったのかはわからない、しかし突然現れたわけでもなく最初からそうだったように感じさせる。そして、恐れながらも自らの手をその光の塊に触れると拳一つ分ほどの大きさの球体があることが分かった。が、完全な球体では無かった。なぜならそれは楕円のような形を成していたからだ。指先だけでは検討もつかない為に引き抜いてみると表面は木片のような表情だった。"種"、である。
しかしながらそれは人類の知る姿では無かった。こんなにも巨大な種だがこれだけの大きさのものはこの惑星では観測されていない。つまり中身は全くの未知。その正体はグレンにも検討がつかない様子だ。
次には彼の足元に光の粒子が造り出した川が流れ始めた。だが、彼の足元が濡れることは無かった。なぜなら、それは水ではなく"ヒト"の眼に視覚化された空気中に漂う元素の塊であった為である。
グレンは種を川に埋める仕草をしてみせた。栄養を与えようとしているのか、それとも捨てようとしているのか。答えは前者だった。
川に触れた種からは小さな一筋の光が芽生え始めた。それは彼もよく知る植物の芽で、この暗闇の世界を照らす光となりつつある。
世界は広がった
グレンは足元を再度覗くと巨大な球体の物質が君臨を始めた。最初、彼はそれを巨大な種と認識したが間違っていた。思考を停止したまま、ぼんやりとその物質を眺め続けて幾千か。脳が動かないのを脳が認識するのに時間はかからなく、しかしそれが不可思議であった。
なぜ停止した脳がそれを認識出来るのか。本当には停止していないのではないだろうか?この思考こそが結論だと確信。その時、脳は本当の意味でこの物質を理解した。よく見ると球体は青く淡い霧がかった様子で所々には深緑、焦げ茶の塊。青を海だと認識し、緑を森だと認識し、茶を大地と認識。それに白は雲であった。
間違いなくそれは彼の住んでいた惑星であることを理解する。まずは地図に見た大陸の形が一致した。実際に星の形を知らぬとも自身の記憶のカケラが大陸を認識、結果として惑星を知るに至る。これは脳の刺激である。何も知らない赤子が初めてこの世界に触れて知恵を得るように、この刺激が彼の思考回路を進化させたのだ。
彼が再び芽に触れると更にその植物は成長した。あっという間に背丈と同じ高さになる。木としてはまだ小さい。が、よく見ると一枚の木葉が輝きを見せていた。一瞬顔をしかめながらそれに触れるのを躊躇したが体は動いていた。
自然と手を伸ばす、脳は理解に戸惑ったが身体の神経は分かっていた、それが自分を進化に導いてくれる存在であると。
やがて頭が理解に追い付いてくると眼下、いや脳内に一つの映像が流れ始めた、目が観ているのではなく脳が観ているその映像。それはどうやら空気中の電子物質に保存されている情報媒体から知覚しているようで我々ヒトには本来知りえない情報であることが理解できた。
内容は至って単純なもののようでコールランドより広大な、かつホロウスに近い繁栄を見せる巨大な都市に一粒の小さな星が衝突していく映像だった。
空間情報体の書庫によるとそれを"隕石"と呼ぶらしい。何でも惑星間空間に存在する固体物質が惑星に落ちる現象のことをそう呼ぶそうだ。もっともそれはグレンにとっては初めて知るものであり、ある意味では興味の対象であった。
そして彼はついに気づく、惑星間空間ということは自分が今居るこの星以外にも惑星が存在するのではないか?と。
正解だった。どうやらこの宇宙にはあと七つの惑星が存在する。既にグレンの頭は今までの情報でいっぱいだったが無慈悲にも知恵の樹は成長を続けている。
もう…いっぱいだった。しかし、成長を続けた知恵の樹木は彼がよく知る大きさにまで成長していた。見上げるとそこには輝きの葉に覆われた神々しい姿がある。この葉っぱ一枚一枚に先ほどと同じ情報量があるのを想像すると今にも倒れてしまいそうだった。
地面という概念が存在しないこの空間にグレンは寝そべるとまるで海中を泳ぐようにぼうっと漂いはじめた。もはや考える気力は無い。
樹木を背に腕を組みながら眠る。ここでの睡眠が今までの世界での睡眠にあたるのかは定かではないが恐らくこの世界に"眠り"という概念が本来存在しないのは確かなことであろう。
眠りとは脳が作り出した想像であり、ヒトが眠るという行為を知覚している時、脳は休んでいるだけに過ぎないのだ。それでも、決して機能が停止しているわけではない。そんなわけだから眠りと目覚めは二つで一つ。簡単なトリガーで目覚めは訪れる。
『貴方が見た星は隕石の衝突により滅び去りました』
その声がトリガーだった。ぼんやりと目を覚ます。誰も居ないが居る、懐かしい声だった。
『人類はその隕石の到来を"ノストラダムスの大予言"と呼び、我々に阿鼻叫喚の嵐を見せてくれました』
『その星の名は"地球"。ハビタブルゾーンから生まれでた生命の星です』




