読者の方へ
拝啓 春光うららかな季節、ご機嫌いかがでしょうか。捨てられるはずのない過去を、心機一転したと錯覚されたばかりでしょうか。それとも新たな節目を迎え受け入れる余裕がないほど、感性が逝去されましたか。
さて、どんな方であろうとも、このご案内をお手にとってくださってありがとうございます。そのきっかけは一体なんだったのか。私もきっと思いを馳せているところ。
この世はまさしく有為転変。忙しなく、目まぐるしく、濃淡を持って肌の上を這いずり、鼻腔をくすぐる不埒なもの。耳元に口臭を織り混ぜた吐息をぶちまけ、水晶体に映り込む輩もございましょう。私がそうではないとも言い切れないのが、このご時世。
アンテナを張り続けることは容易ではないでしょう。疑念と憤怒と憎悪を持っても、そのエネルギーを補填するには、高く付く。コスパの悪さに絶望し、断絶し、それでも足掻くか、そう、それならご苦労様ですと無理解と共感の狭間から申し上げるしか出来ません。
アンテナ張らずも、否、規制線すら超えてあなたのもとへ数千の紙飛行機が届きはじめて、早数千年と錯覚しそうになる今日この頃。あなたが無防備に鍵をつけず、ドアを開けているから、DMも溢れる溢れる。侵略行為は拮抗いたしているのでしょうか。
正確性と曖昧性。その間にいる時点で曖昧が優勢だと思いますが、あなたが渇望し、絶望し、愛し、生きて、死に向かっていく中で、何かしら、ご自身、家族、隣人、社会、そして世界。果てにはこの銀河、この宇宙に対して思うことがおありだと存じます。
しかし、その想いというのは、あなた1人のものかと言うと、そうではないと断言するのが私です。そうではないと、私の存在意義が問われます。
世界の大半のことは模倣され、オリジナルなんてありゃしない。そんなふうにいささか悲観的になっているのは、私がペシミストだからかもしれません。
1人のものではないけれど、完全同一性のものもないと信じていますので、その細やかな粒を拾い上げてくださると大変喜ばしく思います。
実りなくとも、ゆとりがなりますように。
敬具
ペシミストな人より
読者様へ