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〇〇な人  作者: 紡葉
7/8

日常的に和紙を使用しようと検討している人

 子どものことからよく使うものといえば、文房具を真っ先にあげる。小学生から大学まで、あるいは仕事をするときでさえ、文房具を手放すことはできないし、食料品よりも頻度が落ちるとはいえ、消耗品には違いない。文房具も種類はあるけれど、「書く」に特化したものがやはり多いのではないだろうか。最近文房具なのか、雑貨なのか見分けがつかないこともある。

 ドイツでは小学生の低学年から子ども専用の万年筆を扱い、書く授業があるそうだ。木版印刷からタイプライター、パソコンまで普及しても書くという行為は無くならない。また、母語と異なる国に幼少期に移住していたとき、母語を保持できるかは読み書きに大きく影響を受けるらしい。書くという行為は、人間にとって何かしら大きな意味があるのだろう。

 子どもの頃は、種類がたくさんある文房具に踊らされ、買い集めることもよくあった。小学生の頃はプロフィール帳、中学生の頃はカラー蛍光ペン、高校では……ド派手なペンケースやノート。あぁ、ルーズリーフなども流行っていた。ちなみに現在の好みは方眼紙。一体それらが流行するのは、何が要因なのだろうか。何某ゼミやら一定に子どもが使用している民間教材が文房具ブームを巻き起こしているんだろうか。

 結局使いこなすまでには至らず、ペンケースの肥やしになっていた気がする。ペンが増えるたびに、ペンケースの肉付きは良くなっていき、ただでさえ荷物の多い中学時代、あるきっかけで見切りをつけた。今でも思い出すのは、学友が制服の胸ポケットに色をきっちり揃えて蛍光ペンを7~8本入れていたことだろうか。結局あれを使いこなしていたかはわからないけれど、数多のペンを所有することをステータスのようにしているクラスメイトに、共感しなかったことは確かだ。あれを見て、文房具を買い揃えるのをやめようと思った。整理していない書類を探すことと同じくらい、使いたい文房具がすぐ手に取れない時間は同等に無意味である、と雨宮は考えている。

 色や種類に迷走するのをやめた雨宮だが、学年が上がるにつれ課題は増えていき、ペンを握る時間も長期化したことから、「使いやすさ」の迷路に突入した。文房具は普通に使えばほとんど壊れることはないので、現在使用しているシャープペンシルは高校の時から使用している。クリップ部分は破損し、付属の消しゴムもどこかへ旅立ってしまったが、それでも「書く」ことに困ることはない。使用しているペンケースは、小学生の頃に買ったものだ。「初めてのお使い」の時に、自身のお小遣いも持っていって、全額叩いて買ったものだ。布地は擦り切れていて、インクも滲んでいるが使用している。

 それでも使用し続けているのは、やはり使いやすいからなのだろう。雨宮自身、気づけばこんなに長く使うと想像していなかった。そもそも文房具とは壊れない限り、使用していなくても捨て難いものだ。大きく場所を取るわけでもなければ、役に立たないわけでもないのだから。

 最近愛用しているのは、卒業祝いに父から贈られた万年筆やインク、成人祝いに恩師から頂いたジェルボールペンである。どちらも壊れるまで、修理が可能ならば使い続けられるまで使用したい。願わくば棺桶の中に入れて欲しいし、大切な人ができら譲ってもいい。もしかしたら、思い出とは使いやすさに勝るものなのだろうか。

 そう自問自答していたが、結局贈り物と言えでも、使いにくいものを使用するほど雨宮は忍耐強くない。高額主義者なわけではないが、ある程度値段のするものは、それなりの使いやすさがある。装飾に金をかけるものは買う気はないが、実用性に金をかけるのは厭わない。自身もそうありたいと思うし、贈り物するならば消えものか実用性を重視する。

 自筆でノートを取る機会は減ったが、書くことは相変わらず好きな雨宮は、和紙の世界に投身しようとしている。ある程度の沼を周回し終えると、新たな沼を無意識に求めてしまうのは仕方がないことではなかろうか。——そうだろう。

 万年筆で書くことは好きだが、たまにインクがかすれてしまうのが玉に瑕。そう思っていたが、和紙に出会ってしまったのだ。習字をするときくらいしか使用することがなかった和紙。扇子や団扇など、身近なようであまり身近ではないものに使用されている和紙。

 たまたま訪れた和紙専門店で試しに購入した和紙の葉書。万年筆を滑らせてみると、想像を超える筆感触。それでいてインクは滲むことなく、スラスラ書き上げることはできた。

 雨宮は基本的に横書きを好む人間だが、インクのにじみがないことと、円滑さを考えるとこれからは縦書き推奨派になるかもしれないと心が揺れている。

 書道で用いる和紙はどこでも買えるけれどあれは万年筆には薄すぎる。滲む文字に風流を見出すさない雨宮は、現代の最大の科学、インターネットを駆使して日常的に使用する和紙を探し求めている。

 仕事をするときは大半がパソコンであり、じゃあ和紙を日常的にどのように使うのか。3年日記をつけているが、それも今年まで。来年からは和紙で日記をつけてみよう。和帖なんてなかなか素敵ではなかろうか。

 メモ帳としてはコスパが悪いだろうか。そもそもメモとは一時的な物事を記載するためのものであり、長期保存するものではないだろう。メモ帳にはTO DO LISTを書いては消して捨てては書いての繰り返しだ。

 書くことと残すことは決して同義ではないけれど、いい紙には、素敵なことを書き残したい。1000年も残るとは思えないけれど、「千年残したくば紙に書け、万年残したくば石に刻め」という。

 自分の死後、遺品がどうなるかなんてまだまだ想像もつかないが、考えてみるとちょっと面白い。まぁ後世で研究されるような素晴らしいものではなく、日常的でありきたりで、SNSで垂れ流されているような内容とそう変わりはしないけれど。



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