呼び出し
しばらくすると、少しずついつもの声が戻り、賑やかになってきた。そんな賑やかさも、明日からは聞けなくなるんだな……扇風機の前まで椅子を持っていって、冷たい風を独り占めにしながら、しみじみ思った。
そろそろ寒くなってきたなぁと思い、扇風機のスイッチをオフにしようとしたその時! 突然、扇風機にあたっていたオレの肩が、後ろから押さえつけられた。オレはそのまま、背もたれを伝って、背中からズルズルと床に滑り落ちた。それと同時に、椅子の脚で頭を軽く打った。
「いった〜……誰だよ〜」
「よっ! おはよっ!」
……ハナケンだ。昨夜に続いて、やけに絡んでくる、あのハナケンが目の前に立っていた。
「今日は奥さんとは一緒じゃないのか?」
いつものニヤニヤ顔でハナケンが話しかけてきた。オレは数日前の大掃除でかなり綺麗でツルツルになった床に胡座をかきながら答えた。
「はぁ? 奥さんってもしかして梓の事?」
「誰が上岡のことなんか言った? ……うわっ、もしかして?」
「あ、いや、ぅ……うるさいなぁ!」
「まっ、こうしてふざけ合えるのも今日限りだな」
ハナケンが久々にニヤニヤを戻した。
「……そうだな。……いままで楽しかったよな」
「……おぅ」
そう言うと、ハナケンは自分の席に座って、カバンを開いた。カバンを開けて取り出した物、それは……カメラだった。しかもそこら辺のコンビニで売っているようなインスタントカメラではなく、学生が持っていてもいいのかと思うくらい高そうな代物だった。
「なぁなぁ、みんなで写真撮ろうで!」
ハナケンはそう言うと、教室の一番後ろでカメラを撮るポーズをした。
「おっ、いいね。いいね。ほら、木下も!」
高橋が便乗してクラスメイトを黒板の前に立たせる。
「ほら、潤も!」
「……いいよオレは。写真撮られるの、あんまり好きじゃないからさ。なんなら、オレが撮ろうか? 」
オレは昔から写真に撮られるのが本当に嫌いだった。そもそも、自分の顔を見るのがあまり好きではなかった。鼻がそんなに高いわけでもなく、むしろ低い方だったからだ。瞼は腫れぼったいし、なんだかバランスが悪いからだ。
それらが昔からコンプレックスで、自分の顔を見るたびにため息をついていたほどだった。
「なんだよ〜いいじゃんよ〜最後なんだしさ」
「いいから、いいから。なっ? しかもさ、まだ全員揃ってないし。なっ?」
そんなやりとりを繰り返していると、突然、校内放送がかかった。
「……え〜、生徒の呼び出しをします。三年A組、花田。三年A組、花田。大至急、第一会議室に来なさい。繰り返します……」
生徒指導で三年A組の副担任である、伊吹先生の声だった。
あんなに賑やかだった教室が、一瞬凍った。それと同時に、女子生徒の間ではひそひそ話が始まった。
「ぁ、ぇ、オレ? まぁちょっと行ってくるわ。もし泣いて帰ってきたらその時は慰めてな。じゃっ!」
ハナケンはそう言うと、一応服装だけはちゃんと直して教室を飛び出した。
「えっ、ハナケン、何しでかしたんだろう……」
オレが疑問に思っていると、そばにいた坂木が不安そうに口を開いた。
「……まさか、昨日のあれなんじゃない?」
……あれ? あれって何の事だ??
「あれって……何かあったん?」
「実はさ、昨日な、潤と上岡さんが途中で帰った後、場所を移動して河川敷で花火やってたんだ。そしたらさ、なんだっけな……なんか……飛ぶ花火があるんよ。それが人の家に入っちゃって。それでみんなで逃げ帰ったんだ。それかなって思って」
「なるほどな〜」
オレは床に座ったまま、腕を組んだ。内心、ちょっと焦っていた。あいつの事だからいつかはやらかすと思っていたが……まさかこんな大事になるとは……。女子のひそひそ話の理由が分かったような気がした。
すると、ハナケンの呼び出しからちょうど五分たった時、また生徒の呼び出しが始まった。
「生徒の呼び出しです。三年A組、朝倉、赤峰、井藤、内原、木下、坂木、反川、高橋、西岡、向井、桃井、安田。至急、第一会議室に来なさい。繰り返します。……」
……多っ!! 先生も大変だな〜。
「やっぱオレらもか……」
よく勉強を教えてもらっていた朝倉が、唯一、二学期の期末試験で数学で赤点を取ってしまった時のような落胆ぶりでつぶやいた。
「んじゃ、行ってくるわ。はぁ〜」
今度は元水泳部の桃井が、一日に十五回は吐くと言われているため息を吐きながら教室からだらだらと出て行った。それに続いていくように残りの数人もぞろぞろと教室を後にした。教室には、みんなの荷物と、オレだけが存在している。
「一気に静かになったな……」
あまりに突然の事で、つい口に出してしまった。教室は、さっきまでの賑やかさのちょうど真反対の、シーンとした雰囲気が漂っていた。……体育の授業中は、いつもこんな感じなのかな。
オレは右手をついて起きあがると、扇風機のスイッチを切った。そしてそのまま辺りを見渡し、ただただ呆然と立ちすくむしかなかった。