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〇〇な人  作者: 紡葉
4/8

テスト前に掃除を始める人

あぁ、勉強したくねぇ

 テスト前である。かなり大切な。

 テストが大切なのは当たり前である?日本においては特にそうだろう。一個のテストで自分の将来に大きな影響を及ぼす訳もなにのに、推薦やら内申点やら、とにかくえられる保障のためならば心身を削りテストに身を捧げることを厭わない人が多いような気がする。

 もちろん東雲もそんな人間の1人で、「単位がもらえる」で終わらず、「良い点」をとることを目標にしている。

 そもそもテストとは、習得した内容を正確に理解しているか、それをアウトプットする行為である。テストが習得内容に理解度に準ずるのは仕方がない。習得度を測ることは難しいし、理解はしていても活用の仕方は人それぞれだから。

 しかし理解してからの活用であるならば、毎度大きなテストを設けずとも、その単元が終わった後に理解度を測ればよろしいのではないでしょうか、偉い人。

 中高の場合、各単元の授業の節目に発表などを行い、習得度を測り、定期試験で複数の単元の理解度を測る。

 大学はそもそも単元を半年かけて行うから、途中のレポートやらあれこれがあるわけだが。

 東雲が兎角主張したいことは理解度と暗記は異なるということである。人間が脳内で何をどのように理解しているか、覚えているかなんて東雲は知らないが、とりあえず違うんじゃないのと主張したい。

 暗記は単純接触効果に近いと東雲は考える。別名ザイアンス効果とも言われるそれは、何度も繰り返すことで評価や好感度に影響を及ぼす。暗記もそう、目立たない後輩が、憧れの先輩の前に何度もひょっこり顔を出すことで、覚えてもらうように!英単語も「お、またこいつか、しょうがないな、そんなに自分に覚えて欲しいのかぁ」という感じではなないのかね、偉い人。

 人間の頭は不思議なもので、理解するプロセスはまだまだ解明されていない。直感的に理解できることもあるし、難癖してこじつけてどうにかこうにか理解できることもある。後者の場合はじめの事象に何プラスαすることで、次の事象が発生する。つまり後者は数学の問題を解くようなものだろう。与えられた式に、公式や計算のルールを与えることで、変化していく。

 理解するにおいて、何を理解したいかによってもアプローチ方法は変化する。東雲が基本的に概念理解ができれば、あとは勝手に自分で活用できるときにするだろうと考えている。概念を理解するためには、そこに用いられている概念を知らなくてはいけないが、小難しい言葉で修飾された言葉ではなく、結局ロジカルになるためにはお飾りの名前よりも中身が大事なわけで。

 散々とぐろを巻き続けてきたが、東雲は暗記を好まない。物事の本質を理解していれば、それでいい気がする。BTB溶液が何色に変化することが本質ではなく、何によってなぜ変化するのかが大切なのだ。これこそ理解度だろう。バラエティー番組ではクイズ番組を最近よく見かけるが、テストを乗り越え、大人になっても結局「えぇ?何だっけ?」となるのは、本質ではなく名前で暗記しているからだと東雲は訴えたい。

 しかしテストが暗記至上主義のものであるからには、膨大な名前の数々と触れ合わなくてはいけない。しかしそこに生産性や合理性を見出せない東雲は、一向に机にもテキストにも手が伸びない。

 そうしてこうして、膨大な時間をかけて東雲は掃除をする。テスト前に「勉強した?」「してな〜い」というあれ、嘘ではない。少なくとも東雲の場合。

 勉強しないことに東雲だって罪悪感は感じるのだ。人間は言い訳の天才なわけで合理性を見出せなくても、そこにhave toというobligationがあるならば、それができなかった理由をでっち上げるのは容易いことである。曰く「机が汚くて勉強できなかった」

 掃除を始める理由はこんな些細なものである。しかし多くの人がやってしまう。それはなぜか?

 思うに、掃除は勉強に比べて始めやすいのだ。例えば落ちているものを元の位置に戻すだけでも片付けたことになるから。人間はすることよりも始めることの方が労力を使う。しかし恒常性という性質により、一度始めたものを継続させる傾向が強い。

 そうして始まった掃除は徐々に達成感を見出す。床に足の踏み場ができたとか、なくしていたものを発見したとか、視覚的に簡単に結果を得ることができるわけだ。常に部屋が汚いという視界の暴力にさらされていた脳みそは、勉強しないと同様に罪悪感をおそらく感じていたのだろう。

 元の位置に戻し、断捨離でいるものいらないのもを識別し、ゴミを捨て床をふく。そうして一重に綺麗な部屋になったのは自分の努力とのおかげである。ストレス解消に皿洗いが良いとされている要因の一つとして達成感が感じられるから、とある。部屋の掃除も同様である。達成感。

 ゲームでも、読書でも、youtubeでもカラオケでもないのは、達成感と同様に生産性があるからだ。少なくとも東雲は考える。生産性合理主義者なわけではないが、無駄なことをするのは娯楽である。娯楽を否定しているわけではなく、娯楽を真に楽しめるのは、余暇を持て余し、徒然なときである。テスト前に徒然ではないのだ。罪悪感を感じながら娯楽ができるか?東雲は娯楽にも敬意を払い、そして罪悪感を払拭するために生産性と達成感という麻薬を得るため、今日も夜の帳が降りても尚掃除を続けるのである。


あぁ、暗記する意義を見いだせない

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